Architecture

ザハ・ハディド氏死去から2年、今なお大きな影響力

故ザハ・ハディド氏

故ザハ・ハディド氏/COURTESY BRIGITTE LACOMBE

先駆的な建築家のザハ・ハディド氏は2年前の3月に死去した。65歳だった。

ハディド氏はプリツカー賞や王立英国建築家協会(RIBA)ゴールドメダルといった権威のある賞を女性として初めて受賞。その天性の才能はロンドンのアクアティクス・センターから北京の銀河SOHOに至るまで、同氏が遺した数々の建物の中に今なお息づく。

しかし「曲線の女王」の異名で知られたハディド氏の遺産は、40年間のキャリアで積み重ねた賞や建物よりも深いところに脈打っている。

ハディド氏は1950年イラク生まれの女性として、社会的にも芸術的にも一貫して限界に挑み続け、建築家という職業の頂点にたどり着いた。その過程で、夢を大きく持つよう新世代の女性を鼓舞してきた。

CNNは今回、ハディド氏をよく知る人や中東の若い建築家らに話を聞いた。

タリク・カヤット(ザハ・ハディド・アーキテクツの中東部門長)

「彼女は曲線の女王であり直線の女王、あらゆるものの女王だ。建築の女王とも言える。その精神と方法論は今でも将来世代を触発し続けている」

「ザハは建物、コンクリや鉄にとどまらない遺産を残したいと考えていたのではないか。この世でのザハの使命と夢は、『現在という時を超えて大きなスケールで考えよう。地に足を付けて、しかし常に未来を見据えていなさい』というメッセージを伝えることだったように思う」

ナダ・タリヤム氏(Bee’ah社の民生・建築プロジェクト責任者)

「ザハは中東における若い女性建築家の門戸を確かに開いた。プロジェクトを建設にこぎ着けるのに悪戦苦闘しつつも、ついにそれを成し遂げて、世界で最も有名な建築家のひとりになった」

「われわれ全員にとって勇気の出る話だ。必死で自分の力を証明しなければという気持ちにさせてくれる」

Bee’ahはアラブ首長国連邦(UAE)に拠点を置く環境管理会社。

イエメン人建築学生のネスマ・マンスールさん
イエメン人建築学生のネスマ・マンスールさん

ネスマ・マンスールさん(アデンに住むイエメン人建築学生)

「私たちは戦争や停電を経験してきた。ふつうの環境で勉強したことが一度も無いという学生も多い」

「ザハが私に希望を与えてくれたのは、何事も簡単にはいかなかったからだ。女性やアラブ民族だという理由で周囲から過小評価される困難な状況をくぐり抜けた」

「私は女性が常に過小評価される国で暮らしている。『なぜ工学を専攻したのか。男の専攻じゃないか』と毎回のように聞かれると、ザハとのつながりを感じる。ザハと同じ痛みや過小評価のプロセスを経験しているような気がするからだ」

「ザハは諦めないであれだけの人物になった。決して諦めてはいけない、常に希望を抱き続けていこうという気持ちにさせてくれる」

エバ・ジリクナ氏(チェコ生まれの建築家でザハの友人)

「ザハは『女性建築家』という言葉を嫌っていた。『最高の女性建築家』と呼ばれるのも嫌がっていた」

「女子学生は男子学生よりも優れていることが多いと心から信じていたし、そう口にするのをためらわなかった。同じように活躍した他の誰よりも女性に働く機会を与えてくれた」

中国の銀河SOHO
中国の銀河SOHO

リヤド・ジョウカ氏(ヨルダン系カナダ人の建築家)

「彼女はロールモデル。世界の建築家にとってこれからもロールモデルであり続けていくと思う」

「私が独創的な建築を目指して模索していたのは、ザハの作品が何事も可能だと示してくれたからという部分が大きい」

「私はいつもザハの初期のキャリアのあり方を振り返っており、それが絶対的な希望をもたらしてくれる。彼女の遺産は今も息づいていて希望の光を与えてくれる」

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