ゴヤの絵画に「スターウォーズ」、アーティスト村上隆が語る創作の原点

「Murakami vs Murakami」と題された個展は、香港で6月1日~9月1日の日程で開催された/©Takashi Murakami/Kaikai Kiki Co., Ltd. All Rights Reserved.
写真特集:アーティスト村上隆の世界、香港での個展を振り返る

「Murakami vs Murakami」と題された個展は、香港で6月1日~9月1日の日程で開催された/©Takashi Murakami/Kaikai Kiki Co., Ltd. All Rights Reserved.

私のアートの原点は、1970年代前半の自らの経験にある。当時の日本は、第2次大戦敗戦後、国を再建している最中で、復興ムードに沸いていた。西洋の絵画が次々と日本に入ってきて、美術展に行くことが極めて人気の高い娯楽となった。わが家でも、毎週日曜日に両親が子どもたちを美術展に連れて行ったが、私はそれが嫌で仕方なかった。

まだ幼かった私にとって、絵画の鑑賞はとにかく退屈だった。一つ印象に残っている記憶は8歳くらいの頃、3時間も家族と列に並び、東京の美術館に展示されていたスペインの画家フランシスコ・ゴヤの作品を見たことだ。その絵には、ローマ神話に登場するサトゥルヌスが自分の子どもたちを食べている様子が描かれていた。恐ろしい描写が頭から離れず、夜眠れない日が何日も続いた。このトラウマともいえる衝撃的な経験が、今日の私の創作活動の礎になったと考えている。そこから学んだのは、作品を作るからには見た人の心を動かし、感嘆の声を上げさせるのでなければ何の意味もないということだ。

しかし小学生になると、漫画を読んだりテレビアニメを見たりする方がより重要になった。両親から絵画鑑賞を強制されることもなくなった私は、ウルトラマンやロボットアニメ、さらにボクシングや野球のスポ根漫画にのめり込んだ。思うにこの頃の経験が、現在手掛ける映画やアニメの制作の仕方に大きな影響を与えている。絵画や彫刻の作品についても同様だ。

幼いころの村上氏/Takashi Murakami
幼いころの村上氏/Takashi Murakami

家族と出かけた先での1枚(左に立つのが村上氏)/Takashi Murakami
家族と出かけた先での1枚(左に立つのが村上氏)/Takashi Murakami

中学1年の時、穴に落ちて頭蓋骨(ずがいこつ)と右手の骨が何本か折れた。そのけがで1カ月間の休学を余儀なくされ、授業について行けなくなった。やがて高校に入学するも、成績はひどいものだった。勉強する気は起きず、学校には何の楽しみもなかった。私はアニメや漫画にますますのめり込み、いわゆる「オタク」になっていった。

高校3年になって教師と大学進学について話し合ったが、どんなにレベルを下げても入れる大学はないと断言された。

もはや残された選択肢は成績が悪くても入れる美術大学しかないと悟った私は、教育に完全に見切りをつけ、本格的なオタクへの道を突き進んだ。

ちょうどその頃、日本で映画「スター・ウォーズ」が公開された。この映画の影響を受けたSFアニメや漫画は、今日もなお私の創造的な仕事の糧となっている。またほぼ同じ時期に出会ったと記憶しているのが、今やアニメ界の巨匠である宮崎駿氏が自身初のテレビアニメシリーズとして監督した「未来少年コナン」だ。宮崎氏のアニメのデザインは非常にシンプルだが、キャラクターたちの複雑な感情が見事に表現されていた。私は宮崎氏の世界観に心を奪われた。

複数の美術大学を受験したが、すべて不合格となり、2年間の浪人生活を送った。浪人時代は、朝5時半に起床して予備校に行き、夕方5時に予備校が終わると、私は友人とともに別の学生の家に行き、深夜まで絵を描いていた。

そしてついに、ある美術大学に合格したが、その大学に入るために最も競争率の低い学科を選択せざるを得ず、20世紀の日本画史を学ぶ羽目になった。これがまた退屈極まる授業で、毎日大学に通うのが苦痛だった。

フランシスコ・ゴヤ《我が子を食らうサトゥルヌス》/Christophel Fine Art/Universal Images Group Editorial/Universal Images Group via Getty
フランシスコ・ゴヤ《我が子を食らうサトゥルヌス》/Christophel Fine Art/Universal Images Group Editorial/Universal Images Group via Getty

その頃、日本はいわゆるバブル景気の真っただ中にあり、多くの現代芸術作品が輸入され、創造的表現の新たな形式として紹介された。当然、私もこの最先端の芸術に心を引かれた。

とりわけ強烈だったのが大竹伸朗氏の作品だ。同氏は1970年代後半から80年代中頃に流行した現代美術の様式「ニュー・ペインティング」の画家(特にドイツのアンゼルム・キーファーやジグマー・ポルケ)から多大な影響を受けている。大竹氏の展覧会を見て、私は頭をハンマーで殴られたような衝撃を受けた。それ以降「現代美術とは何ぞや」という疑問に取りつかれ始めた。

当時、その問いの答えとなる信頼できる文献は日本に存在しなかった。現代美術の日本への輸入はまだ始まったばかりだったからだ。私はニューヨークに行き、近代美術館(MoMA)を訪れるしかないと決心した。

MoMAではアンゼルム・キーファーの回顧展が開催されていた。巨大で暗い色調のピラミッドを主題にしたキーファーの絵画作品「オシリスとイシス」を見た私は、あまりにも深い畏敬の念にとらわれ、涙を流していた。

ちょうど米国の美術家ジェフ・クーンズもソナベンド・ギャラリーで個展を開いており、有名なマイケル・ジャクソンの磁器の彫刻を鑑賞する機会に恵まれた。ただその時は、作品の重要性や価値を理解するきっかけさえつかめなかった。

アンゼルム・キーファー《オシリスとイシス》/Courtesy Anselm Kiefer and San Francisco Museum of Modern Art / Photo: Ben Blackwell
アンゼルム・キーファー《オシリスとイシス》/Courtesy Anselm Kiefer and San Francisco Museum of Modern Art / Photo: Ben Blackwell

実際に現代芸術のシーンへと飛び込んだのはニューヨークに住むようになってからだが、そのころには日本画という忌み嫌っていたジャンルが私の作品の基礎になった。それ以降、自分の芸術や作品の背景について説明するとき、私は「スーパーフラット」なる言葉を使っている。スーパーフラットとは私自身が考案したコンセプトで、完全な平面を作り出す絵画のスタイルに戦後日本の文化的な苦境を重ね合わせることで生まれた表現だ。

2011年に日本を襲った地震と津波は私にとって大きな転機となった。自然災害で何万人もの人が一瞬のうちに命を奪われる現実に直面したとき、私は突然、そして完璧に理解した。なぜ日本の人々が一神教ではなく、八百万(やおよろず)の神々を信じているのかがはっきりと分かったのだ。私は仏教の500人の聖者「五百羅漢」への崇拝にとりわけ高い関心をいだき、表現の領域を広げる取り組みに着手した。例えば、長さ100メートルにわたる大災害の絵は、そうした五百羅漢をテーマに描いている。

村上隆《五百羅漢図》/Mori Art Museum, Tokyo ©︎2015 Takashi Murakami/Kaikai Kiki Co., Ltd. All Rights Reserved.
村上隆《五百羅漢図》/Mori Art Museum, Tokyo ©︎2015 Takashi Murakami/Kaikai Kiki Co., Ltd. All Rights Reserved.

2015年、東京の森美術館で展示された村上氏の《五百羅漢図》/Mori Art Museum, Tokyo ©︎2015 Takashi Murakami/Kaikai Kiki Co., Ltd. All Rights Reserved.
2015年、東京の森美術館で展示された村上氏の《五百羅漢図》/Mori Art Museum, Tokyo ©︎2015 Takashi Murakami/Kaikai Kiki Co., Ltd. All Rights Reserved.

現代芸術の理解が深まり出すのと同時に、古美術品の収集も始めた。人間が物を集める理由、とりわけ美術品を収集する理由が知りたかった。コレクションに病みつきになるまで、そう時間はかからなかった。ある作品を手に入れると、作者の筆さばきや鉛筆で付けた跡など、その作品の細部と自分の脳がシンクロする奇妙な錯覚に陥る。最近香港で開催された個展「Murakami vs Murakami」では、私が個人的に収集した奇妙な美術品のみを展示しているコーナーがある。

現在、私は従業員数が200人ほどの会社を経営している。従業員数は取り組むプロジェクトによって増減する。最初は制作アシスタントとして2~3人を雇っていたが、彼らの給料にかかる税金を支払う義務があるため、会計士を雇った。その後、入退社する人が増え始めたので人事担当者を雇うことになった。初めのころは毎日食べていくのがやっとの状態だったが、今は普通の小さな会社になった。このことは私にとって、大変なストレスの種になっている。というのも、芸術を生み出す営みと会社経営の仕事とは、お互いに全く相容れないものだからだ。

私の絵画作品の裏面には、制作に携わったスタッフの名前が記されている。制作に誰が関わったのか、後から調べられるようにするためだ。私やスタッフの死後長い時間が経っても、その関わりはこうして記録に残る。しかしアシスタントたちとの共同作業については、彼らの労力や創造力を搾取しているとの批判を受けることがよくある。こうした批判を聞くと、私はこれ以上ないほど意気消沈する。

映画や音楽の制作は共同作業として広く受け入れられているが、絵画に関しては芸術家が1人で描かなくてはならないという思い込みが根強く存在する。しかし、歴史を振り返ると、ミケランジェロのようにワークショップのような環境で作品を制作していた芸術家は多い。

スタジオで作品を制作する村上氏/Kenta Aminaka
スタジオで作品を制作する村上氏/Kenta Aminaka

スタジオで制作する村上氏とスタッフ/Shin Suzuki
スタジオで制作する村上氏とスタッフ/Shin Suzuki

香港で開催した個展のタイトル「Murakami vs Murakami」の中で私が示唆しているのは、「Murakami」という個人名が、ディズニーやルイ・ヴィトン、クリスチャン・ディオールのように、すでにブランド化しているのではないかということだ。

私のブランドの将来性を占う上で、今後人工知能(AI)がどう進化し、その向こうに何があるのかを想像することは有用かもしれない。将来、私がAIに「ここはもう少し明るくしたい」とか「この色はもっとシックに、そうじゃない、もっとカラフルに!」とAIに指示すると、AIは私の過去の作品を分析し、村上ブランドにとって最も適切な表現法を導き出すようになるだろう。

無論、そのように何でも予測できてしまうとつまらないので、もっと先の領域へと進んでいきたい。創造性を発揮して、計算可能な未来をことごとく覆すつもりだ。

村上隆氏の個展「Murakami vs Murakami」は、香港のアートセンター「大館(タイクン)」で19年6月1日~9月1日の日程で開催された。

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