ウクライナで死亡する米国人戦闘員が増加、遺体の帰還は複雑な作業に
キーウ(CNN) ウクライナの前線では、20人を超える米国人が作戦行動中に行方不明となっている。過去6カ月間で戦闘による死傷者は急増。自国の防衛に苦慮するウクライナの人員不足を外国人が緊急的に埋めている構図が、CNNによる調査で明らかになった。
CNNが調べたところ、ウクライナ軍に加入した米国人義勇兵少なくとも5人の遺体が戦場から収容できていないことが分かった。5人はこの6カ月間の戦闘で死亡した。このうち2人は先月24日、長い交渉の後でロシアの占領地域からウクライナの領土へと送還された。
生き残った彼らの同僚の生々しい証言や増大する死者数は、米国人戦闘員が不明瞭ながらも重要な役割を前線で果たしている実態を描き出す。トランプ米大統領はこの戦争を「馬鹿げている」と評し、ロシアのプーチン大統領に対して外交的な終結に向けた圧力をかけている。
行方不明となった米国人の親族はCNNの取材に答え、我が子の遺体を埋葬できないことで区切りが付かない苦しみを語った。公式の死亡宣告がされず法的に曖昧(あいまい)な状態に置かれる他、ロシアのネットユーザーの荒し行為にも悩まされるという。ウクライナ東部一帯で激戦が繰り広げられる中、両軍の兵士の遺体はしばしば収容もされず、戦場に散乱しているといった事態が生じている。
2人の米国人義勇兵がウクライナ東部ポクロウスク近郊で昨年9月、一度の事象により死亡した。生存者や親族が明らかにした。現在までどちらの遺体も収容されていない。ミズーリ州出身の元米軍兵士、ザカリー・フォードさん(25)と、もう一人の軍務経験を持たない米国人が、ドローン(無人機)1機によって殺害された。後者は家族の要望によりコールサインの「グンター」のみで記載する。2人はノボホロディウカの村近くにある橋を爆破する任務に就いていた。
この攻撃を生き延び、自身のコールサイン「レッドネック」として取材に答えた米国人は、当該の任務が成功する見込みは小さかったと説明する。彼ら米国人義勇兵3人は、すぐにロシア軍の銃火によって身動きが取れなくなった。ロシア側は彼らの標的だった橋から約500メートルの地点に塹壕(ざんごう)を掘っていた。
「ロシア軍のドローンは森林限界から飛行を開始し、掩体壕(えんたいごう)の屋根への体当たりを試みる」。レッドネックは先週、米国からCNNの取材に答え、そう振り返った。屋根の木材が落ちてきて、顔に当たったという。「ショットガンがあったので、相手を撃ち落とそうとしていた」
フォードさんは無線で司令官に連絡を取り、任務は失敗すると伝えたが、継続するよう命令された。翌日になれば退避は不可能になるとも告げられたという。襲撃が始まり、レッドネックは機関銃で前方のロシア人を直接撃った。擲弾(てきだん)発射器と対戦車兵器「ジャベリン」を担当していたウクライナ人たちは、ロシア軍の装甲車両を食い止める中で死亡した。
レッドネックは弾薬を取るため掩体壕に入り、ぎりぎりでドローンの爆撃をかわしたが、フォードさんとグンターは負傷した。フォードさんの傷は止血帯が二つ必要だったとレッドネックは語る。止血を済ませたフォードさんは再び防戦に加わったが、その目の前でウクライナ兵が顔を撃たれて致命傷を負ったという。
数分後、レッドネックはフォードさんが叫ぶのを聞いた。「グンターが死んだ」。「確認しに行くと、そこにいたウクライナ人がちらりとこっちを見て、『友人は死んだ』と言った」。フォードさんの状態は安定していた。司令官は無線を通じ、ロシア軍の次の攻撃が迫っていると警告した。
レッドネックによると、フォードさんは「次の攻撃を切り抜けることは自分たちにはできないと分かっていた」。「だから自分を殺すよう頼み始めた。捕虜にならずに済むように」。レッドネックはフォードさんの頼みを拒み、なんとか切り抜ける方法を見つけると告げると、予想される襲撃に備えて再度武器に銃弾を装填(そうてん)した。
するとフォードさんは「すっかり静かになった」という。「数分後、彼は私を呼び寄せ、止血帯を緩めたと言った」。レッドネックは止血帯を締め直したが、フォードさんは既に大量の血液を失っていた。
レッドネックによると、フォードさんの最後の頼みは太陽の光を見ながら死ぬことだった。「頭を扉の方へ向けて、彼を寝かせた。外の太陽が見えるように。後はただ彼の手を握っていた。最後に聞き取れた彼の言葉はこうだ。『ろくでなしどもに殺されたってことには、絶対にしないでくれ』」
フォードさんが表に出した感情は外国人の戦闘員に共通のものだったと、レッドネックは語る。
レッドネックにとって最も鮮明なフォードさんの記憶は、小さな青いスピーカーを持ち歩いていたことだった。そのスピーカーでよく、英国のアーティスト、アルテマスの楽曲「I like the way you kiss me」をかけていた。「いつも音楽をかけて、スピーカーの周りで踊っていた」(レッドネック)
レッドネックによれば、外国人の義勇兵が前線で生き残れるかどうかは、本人の経験の度合いもさることながら、加入した部隊から与えられる任務にも左右されるという。外国人とウクライナ人に同等の任務を与える将校もいるが、「(外国人を)使い捨てにしてあっという間に死なせる将校もいる」。
レッドネックは自身の所属する旅団が敗れたのは、判断能力のない劣悪な将校の責任だと考えている。彼は「肉ひき機に肉を入れるみたいに、誰彼構わずただ送り込んだ」という。
「ここまで来たら、米国の戦いではない、などと言うことはできない」。そうレッドネックは指摘する。批評家たちは今回の戦争を「ウクライナの問題」にしようと努め、「すぐに和平が実現できれば、もう関わる必要もなくなる」と口にする。「実際には、戦闘が止まることはない」。レッドネックはそう付け加えた。
米国から取材に応じたレッドネックの所属部隊は、当該の戦域を離脱した。後になって、ドローン映像に映るフォードさんとグンターの遺体を見たという。彼らが戦った戦域は、現在ロシアの支配下にある。

元米海兵隊員のコリー・ナブロツキさん。母親によると大勢の民間人が苦しんでいるのを見てウクライナ行きを決めたという/Sandy Nawrocki
死者を前線から取り戻す手続きは、骨が折れる上に感情の問題も絡む。ペンシルベニア州出身の元海兵隊員、コリー・ナブロツキさん(41)は昨年10月、ロシアのブリャンスク州での戦闘で死亡した。
ロシア兵たちはナブロツキさんの遺体をSNSテレグラムで見せびらかしたが、遺体は複雑な交渉を経て、他の800人近い戦死者と共に先月24日にロシアによりウクライナへ返還された。その中には行方不明になっていた別の米国人の遺体もあった。
ナブロツキさんの母親のサンディさんは涙ぐみながら、安堵(あんど)と悲しみが入り交じる感情に翻弄(ほんろう)されていると明かした。ただ遺体が戻ったことで肩の荷が下りたと説明し、これでロシア兵が息子の遺体に何をするか心配せずに済むと語った。
サンディさんによると、ナブロツキさんは海兵隊での20年のキャリアでイラクやアフガニスタンに従軍した。ウクライナで戦うことにしたのは、大勢の民間人が苦しんでいるのを目の当たりにしたからだという。
「罪のない人々が殺されている。赤ん坊が虐殺されている」「そのことで大いに心を痛めていたのだと思う」(サンディさん)

ナブロツキさんと母親のサンディさん。サンディさんが息子の死の知らせをSNSで共有したところ、ロシア人の荒し行為に遭ったという/Sandy Nawrocki
ナブロツキさんは傷を負った同僚を助けようとしたところを撃たれて死亡した。サンディさんはそのように伝えられたと話す。
ナブロツキさんの遺体や武器の画像は、ロシアのソーシャルメディアで広く共有された。サンディさんの住所や自宅の動画も投稿されていたという。ナブロツキさんの海兵隊時代の友人にソーシャルメディア上で本人の死を知らせようとすると、荒し目的の親ロシア派のユーザーが現れ、悪意あるコメントや笑顔のマークなどを投稿していった。
息子にはウクライナへ行って欲しくなかったが、「これはいわれのない戦争だった」「全ての人にとっての戦争だ。ロシアがウクライナに勝利すれば、ポーランドに影響が及ぶ。そうなれば全欧州諸国に影響は波及する」と、サンディさんは語った。
死亡した米国人の本国送還は、関係者らにとってこれ以上なく複雑かつ感情に訴える道筋をたどる。ウクライナの首都キーウに住む米国人のローレン・ギヨーム氏は非営利団体で働き、外国の家族が愛する人を探すのを支援している。そのためしばしば遺体安置所をウクライナ人の調査員と巡り歩くことになる。
身元の特定は、視覚で確認する方法とDNA検査で可能になる。
ウクライナの当局者らによれば、死者の身元の確認作業は遺体がロシア側から引き渡された場合の方がより困難だという。「遺体の交換後、渡される袋には別の人々の部分遺体10点が入っている可能性もある」と、ウクライナ内務省で行方不明者の対応を統括するアルトゥル・ドブロセルドフ氏は説明する。
ドブロセルドフ氏は現在20人以上の米国人が戦闘で行方不明になっていることを確認した。その上で、遺体の一部を本国送還できるのは、全ての部分遺体の身元特定が済んでからだとした。遺族が肉親の一部を埋葬した後で、さらに別の部分遺体が届く事態を避けるためだという。
ギヨーム氏が支援できた最初の事案の一つは、テキサス州出身の元陸軍兵士、セドリック・ハムさんに関するものだった。ハムさんは昨年3月、北部の国境に接するスムイ州で死亡した。ハムさんの家族は、遺体に彫られたアステカ族と米軍のタトゥーの独特な組み合わせからハムさん本人の遺体であることを確認した。遺体の映像はギヨーム氏が遺体安置所から動画配信したものだ。遺体はその後、12月にテキサス州サンアントニオに向けて送還された。

昨年3月に北部スムイ州で死亡した元陸軍兵セドリック・ハムさんの遺体は、12月に地元テキサス州へ送還された/Raquel Hamm
母親のラクエルさんは、「正直なところ、息子が見つかるとは予想していなかった」と明かす。「息子が戦場で究極の犠牲を払ったのは、ウクライナ人の自由のため。そのことはずっと私と共に生き続ける。あの子は無駄に命を落としたのではない」
「彼はとても献身的だった」。ハムさんと共に戦った米国人戦闘員はそう振り返る。安全上の理由からミッチェルという仮名で取材に応じたこの戦闘員は、ハムさんが死亡した戦闘で負傷。現在は米国で傷を治している。
ギヨーム氏によると、外国人の死亡宣告が可能になるのは遺体のDNA検査のような物理的な確認が取れた場合。また、死亡を示す十分な証拠があれば裁判所の判断を通じても行える。「手続きには時間がかかる」とギヨーム氏は言い添えた。昨年3月の時点で同氏の団体が扱っていた件数は16だったが、現在は死亡もしくは行方不明となった18カ国の外国人88人に対応している。そのうちの半分が米国人だ。ギヨーム氏によれば「ほとんどは作戦中に消息を絶っている」という。
ウクライナで死亡した米国人義勇兵の実際の人数は依然として不明確だと同氏は話す。
死者や行方不明者が増加しているのは、外国人らが過酷な前線地域へ送られているためだとギヨーム氏はみている。そこでは彼らの持ち前の軍務経験が必要とされる。「足りない部分を外国人が補うことで、非常に困難かつハイリスク・ハイリターンの作戦が遂行されている。彼らの命と犠牲は、無駄にはならない」