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南シナ海に群がる「海上民兵」、中国政府は存在すら認めず<下>

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フィリピン沿岸警備隊などから提供された2021年3月7日の写真。南シナ海のウィットサン礁に停泊する中国船の一部が見える/Philippine Coast Guard/National Task Force/AP

フィリピン沿岸警備隊などから提供された2021年3月7日の写真。南シナ海のウィットサン礁に停泊する中国船の一部が見える/Philippine Coast Guard/National Task Force/AP

香港(CNN) 米ランド研究所の専門家デレク・グロスマン氏によると、中国海上民兵の概念のルーツは、1949年に起きた共産主義革命の直後にさかのぼる。当時、毛沢東率いる政府は沿岸防衛の方途を模索していた。

特筆すべき海軍を持たなかった中国政府は、追放された国民党政権が残した海上民兵に資金と訓練時間を注ぎ込んだ。数年後には地元漁業が集団化され、共産党による民兵の統制には新たな次元が加わった。

1960年代、人民解放軍海軍はその発展に伴い、海上民兵に軍事戦術や作戦の訓練を施した。海軍の任務で海上民兵を活用する場面も増えていったという。

転機は74年。南シナ海にあるパラセル(西沙)諸島の支配をめぐり、中国が当時米同盟国だった南ベトナムと戦っていた際、戦闘に漁船を活用することの価値が証明された。

中国の民間漁船の存在で南ベトナム軍の意思決定が遅れる中、人民解放軍海軍はトロール漁船2隻を使って中国兵500人をパラセル諸島に送り込んだ。

中国兵が到着すると、南ベトナムの守備隊は降伏する結果となった。

「中国が学んだ重要な教訓は、漁業民兵を活用した場合、相手が米同盟国であろうと米国の介入を誘発する可能性が大幅に低くなるということだった」(グロスマン氏)

南シナ海ではフィリピンがそうした米同盟国のひとつだ。専門家や当局者によると、中国はオランダ・ハーグの常設仲裁裁判所によってフィリピン領と認定された領域を掌握するため、海上民兵を作戦投入してきた。

中国が1995年にミスチーフ礁、2012年にスカボロー礁をそれぞれ支配するに至った作戦には、海上民兵の姿があったとグロスマン氏らは指摘する。

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