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清原雪信 海外から脚光を浴びる江戸時代の女流画家

ミネアポリス美術館が所蔵する清原雪信の「天女飛翔図」

ミネアポリス美術館が所蔵する清原雪信の「天女飛翔図」/The Picture Art Collection/Alamy Stock Photo

(CNN) 17世紀後半、女流画家、清原雪信(きよはらゆきのぶ)は、絹の上に描いた印象的な女性たちの肖像や、美しい動植物の趣のある水墨画で、それまで日本の女性たちがほとんど歩んだことのなかった日本画の道に進んだ。

雪信は、日本で最も権威ある画派である狩野派(かのうは)の優れた絵師となった。その後100年にわたり文学や演劇でその名が取り上げられるなど、39歳という若さでこの世を去ったとされる人物としては、長きにわたりさまざまな分野に影響を与える遺産を残した。

しかし今日、雪信は誰もが知る有名人とは言い難い。現代の美術史家や美術館などが、雪信をはじめ、過去数世紀に活躍した日本の女流画家たちに光を当ててこなかったため、雪信の名声は色あせてしまったのだ。

「雪信の名前を知る人はほとんどいないだろう。もっと多くの人が彼女を知るべきだ」と語るのは、米デンバー美術館でアジア美術担当のアソシエイト・キュレーターを務めるアイノール・チェルボーネ氏だ。デンバー美術館は最近、日本の歴史的な女流画家たちの作品を集めた珍しい展示会「Her Brush(彼女の筆)」を開催した。

「雪信があまり知られていないのは、他の有名な画家たちに比べ腕や才能が劣っていたからとか、残した作品の数が少ないからではない(中略)過去100年ほどの間に行われた歴史的研究やプレゼンテーション、さらにキュレーターたち(が雪信を十分に取り上げなかったこと)が原因だ」(チェルボーネ氏)



女性の歴史的人物や女神の肖像画を意識的に描いたとされる清原雪信の「弁才天図」/Courtesy Denver Art Museum

女性の歴史的人物や女神の肖像画を意識的に描いたとされる清原雪信の「弁才天図」/Courtesy Denver Art Museum

たしかに東京国立博物館や滋賀県のミホミュージアムなど、いくつかの美術館のコレクションの中には、雪信の絵も何点か含まれているが、それらが脚光を浴びることはほとんどない、と個人で活動する日本美術史家のポール・ベリー氏は言う(ニューヨークのメトロポリタン美術館とボストン美術館にも雪信の作品がわずかながら所蔵されているが、現在はいずれの作品も展示されていない)。

「江戸時代の狩野派の絵の展覧会が開催されれば、(雪信の絵も)展示されるかもしれない」とベリー氏は言う。しかし、雪信や日本の他の女流画家たちの作品は、多くの画家たちの作品を集めた展覧会でごくたまに展示される以外、人々の目に触れる機会はなく、ベリー氏もその現状を遺憾に思っている。

「日本の女流画家や書家の作品を展示している美術館はほとんど存在しない」(ベリー氏)

異例の出世

今日、雪信の生涯に関する詳細はほとんど残っていないが、彼女が魅力的な人物であることは確かだ。

雪信は女性にとって制約の多かった時代に、漢画の墨や筆使いと、大和絵の色彩と装飾を組み合わせた狩野派の伝統の中で腕を磨いた。

メトロポリタン美術館によると、雪信は「芸術において非常に優れた女性」を意味する閨秀(けいしゅう)として知られるようになったという。

雪信は、幼少の頃から芸術に触れて育ち、絵を習う貴重な機会を得た。雪信の大叔父にあたる狩野探幽(かのうたんゆう)は、狩野派の重要な人物だった。また父、久隅守景(くすみもりかげ)も名高い絵師だったが、ベリー氏によると、守景は師事していた狩野探幽と対立し、自ら狩野派を離れたか、破門になったという(雪信の弟、彦十郎も絵師だったが、絵の才能は姉に遠く及ばなかった、とベリー氏は付け加えた)。

キュレーターのアイノール・チェルボーネ氏は雪信について「絵筆を完璧にコントロールしていた」と語る/The Picture Art Collection/Alamy Stock Photo
キュレーターのアイノール・チェルボーネ氏は雪信について「絵筆を完璧にコントロールしていた」と語る/The Picture Art Collection/Alamy Stock Photo

雪信は、絵師としてのキャリアを通じて、女性の歴史的人物や女神の肖像画を描くことを意識的に選択したと見られる、とチェルボーネ氏は言う。これは当時の女性の社会的地位を考えると異例なことだ。

雪信が描いた肖像画としては、8世紀の中国・唐の玄宗皇帝の妃で、絶世の美女とされる楊貴妃や、日本仏教の音楽と芸術をつかさどる女神、弁才天などが挙げられる。また、鎌倉時代初期に作られた「女房三十六人歌合」に歌が採用された女性歌人36人の絵も描いた。

しかし雪信は、自分の絵に署名を入れる際、狩野派の伝統に従い、「狩野雪信」と署名することは決してなかった。

その理由について、ベリー氏は、雪信は当時、日本画の主流だった狩野派の画風で絵を描きつつも、画家としての「自分の個性を主張したかった」のではないかと考えている。

あるいは、自分の父である久隅守景が狩野派から距離を置いたことから、「久隅」でも「狩野」でもない「清原」姓をあえて選択した可能性もある。

「清原」は雪信の夫の姓であると同時に、雪信の母の旧姓でもあるが、雪信が「清原雪信」と署名すると決めたのは、夫に配慮したというよりも、母方の家系を確立する意図があったと見られる、とベリー氏は説明する。

8世紀の唐で絶世の美女とされた楊貴妃の肖像と、桃の花のそばに立つ孔雀の図/Courtesy MFA Boston
8世紀の唐で絶世の美女とされた楊貴妃の肖像と、桃の花のそばに立つ孔雀の図/Courtesy MFA Boston

また、雪信が結婚をしたにもかかわらず、絵師としての経験も積むことができたのは、当時としては極めて異例なことだった。というのも当時の女性たちは、絵師にとって腕を磨く極めて重要な時期である若い時から結婚を促されることが多かったからだ。

ベリー氏によると、当時は女性で画家、書家、歌人になるのは、たいてい尼僧(にそう)か未亡人だったという。尼僧や未亡人は家庭に縛られないため、芸術家になりやすかった、とベリー氏は説明する(またベリー氏は、雪信に子どもがいたかどうかは定かではないと付け加えた)。

雪信の絵を際立たせていたのは、作品のテーマに加え、彼女の画法の細やかさだ。チェルボーネ氏は、雪信の筆使いは完璧で、繊細さと表現力を兼ね備えていたと絶賛する。

しかしチェルボーネ氏は、雪信が絵師として大成功を収めたのは「異例なことだった」とし、成功した理由について「当時の人々が、雪信が女性であるという事実にも興味を抱き、彼女の人気が一層高まったのかもしれない」と分析した。

過小評価された遺産

雪信がどれほどの成功を収めたかは、今も残る彼女の絵の数を見ればわかる。これらの絵は人から依頼されて描いたのだろう。

また、雪信は高価で上質な材料を使用していた。例えば、高価な絹、貝殻を砕いて作った白の顔料、金などだ。これらの材料は「スーパースターでなければ入手が難しかっただろう」とチェルボーネ氏は言う。

狩野派は、江戸時代の封建制下の日本を支配していた徳川将軍家やその家臣である大名たちなど、裕福で権力を持つ後援者たちに仕えることで知られた。

雪信の後援者が誰だったのかは定かではないが、雪信の作品は、手に入れるだけの経済的余裕がある者なら誰でも欲しがったとチェルボーネ氏は確信している。

しかし、もう一つ、雪信の人気ぶりを示す「裏の指標」がある。それは雪信の作品の贋作(がんさく)が数多く出回っていることだ。

デンバー美術館だけでも、雪信の絵の贋作が13点もあり、本物はわずか1点しかない(同美術館は、展示会の一環として、偽の署名入りの作品のうちの1点を雪信の本物の作品と並べて展示し、来場者が本物と偽物を見比べられるようにした)。

米ボストン美術館所蔵の牡丹の図/Courtesy MFA Boston
米ボストン美術館所蔵の牡丹の図/Courtesy MFA Boston

ベリー氏は、自分がこれまで目にしてきた多くの贋作が、雪信に非常に多くのファンがいたことを物語っていると語る。

有名な画家の作品は、今も昔も模倣されることが多い。また、雪信の絵の贋作の市場規模を数値化するのは難しい。贋作の発見は容易ではない上に、多くの贋作が雪信の時代に作られたため、使用された材料も(本物と同様に)経年劣化しているからだ。

それでも「多くの贋作の存在は、雪信の人気を物語って余りある。ピカソの絵に価値がなければ、わざわざ絵に偽のピカソの署名を入れようとは思わないだろう」(チェルボーネ氏)

ベリー氏は、今後より多くの美術館が倉庫に眠っている雪信の作品をギャラリーの壁に展示することを願っており、残存する作品でも十分充実した個展が開催できると考えている。

ベリー氏は、2015年に東京のサントリー美術館で開催された展示会で雪信の作品が数多く展示されているのを見てうれしく思ったという。ただ、それは雪信の父、久隅守景に関する展示会だった。

またベリー氏は、渋谷の実践女子大学が、小規模ながら研究や展示会を通じて広く日本の女性芸術家たちへの注目を集めるための取り組みを行っていることも指摘している。

ベリー氏は「(日本の女性芸術家たちの研究を行っている)中核となる女性学者のグループが存在する」と述べた後、「中核となる男性学者のグループも存在すると言いたいところだが・・・」と笑いながら付け加えた。

またベリー氏は「物事が遅々として進まないことにいら立ちを覚えることもある」とも語った。

雪信が残した絵は世界中のコレクションの中のごくわずかかもしれない。それでもチェルボーネ氏は、何世紀も前の雪信のマークメイキングがいずれ有名になり、より多くの人々が彼女の作品に共感することを望んでいる。

チェルボーネ氏は、「筆跡は、その人の心の奥底にある真実を反映するという考えは、日本の書道や絵画だけでなく、東アジア全体に共通するものだ」とし、さらに「400年前、一人の女性が、自分は筆で絹に絵が描ける、そして自分には後世に残せるものがあると考えたが、それこそが男性優位の現実の中で女性として存在感を示す方法なのだ。今日の芸術家たちもなお、同じ課題に直面している」と付け加えた。

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