韓国の元「慰安婦」が東京で会見、今も是正を求める

2015.04.30 Thu posted at 15:42 JST

(CNN) 金福童(キムボクドン)さんは89歳になり、視力や聴力も衰えた。介助がなければ歩くことはできず、健康状態の悪化は認識している。それでもかつてどれほどの苦難を経験したか訴えたい一心で韓国・ソウルから来日し、東京の外国特派員協会で記者会見した。

旧日本軍の性奴隷として扱われた1940年から5年間の悪夢は、今も鮮明によみがえるという。「私の唯一の願いは、過去についての記録を正すことだけ」

当時住んでいた韓国の村に日本人がやって来たのは、金さんが14歳の時だった。自宅と家族から離れて縫製工場で働くほかに選択肢はなかったといい、「行かないという選択肢はなかった」「行かなければ反逆者とみなされていた」と振り返る。

しかし金さんによると、行った先は縫製工場ではなく、複数カ国にある日本軍の売春宿だった。30人ほどの女性と一緒に1つの部屋に閉じ込められ、女性が強要されてはならないことを強制されたと金さんは話す。

「私たちの仕事は兵士の活気を取り戻すことだった」「毎週土曜日には正午から行列ができ始め、午後8時まで続く。いつも兵士の長い行列ができた。日曜日は午前8時から午後5時までだった。再び長い行列ができた。人数を数える機会はなかった」

それは非人間的で極度の苦痛を伴ったと金さんは言い、「終わったあとは立ち上がることさえできなかった。あまりに長時間続いた。日が暮れるころまでには下半身がまったく使えなくなっていた。最初の1年以降、私たちはまるで機械のようだった」と振り返る。

長年の虐待で身体には恒久的な影響が残り、子どもを持ちたいという夢をかなえることはできなかったと金さんは涙を流した。「最初の頃は私が従順でないという理由で日本軍に殴られることもあった」「私の苦しみはどんな言葉でも言い表せない。今も薬がなければ生きられず、常に痛みを感じる」

金さんは、日本に対する謝罪要求活動を展開している非政府組織(NGO)の1員。過去には個人的に謝罪した首相もいたが、それだけでは到底十分ではないと同NGOは主張する。

日本政府は1965年に韓国と交わした日韓請求権協定でこの不正行為に対する法的責任問題は解決済みとの立場を変えていない。

金さんの証言は、いわゆる「慰安婦」だったというほかの女性たちの証言と一致する。

米首都ワシントンでは米国を公式訪問した安倍首相に対し、性奴隷だったという韓国の李容洙(イヨンス)さんが涙ながらに公式謝罪を求め、韓国人と中国人を中心とする推定20万人の慰安婦が日本の性的奴隷にされたと訴えた。多くは既に死亡したが、生存者は個々に補償を求めている。

安倍首相に対しては、慰安婦は正式な軍事政策の被害者ではなく売春婦だったと考える保守層をなだめるために、過去をかき消そうとしていると批判する声もある。

今も是正を求める韓国の元「慰安婦」

このサイトでは、利用状況の把握や広告配信などのために、Cookieなどを使用してアクセスデータを取得・利用しています。これ以降ページを遷移した場合、Cookieなどの設定や使用に同意したことになります。Cookieなどの設定や使用の詳細、オプトアウトについては詳細をご覧ください。