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河瀬直美監督が撮る東京五輪、見たことのない記録映画に

東京五輪の公式記録映画の監督を務める河瀬直美氏

東京五輪の公式記録映画の監督を務める河瀬直美氏/ Yohei Osada/AFLO SPORT/Alamy Live News

映画監督の河瀬直美氏は、タクシーの後部座席で電話をかけている。このインタビューを受けつつ、次の撮影に移動する。詩情あふれる映画作りで知られる監督だが、コメントは手短だ。時間が押している。無理もない。インタビューは、東京五輪開幕までわずかというタイミングで行われた。

日本で最も著名な女性映画監督である河瀬氏は、1年延期となった五輪の公式記録映画の制作に没頭している。自ら計算したところによると、すでに300時間を超える映像を撮影。今後少なくともあと100時間分の映像を撮る予定だという。大会の形式については把握しているものの、残りの部分は全く予測のつかない時間になりそうだ。ここで言う不確かさとは、大会期間中の選手の勝敗と一切関係がない。

CNNとの今月初めのインタビュー時には、東京での緊急事態宣言は出されておらず、都内の競技会場が無観客になるとのニュースもまだ流れていなかった。そうした状況で、河瀬氏は自らの構想を明らかにした。それは五輪のドキュメンタリーの基準からすると先鋭的なもので、この時点からすでにパンデミック(世界的大流行)を深く意識した内容だった。したがって台本に現れた上記の新たな曲折も、映画にとってはマイナスよりプラスに働く公算が大きい。50年後、あるいは100年後も残るような作品にしたいと、河瀬氏は意気込む。

否定と肯定、どちらも記録するのが重要

2018年の映画「Vision」の撮影現場。演出する河瀬直美監督(右)と主演のジュリエット・ビノシュ/Alamy Stock Photo
2018年の映画「Vision」の撮影現場。演出する河瀬直美監督(右)と主演のジュリエット・ビノシュ/Alamy Stock Photo

今回の依頼を引き受けることで、河瀬氏は市川崑、クロード・ルルーシュ、ミロス・フォアマン、アーサー・ペン、レニ・リーフェンシュタールといった面々に続く優れた映画監督として、五輪からの求めにこたえる。しかしその名声にもかかわらず、2018年に同氏が公式記録映画の監督に選ばれたときには、疑念を口にする向きもあった。恐ろしく独立心の強い監督が、あれほどの巨大組織とただ関わるのみならず協力してやっていけるのか? 「光」、「萌の朱雀」といったなじみある作品での受賞歴を持つ監督が、自らのスタイルの調整を強いられ、五輪のような肥大化した商業イベントに順応せざるを得なくなってしまうのではないか?

見たところ、河瀬氏は依然として確固たる信念を持っている。パンデミックにより仕事のやり方を変えることを余儀なくされてもそこは譲らない。

先達の監督らと同じく、河瀬氏は世界各国の選手たちを取り上げる。そこで紹介される選手たちのバックグラウンドこそ、映画とテレビ中継とを明確に区別するものになると、同氏は説明する。同じ女性として母である選手に焦点を当てたくなるとし、母親になってからもトップアスリートの地位を築いている選手には進んで接近する。自身としてもかなりユニークな手法だとの認識を示す。

そのために、河瀬氏は国外の若い映画監督のネットワークを活用。なら国際映画祭(河瀬氏がエグゼクティブディレクターを務める)でつながるこれらの監督を通じて海外での撮影を行う一方、選手たちにはリモートでインタビューした。

こうした素材のほか、100人のスタッフもいると河瀬氏は語る。彼らは日本中を駆け回り、五輪の準備をする人々を記録する。非常に積極的かつ前向きな気持ちで取り組んでくれているという。

東京五輪の公式記録映画の撮影に臨む河瀬氏/courtesy Tokyo 2020
東京五輪の公式記録映画の撮影に臨む河瀬氏/courtesy Tokyo 2020

ただ河瀬氏のレンズははるかに広範囲をとらえており、被写体は選手や組織の関係者といった、この手の映画で通常みられる取り合わせにとどまらない。そこでは五輪を取り巻く状況が1つの役割を果たす。取材者としての好奇心も同様だ。東京をはじめとする日本全国の医療従事者は新型コロナウイルスに対応する中で、現在どのような思いを抱いているのか? そうした問いかけから、河瀬氏はある病院とそのコロナ病棟を訪れ、より多くのことを知ろうとしている。

河瀬氏は、東京羽田空港での自主隔離措置に携わるスタッフも撮影。パンデミックの中、最前線の現場で働く人々の仕事はかつてないほど過酷なものとなっており、睡眠や食事も満足に取れない状況だと説明した。

昼夜を問わず尽力し、可能な限り安全で安心な五輪を実現しようとする人々こそが、今回のドキュメンタリー映画で真に重要な役割を担っているとの見方を河瀬氏は強調する。

さらに同氏は、パンデミックの最中の五輪開催に反対する人々や、五輪から距離を置く人々にも取材し、その中にはボランティアを辞退した人も含まれる(河瀬氏はその理由を詳述していない)。

この時代の記録として、否定的な感情と肯定的な感情の両方を保持することが極めて重要だというのが河瀬氏の考えだ。五輪は否定的な感情の原因ではなく、むしろそのはけ口になっている可能性にも言及する。そうした感情は自分たちの生活がコロナによって脅かされているという不安であり、政府から十分な情報が得られないことに対する不満だ。こうした感情の結果、なぜこのような巨大イベントを日本で開かなくてはならないのかという疑問が生まれている、と河瀬氏は指摘する。

警察官と対峙し、東京五輪の中止を訴える抗議デモ参加者=7月17日/YUKI IWAMURA/AFP/AFP via Getty Images
警察官と対峙し、東京五輪の中止を訴える抗議デモ参加者=7月17日/YUKI IWAMURA/AFP/AFP via Getty Images

レジェンドの足跡をたどって

それがいかに不快であろうと真実を探求するという姿勢は、反発を呼ぶことも予想される(国際オリンピック委員会が河瀬氏に監督を委託した)。河瀬氏より前に、日本人映画監督として五輪を撮り、実際にそうした事態を招いた人物がいた。故市川崑監督は1964年の東京五輪の記録映画を手掛けたが、依頼元はこの作品をよく思わず、作中の映像を使用して別の映画が作られた。この「東京オリンピック 世紀の感動」は好意的に受け入れられたものの、市川監督が印象に忠実に、思い切りよく撮った「東京オリンピック」の方が、現在ではスポーツ映画史上の最高傑作の一つとみられている。

1964年の前回東京五輪で撮影スタッフに指示を与える市川崑監督(中央)/Alamy Stock Photo
1964年の前回東京五輪で撮影スタッフに指示を与える市川崑監督(中央)/Alamy Stock Photo

河瀬氏は畏敬(いけい)の念を込め、同作について非常に挑戦的な実験との認識を示す。それは64年大会の記録と、市川監督の目を通して語られた大会の物語の両方にほかならない。市川監督と同様、河瀬氏もまたドキュメンタリーの中の物語に重点を置くことを意識するという。ひらめきに任せていると、人は方針を見誤る場合もある。

1964年と2020年の五輪は、すでに多くの共通点を持つ。例えばどちらの大会も日本の「復興」を掲げているという点だ。前者は第2次世界大戦からの国家の再生。後者は11年に起きた福島第一原発の事故からの再出発と結びつく。インタビューの時点で河瀬氏は五輪の開会式に先駆け、福島市を訪れてソフトボールの試合を取材する予定。五輪開幕より早く競技が始まるソフトボールは3大会ぶりに正式種目に復帰した。東京と同じく、福島も無観客での五輪開催となる。

23日の開会式、河瀬氏は東京のオリンピックスタジアムの舞台裏で、1万人余りの選手たちがほぼ空席の競技会場に足を踏み入れる様子を記録する。テレビでは見られない映像を押さえるのが目的だ。開会式後は芝生が入れ替えられ、陸上競技の準備が行われる。当然、河瀬氏はそこで夜通しカメラを回す。

人目に触れない仕事をこなすこうした人々の支えなしに大会の実現はあり得ないと、河瀬氏は説明する。自分は事実を撮るつもりだとし、そうすることが自分にとって多くの意味を持つと付け加えた。

映画は来年の早春に完成予定で、日本公開は同年夏。河瀬氏はかなり厳しいスケジュールになると認めつつ、全て計画通りに運べば5月のカンヌ映画祭で初上映できるかもしれないと語る。

次の五輪の開催都市がパリなので、ぜひフランス最大の映画祭でこの映画をお披露目したいという。当然カンヌが受け入れてくれるという条件付きで、と話す河瀬氏だが、心配は無用だろう。カンヌの常連である同氏は、これまで自身の9作品を現地で上映している。

他に類を見ない五輪は、その記録映画も唯一無二のものとなるはずだ。完成はまだ先だが、あらゆる兆候が示すように、河瀬氏は映像を通じて極めて貴重な視点を提供してくれるだろう。その場にいることのできない、数十億の人々に向けて。

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