(CNN) 多くの命を奪うナパーム弾攻撃から逃れる子どもたちを写したベトナム戦争中の写真「戦争の恐怖」の撮影者について、世界報道写真財団が新たな疑念を投げ掛けた。「ナパーム弾の少女」という呼称の方が通りが良いこの作品は、20世紀を決定づける写真の一つと目されているが、その撮影者を巡っては論争が繰り広げられている。
世界報道写真財団は16日、1973年に「今年の写真」として選出した同作について、当時AP通信のカメラマンだったニック・ウト氏を撮影者とする長年の見解を「保留」した。付属の報告書によれば「視覚的並びに技術的な」証拠から、撮影者が別人だった可能性も示唆される状況に「傾いている」という。最近浮上したその説ではベトナム人のフリーカメラマン、グエン・タン・ゲ氏が同作の撮影者とされている。
この論争に火が付いたきっかけは、今年1月にサンダンス映画祭でプレミア上映されたドキュメンタリー映画「The Stringer」だった。映画は、写真を撮影したのはゲ氏であってウト氏ではないと主張する内容。写真が撮影された1972年6月8日、ゲ氏は他の10人以上と共にトランバン村の外を走る幹線道路の検問所にいた。写真に写る当時9歳の少女だったファン・ティ・キム・フックさんをはじめとする村人たちは、敵と誤認した南ベトナム空軍から爆撃を受けていた(1年後、この写真によってウト氏はピュリツァー賞を受賞した)。

ドキュメンタリー映画「The Stringer」のプレミア上映に出席したフリーカメラマン、グエン・タン・ゲ氏/Maya Dehlin Spach/Getty Images
映画の主張によれば、ゲ氏が撮影した写真をAP通信に売ったところ同社が編集段階で写真のクレジットをウト氏にしたという。ウト氏は当時、AP通信のカメラマンとしてサイゴン(現ホーチミン)に派遣されていた。CNNは映画の主張を独自に検証できていない。映画はまだ一般公開されておらず、映画の制作会社にコピーを再三要求しても返答はなかった。
ウト氏は自身が写真の撮影者ではないとする主張を繰り返し否定。代理人の弁護士による声明を通じて、自身を撮影者とする見解を保留した世界報道写真財団の判断を「嘆かわしく、プロ意識に欠ける」と批判した。またゲ氏の主張には裏付けとなる証拠も目撃者も皆無だと付け加えた。
AP通信も今月、この件に関する96ページの報告書を公表。目撃者への聴き取りやカメラの検証、現場の3Dモデル、残存するネガなどの調査を行った結果、撮影者の変更を正当化する「決定的な証拠は見つからなかった」とした。年月の経過や重要な証拠の欠如などから、ウト氏が写真を撮影したのかどうかを「完全に証明することは不可能」と認めつつ、ゲ氏を撮影者とするには「非論理的な見方が複数必要になる」と示唆した。
一方、世界報道写真財団はウェブサイト上で、「疑念の水準が非常に甚大なため、撮影者に関する既存の帰属性を維持できない」と説明。同時に他のカメラマンを撮影者とする決定的な証拠もないことから当面は撮影者を巡る見解の「保留」を継続するとした。
同財団はまた、ウト氏でもゲ氏でもないベトナム人の従軍カメラマンが写真を撮影した可能性もあると指摘した。AP通信の調査によると、この従軍カメラマンもウト氏やゲ氏と同様、「当該の写真を撮影できるポジションにいることは可能だった」という。

共に写真に収まるニック・ウトさん(右)とファン・ティ・キム・フックさん=2023年撮影/Ezequiel Becerra/AFP/Getty Images
撮影翌日に世界中の新聞に掲載された「戦争の恐怖」は、ベトナム戦争反対のシンボルとなった。それから数十年、ウト氏は被写体となったフックさんと共に平和を訴える活動に従事している。空爆で複数の傷を負いながらも一命をとりとめたフックさんは、92年にカナダへの政治亡命を認められた。
ピュリツァー賞の主催者は電子メールでCNNに寄せた声明で、ウト氏への賞の授与について「今後措置を講じる見込みはない」と述べた。応募作品の帰属の決定は提出元の各通信社に依拠しているとし、AP通信による広範な調査からは現撮影者のクレジットを取り下げるに足る十分な証拠が示されなかったとした。
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原文タイトル: Who took ‘Napalm Girl’? World Press Photo ‘suspends’ attribution of historic Vietnam War image (抄訳)