「タイタニックを発見した男」、今も新たな冒険の途上

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
写真家の男性とタイタニック発見を祝うバラードさん=1985年/Emory Kristof/National Geographic Image Collection

写真家の男性とタイタニック発見を祝うバラードさん=1985年/Emory Kristof/National Geographic Image Collection

子ども時代の夢を実現

バラードさんは今月発売される回顧録で、自身の驚くべきキャリアを詳しく記すとともに、息子の悲しい死を含め、私生活の節目となった幾つかの瞬間について吐露している。

「私は6月で79歳になる。(自分自身のエピソードを語るのに)ちょうど良い時期だった」とバラードさん。同書は米紙ニューヨーク・タイムズの調査報道記者の助けを得て書かれた。

「それに新型コロナウイルスの流行が起き、海に行く予定がなかった。時間がたくさんあった」

バラードさんの海への憧れは幼少期に始まった。12歳までには、大人になったらジュール・ベルヌの古典的なSF小説「海底二万里」に登場するネモ船長のようになりたいと心に決めていた。

「これまであまり言わなかったことだが私は失読症で、学習の仕方が人と異なる。『海底二万里』を読んだことはなくて、ディズニーが制作した映画を見ただけだ」

その後、バラードさんは化学と地学の学位を取得し、ハワイ大で地球物理学の修士号を取った。

1965年に軍事作戦に招集された後、海軍に移籍。ウッズホール海洋研究所の深海潜水班に配属され、そこで機械式アームを備える3人乗りの潜水艇「アルビン」の開発を手伝った。

70年代の大半はアルビンでの海洋探査に費やした。深海2750メートルに到達して大西洋中央海嶺を探査したほか、ガラパゴスリフトの熱水噴出孔を発見した調査にも加わった。

タイタニックを探す旅

その頃までには、1912年4月15日に北大西洋で沈没したタイタニックの場所を特定するという壮大な仕事に挑む準備が出来ていた。

自身が「タイタニック狂」であったことは一度もないとバラードさんは認めるが、他の探査チームによる探査が不成功に終わったのを見て、どうしても同船を発見したくなった。

タイタニックの位置特定を初めて試みたのは77年10月。調査に使った深海サルベージ船の「シープローブ」は掘削船で、掘削パイプの先にソナー装置やカメラが取り付けられていた。

しかし掘削パイプが破損し、バラードさんは負けを認めざるを得なくなった。

探査から戻ると、バラードさんは画像や情報を収集しながら海底を移動できるロボットの開発を始めた。

ロボットの潜水技術に自信を深めたバラードさんは、沈没地点に戻る手応えを得た。自ら潜水艇に乗り込まなくても何時間も連続で海底を調査できる確信があった。

だが、こうした費用のかさむ大規模調査に必要な資金を調達するという小さな問題が残っていた。

タイタニック発見に至る経緯については今でこそ機密解除されているが、バラードさんが完全に打ち明けられるようになったのはここ数年のことだ。

この調査は米軍の秘密任務の一環で、目的は大西洋北部の海底に沈んだ2隻の米原子力潜水艦「スレッシャー」と「スコーピオン」を回収することにあった。

「Odd News」のニュース

Video

Photo

注目ニュース

このサイトでは、利用状況の把握や広告配信などのために、Cookieなどを使用してアクセスデータを取得・利用しています。 これ以降ページを遷移した場合、Cookieなどの設定や使用に同意したことになります。
Cookieなどの設定や使用の詳細、オプトアウトについては詳細をご覧ください。
[ 閉じる ]