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薄れゆく墨 職人技を守る手彫り刺青師の闘い

日本最高峰の彫り師のひとり、三代目彫よし氏が日本外国特派員協会で技術を披露する様子

日本最高峰の彫り師のひとり、三代目彫よし氏が日本外国特派員協会で技術を披露する様子/KAZUHIRO NOGI/AFP/AFP/Getty Images

東京・六本木にある白い明かりに照らされた小さなスタジオ。壁際には素描が並んでおり、恐ろしげな武士や神話上の生き物がこちらをにらみつけている。

この場所で働く刺青(いれずみ)師、龍元さんは伝統的な日本の絵柄を専門にしている。色鮮やかで漫画的な形状は、自然や宗教的図像、浮世絵に着想を得たものだ。

その手法にも歴史が深く染み込んでいる。今なお「手彫り」の刺青を施している日本人彫り師は、龍元さんを含め一握りにすぎない。

入れ墨に関する日本最古の記録は2000年以上前。龍元さんのように先端に針を付けた棒を使う手法は数百年前にさかのぼることができる。手彫りの道具は現代のタトゥーマシンに比べ原始的に見えるかもしれないが、原理はほぼ同じだ。職人は針棒を使って手作業で表皮の下にインクを流し込み、装飾または処罰のために永久に消えない印を入れていった。

イタリアの写真家フェリーチェ・ベアトは1880年代、手彫りの刺青を入れた日本人男性の姿を捉えた
/Yokohama School
イタリアの写真家フェリーチェ・ベアトは1880年代、手彫りの刺青を入れた日本人男性の姿を捉えた /Yokohama School

龍元さんの器具も、こうした数百年来の道具とほとんど変わらない。ただ、衛生面を考慮して使い捨ての針先を使っている。龍元さんは技術を披露するため、親指のしわに沿って針棒を置き、繰り返し素早く動かしてみせたくれた。いわば掘るような動作だ。

現代のタトゥーマシンでは針を入れる深さを設定でき、彫り師が正しい層を突く助けになっている。だが、手彫りの職人が頼りにするのは感覚だけだ。龍元さんは伝統的な手法により「直感的」に彫りやすくなると語るが、輪郭を描く際には機械を使うことが多い。

手彫りの長所は、色が鮮やかで濃く、長続きする点だという。インクを1つしか使わないことから、よりなめらかな濃淡の変化も表現できる。

乱暴に見えるかもしれないが、龍元さんの考えでは手彫りの方が「痛みが格段に少ない」という。顧客の1人であるサカイ・リョウタさん(34)もこれに同意しつつ、伝統的な刺青の方が施術に時間がかかるため料金が高いと指摘した。

東京の三社祭で伝統的な刺青を見せる男性/FRED DUFOUR/AFP/AFP/Getty Images
東京の三社祭で伝統的な刺青を見せる男性/FRED DUFOUR/AFP/AFP/Getty Images

サカイさんは腕と胸部に手彫りの刺青を入れており、背中には三つ目の仏陀(ぶっだ)が描かれている。伝統的な手法を選んだのは龍元さんが細やかな色合いを出せるからだが、理由はそれだけではない。

サカイさんは電話インタビューで「若い頃から歴史に興味を持っていた」「特に好きなのは、こうした図柄が発展した江戸時代だ」と説明。「信心深いわけではないが、仏教や江戸時代、侍のデザインが気に入っている」と話した。

危機にひんする伝統

  
      
浮世絵の伝統を伝える職人たち

龍元さんはアーティストであると同時に職人でもある。日本の多くの職人と同様、最初は長い徒弟修行を経験した。

1年間にわたり師匠に付き従った後、プロになってヤクザの顧客のもとに同行するように。さらに7年間の研さんを積み、2000年代初頭に自分のスタジオを開設する心の準備が整った。

「手彫りは機械彫りより習得に時間がかかる」「角度やスピード、強さ、タイミング、刺す間隔など、多くの要素が絡むからではないか。全ての要素をコントロールする必要がある」

龍元さんの技術は危機にひんしているようだ。刺青に対する社会の姿勢はこの数十年で寛容になってきたものの、手彫りへの関心は限られているという。顧客のうち推定70%は外国人で、弟子も米国人だ。

「日本人の大半は機械彫りか手彫りか気にしたりしない」「むしろ重要なのはデザインや彫り師の腕だ」(龍元氏)

日本のボディーアートを研究する米パデュー大フォートウェイン校のミエコ・ヤマダ教授(社会学)によると、伝統的な刺青スタイルへの関心も薄れている。

ヤマダ教授は電話インタビューで、体の大部分を刺青で覆う日本の伝統に言及。「学生や会社員といった一般の人は現代の欧米風で小さな刺青を好んでいる」と指摘した。

ただ、逆風は他にもある。法律だ。厚生労働省は2001年、「針先に色素を付けながら皮膚の表面に墨等の色素を入れる行為」は医療行為に当たると通達。これ以来、彫り師は法律のグレーゾーンで活動してきた。

彫り師は医師免許を持たないことから、実質的な意味で、全員の活動が突如として違法になった。その後の摘発では違反者に対して最大30万円の罰金が科されたとも報じられている。

もっとも、刺青スタジオは広く許容されており、インターネット上では簡単に龍元さんを見つけることができる。ただ、スタジオは完全予約制で、外から見ると他の部屋と変わりない。

不安定な業界の現状について、龍元さんは現実的な解決策を提唱。「タトゥーをめぐる規則が必要だ。欧米のようなライセンス制度はどうか」と問いかけた。

今なお続くタブー

日本と刺青の関係は複雑で問題含みだ。ただ、日本には長い刺青の歴史があるが、宗教的な図像などの現在も使われる絵柄が出現したのは18世紀半ばのことにすぎない。

豊原国周の1863年の役者絵/Courtesy Museum of Fine Arts, Boston
豊原国周の1863年の役者絵/Courtesy Museum of Fine Arts, Boston

身体装飾は社会的地位の低い人たちの間で人気が高まっていたが、新政府により1868年に禁止された。当時の政府は近代化を進めており、外部の人から原始的とみなされかねない慣行の排除を図っていた。

第2次世界大戦後には禁止が解除された。しかし、刺青は組織犯罪と結びつけられるようになり、今もタブー視する見方が残る。(龍元さんが若かったころ、顧客の約半数はヤクザだったが、現在はヤクザ相手の仕事は断っている)

ヤマダ氏は「最近の日本人は刺青を入れた人に対して以前より寛容になったように見える。ミュージシャンやバスケ選手が刺青を入れているためだ」と指摘する。「ただ、見える位置に刺青があると解雇の恐れが出てくる。そのため刺青を隠す傾向にある」

今日に至るまで、公衆浴場やジムの多くは依然、見える位置の刺青を禁止している。こうした保守的な姿勢はあらゆる形の刺青に当てはまるが、龍元さんの見方では、衛生面での懸念も忌避感情を増大させる結果になっている。

「私の手法は機械と同じだ」「針は使い捨てで、手袋もはめている。それなのに昔ながらの技術だからという理由で、手彫りは汚い、安全ではないと思われている」

龍元さんに今できるのは業界の苦境に関する意識を喚起することだ。スタジオの棚には寄付を呼びかける箱があり、わずかな硬貨が入っている。その隣には簡潔なメッセージが掲げられていた。「Save tattooing in Japan」

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