Fashion

誇りを身にまとう――数百年の時を経て蘇る「漢服」

中国で「漢服」に再脚光

チャン・リンシャンさんは子どもの頃、テレビで宮廷を題材にした時代劇を見て、登場人物の服装に魅了された。衣装は色鮮やかで威厳に満ち、長い上衣にはハスの花や竜の刺しゅうが施され、頭には精巧な帽子を付けていた。

これらの美しい服の名称は知らなかったが、遠い過去の服であることだけは分かった。

チャンさんは「見た瞬間、夢中になった」「おとぎ話のようで夢のようだった。服の美しさに心を奪われ、やがて漢服(ハンフー)の文化を理解するようになり、ますます好きになった」と振り返る。

現在19歳のチャンさんは北京で暮らす。中国で広まりつつある「漢服運動」の担い手のひとりだ。これは漢族が清朝より前の時代に着ていた伝統服の復興を目指す運動で、2000年代初頭に周縁的なサブカルチャーとしてネット上で始まり、今では街で見かけるようにまでなった。

漢服ファンの集まりに参加した後、女性たちが歩道を歩く様子=北京/GREG BAKER/AFP/AFP/Getty Images
漢服ファンの集まりに参加した後、女性たちが歩道を歩く様子=北京/GREG BAKER/AFP/AFP/Getty Images

まだ主流にはなっていないものの、大都市の街中を歩いてみれば、漢服のゆったりとしたローブに交差襟、幅広の袖に身を包んだファンの姿が目に入るだろう。

現在では専門ショップやデザイナー、研究者が存在するほか、小物や服装一式を貸し出す写真スタジオまである。

値段は品質によって30~数千ドルとばらつきがある。近年は売り上げが急増し、国営英字紙チャイナデイリーによれば、市場規模は計10億9000万人民元(約168億円)と試算されている。

中国漢服協会の会長を務めるチェン・ジェンビンさんは16歳の時に漢服と恋に落ち、最初の服を手作りした。当時はまだマイナーな趣味で、2005年に開いた漢服イベントには50人程度しか集まらなかった。その5年後に同様のイベントを開いたところ、500人が参加したという。

写真撮影のポーズを取る漢服ファン/GREG BAKER/AFP/AFP/Getty Images
写真撮影のポーズを取る漢服ファン/GREG BAKER/AFP/AFP/Getty Images

今では国内のイベントに参加者1000人が集まることもある。

チェンさんらは漢服は中国文化を祝い、国民の自尊心を高める方法になると考えている。中国の人々は長年、経済発展で欧米に追い付こうとする中、衣服でもシャツやスーツを着こなすなど西欧のスタイルを追っていた。だが今は、「中国を後進国とは考えていない」(上海を拠点にするファッションコラムニスト兼研究者のクリスティン・ツイさん)。「漢服は若い世代の自信、国の自信そのものだ」

ただ、漢服人気にはより批判的な視線も向けられている。習近平(シーチンピン)国家主席の下で単一民族ナショナリズムが高まっていることの表れとの見方だ。習氏は「伝統的美徳」や愛国主義を繰り返し掲げてきた。

中国が公式に認定する民族の数は56で、このうち55が少数民族だ。多数派である漢族は人口の約92%を占める。

豪メルボルンにあるモナシュ大学の研究者、ケビン・カリコ氏のような批判派は、漢服の普及は漢族の文化的支配を強化し、数百万人の少数民族の不利益をもたらす結果になると主張する。

こうした文脈を踏まえ、カリコ氏ら研究者からは、漢服はもはや単なる無邪気なファッショントレンドではなく、国家主義的な政策の推進の武器になっているとの指摘も出ている。

歴史に異論

一部の熱心な愛好家は、「本物」の漢服を定義するための指針を策定してきた。たとえば、中国の典型的な時代衣装といえば、タイトで襟が高い「旗袍(チーパオ)」と呼ばれるチャイナドレスを思い浮かべる人が多いかもしれない。だが、漢服コミュニティーではこれは漢族の服とはみなされていない。満州族を起源とする装いだからだ。

これは敏感さをはらむ問題だ。漢服サイトの一部は、満州族の指導者が清朝期に漢族の文化を抹消したと主張。国営メディアのある記事は、「彼らは漢族に自分たちの服装をやめるよう強制した。そのため、中国の文化的アイデンティティーの一つであったこの服装は20世紀にほぼ消滅した状態となっていた」としている。

このため一部の漢服ファンとって、漢服の着用は文化的・歴史的な権利を取り戻す行為になっている。

愛好者が集まる会場の外で一休みするファン=北京の公園/GREG BAKER/AFP/AFP/Getty Images
愛好者が集まる会場の外で一休みするファン=北京の公園/GREG BAKER/AFP/AFP/Getty Images

しかしカリコ氏によると、こうした漢族抑圧の説明は完全に正確とは言いがたく、「本物の」漢服の特定は難しいという。漢服に関する著書があるカリコ氏は「清朝より前に、漢族の人だけが着る単一の服装様式はなかった」と語る。いくつもの王朝を経た長い歴史の中で、漢族はあらゆるタイプの服を着用し、時代や地域、社会経済的な階層によって数十ものスタイルがあったという。

愛好家の中にはこうした歴史的多様性を認識している人々もいる。チェン氏は唐の時代には丸襟の上衣が好まれたが、明朝では襟部分が何層にも重なったスタイルが人気だったと語る。ただ、漢服にはデザイン上共通している点もいくつかあり、交差襟、ボタンの不使用、3層からなる内衣、そして外衣が共通点だという。頻出するモチーフとしてはツルや竜、渦を巻く雲、優美な花などがある。

こうしたさまざまな様式があることを念頭に、北京に住む23歳の女性、ルー・ヤオさんは「華服(フアフー)」という言葉を好んで使っている。「華服」の表現は民族的な意味合いを含まず、より一般的に中国の服を指すためだ。

ルーさんは漢服はあまりに意味の狭い用語だと語り、中国文化には多様な民族の「融合と統合」が至る所にみられると指摘している。

だが、多くのファンは「漢服」として漢族を区別することに誇りを持っている。

チェンさんは「ある種、漢服の復興は漢民族文化の復興であり、漢民族文化の復興は中国文化の復興でもある」「漢族は世界一強力かつ統一的な民族で、最も神聖で高貴な文化を持っていると思う。いかなる民族も漢族と肩を並べることはできない」と語った。

「民族の多様性喪失」

チェン氏の発言は近年の中国を席巻するこの種のナショナリズムの高まりを映すものと言える。こうした話の多くは、数百年前の中国の「黄金期」と見られている時代へとさかのぼる。

習主席は2012年に権力の座に着いた際、「中華民族の偉大な復興」を約束した。古代中国の哲学者、孔子を引用することも多い。学校教育では中国の文化や文学、歴史に力点を置く場面が増えている。英ノーサンブリア大のウェッシー・リン准教授によると、その焦点は「若者に中国のレンズを通じて物事を見るよう教える」ことだという。

しかしカリコ氏やリン氏のような研究者からは、漢服や漢文化を強調すれば、少数派がさらに疎外され民族的多様性が失われる結果になりうると懸念する声が上がる。

民族の疎外と抑圧への懸念は今日の中国で特に顕著だ。中国はこの2年半、西部・新疆でウイグル族などイスラム系が多い民族の人々を数十万人拘束している。中国政府が「自主的に過激派思想からの脱却を目指す施設」「職業訓練センター」と主張するのに対し、批判派は「再教育施設」と形容している。

ウイグル族からはこうした施設は中国政府による「文化的な抹殺」のプログラムの一環で、漢族への同化を進める意図で行われているとの声も上がっている。

近年の中国メディアは、ウイグル族の児童や大人が祝典や公の行事で漢服を着る様子を多数報じるようになった。

非営利組織「ウイグル人権プロジェクト」は2018年の報告書で、ウイグル族の衣服が学校で非推奨となり、当局が設定する限定された場所でのみ着用が許される一方、生徒には中国式の衣服が押し付けられるようになったと指摘。また政府の進める「同化政策」で、ウイグル族は現代的な踊りや共産主義の「赤旗の歌」を強要され、伝統を装った中国の漢族の服を着るように求められているとも記述する。

カリコ氏はこれが少数民族の文化や遺産を抹殺し彼らを漢族に近づけようとする強制的な同化政策の証拠だと語る。

一方、香港バプティスト大学で中国の衣服の社会学を専攻するマシュー・チュー教授はこれとは異なる見方を示す。漢服は日常生活で多くの漢族の人々が着るまでは広まっておらず、ましてや少数民族に押し付けるほどの普及に至っていないとの考えだ。

チュー氏は電話インタビューで「まだ少数派のサブカルチャーだ」「(民族抑圧の)リスクは本当に小さい」と語る。また、国家主義者であっても民族単位の国家主義を追い求めず、民族が愛国心の基準になっていない人々もいると言及。より害の少ない形式の国家主義は存在するとの考えを示す。

出し物のリハーサルをする女性たち。漢服ファンの集まりに向けてリハーサルに余念がない=/GREG BAKER/AFP/AFP/Getty Images
出し物のリハーサルをする女性たち。漢服ファンの集まりに向けてリハーサルに余念がない=/GREG BAKER/AFP/AFP/Getty Images

前述のチャンさんなどの漢服のファンは、漢服の政治化に反論する。チャンさんは「私はただこの服が美しいから好きなだけ」と語り、漢服と国家主義をリンクさせることはナンセンスだと語る。「漢服に対してもっと寛容な態度をとるべきだ」「好きなものをうんざりさせる何かへと変えないでほしい」

ファッションコラムニストのツイさんも、人々は単に「自分で夢見て」漢服を着ているだけと語る。漢族は人口の9割以上を占め、漢服が人気になっても不思議なことではないと指摘。これはグローバル化の一部であって、たとえばTシャツを皆が着ていても「全員米国化してしまったとは言わない」ことと同じだと述べる。

漢服に政治的、民族主義的な要素があるかどうかとは別に、このような議論はファッションと情勢の複雑さを浮き彫りにしている。ファッションは無の中に存在しているわけではなく、社会、経済、政治的な出来事との相互作用の中にある。ここで重要なことは、「中国人」とは何かを考える際に、漢族の優位性が他の民族の犠牲の上に成り立っていないかどうかという点だと専門家は語る。

リン氏は「この国はこれ以上開かれた状態にはならず、閉ざされつつある。だから支配的な文化を強調する論調が再び強まっているのだ」「様々な民族性の表現について多くの話を聞くが、中国で実権を握っているのは漢族の中国人だ」と指摘する。

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