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好景気に沸いた70~80年代日本の夜、カナダ人写真家が撮影

池袋駅の車掌

池袋駅の車掌/Greg Girard

カナダの著名な写真家グレッグ・ジラード氏は1976年4月に東京に降り立った。東京にはほんの数日だけ滞在するつもりだった。当時、20代前半の「貧乏旅行者」だったジラード氏は、滞在コストの安い東南アジアの目的地に向かっていた。

ジラード氏は羽田空港で荷物を預け、泊まる場所もなく、東京での初日はカメラを片手に活気のある新宿の街を歩き回った。

「当時、西側諸国でこの近代都市(東京)をテレビなどで目にする機会は皆無だったため、見るもの全てに驚いた」

ジラード氏はビデオインタビューでそう振り返った。

西欧諸国の一般の人々がアジアの主要都市を知るきっかけとなったのはSF映画「ブレードランナー」や90年代のポップカルチャーだったが、ジラード氏が東京を訪れたのはそれよりもはるか前だったという。

「結局、東京に到着したまさにその日に、ここに滞在しようと決めた」(ジラード氏)

ジラード氏の気まぐれで始まった東京滞在は4年に及んだ。ジラード氏は、昼間は英語を教え、夜は東京の街の写真を撮った。アパートを借り、その近くで借りた小さな暗室で写真の現像を行った。

当時はジラード氏自身も気付かなかったが、彼が東京で撮った写真には90年代に発生した有名な日本のバブル経済の崩壊前の好景気の様子が写っていた。

円高が進行し、市場の投機が急増した結果、日本は金融危機に陥った。しかし、それ以前は日本が豊かになり始めているという明白な感覚があったとジラード氏は語る。それはジラード氏が撮影した家電製品、オフィスビル、活気のある交差点の写真からも感じられる。

「当時は日本が台頭した時期だったが、世界はまだ何が起きているのかはっきりと認識していなかった」。ジラード氏はそう語り、さらに「当時の日本は西洋に比肩する国とみなされ始め、非常に楽観的で、力強い成長を遂げていた」と付け加えた。

ジラード氏の新刊写真集「JAL 76 88」には、当時ジラード氏が東京で撮影したえりすぐりの貴重な写真が掲載されている。 

暗がりに差す光

ジラード氏は、夜の東京の街をさまよっているうちに、急成長する日本経済だけでなく、仕事が終わった後の街の様子にも魅了された。ジラード氏の写真集に掲載されている写真の多くは、日本の影の部分を写し出しており、中には裸の女性のポスターの写真や怪しげなナイトクラブの入り口の写真もある。また人けのないホテルの部屋の写真は、その部屋で一体どんなことが起きたのかと想像させる。 

「『日本株式会社』の運営(労働者たちが翌日の勤務に備えて早く就寝できるようにする)という実用面と、望めば一晩中夜遊びをしてストレスを発散できるメカニズムは区別されていた」とジラード氏は述べ、さらに「この2つは併存していた」と付け加えた。

ジラード氏は「列車の運行は深夜に止まるため、終電が出てから(翌朝)始発電車が動き出すまでの間、何をして過ごすかに関するサブカルチャーが存在した」とし、さらに次のように続けた。

「当時は、ゲームセンターや24時間営業の喫茶店があり、人々はそこで高いコーヒーを前に居座った。ボックス席で一晩中寝ていても誰も文句は言わなかった。彼らは寝るためにそこにいるようなものだった」

奈良のホテルの室内の様子/Greg Girard
奈良のホテルの室内の様子/Greg Girard

かつては未来的に見えたジラード氏の写真からは、長時間露光モードによる鮮やかなグリーン、ピンク、ブルーの色がにじみ出ている。

ジラード氏はカメラのレンズに光を流れ込ませ、暗がりの中のものに光を当てた。写真がぶれないようによく三脚を使用し、光の出どころではなく光が差している場所に焦点を当て、ネオンの光を放つのではなく、その光を浴びている日本の都市を描いた。

「ネオンサインの月並みな文句のことは忘れ、ネオンの光がどこに注いでいるのか、人々か、建物か、車か、水たまりか、あるいは別の場所かを確認するのが正しいと感じた」(ジラード氏)

写真のキャリア

ジラード氏の新刊写真集のタイトル「JAL 76 88」は、日本航空のコールサインと、写真集に掲載されている写真を撮り始めた年と撮り終えた年の組み合わせだ(ジラード氏は、香港に移住した後、80年代後半に仕事で日本を訪れた際に撮った写真も追加した)

さらに昼間に撮影した数十枚の写真や、えりすぐりの白黒写真も掲載されている。ジラード氏は、モノクロフィルム入りのカメラとカラーフィルム入りのカメラを同時に2台持ち歩くことも多かった。

ジラード氏の写真には活気や力強さが感じられるが、特に説得力のある写真の中には人の活動が全く写っていない写真もある。例えば、人けのない建設現場や、街頭に照らされた誰もいない通路などだ。

ジラード氏は、東京に慣れるにつれ、写真撮影をより閑静な地区を探索する口実として利用した。写真を撮るという目的がなければ、ジラード氏がそのような場所を訪れることはなかったかもしれない。

「歓楽街からすぐの路地や通りにしても、あるいはごく普通の地域にしても、それぞれ独自の日常があった」とジラード氏は述べ、さらに「私はぶらぶら歩きながら、沿岸の路地を見下ろしていたが、その後、そこは東京でも人気の場所になった。どこに住むにしても、写真撮影はその街に詳しくなる1つの方法だ」と付け加えた。

神奈川県横須賀市のナイトライフ/Greg Girard
神奈川県横須賀市のナイトライフ/Greg Girard

また東京での経験は、ジラード氏のカメラスキルの向上にも役立ち、彼が写真家として成功するための基礎を築いた。

ジラード氏は、日本にいた数年間に長時間露光やさまざまな種類のフィルムを意識的に試すようになり、技術的にも上達し始めたと述べ、「だから日本滞在は(写真技術を)習得するプロセスでもあった」と付け加えた。

ジラード氏は日本を離れてからの数十年間、「ナショナルジオグラフィック」や「タイム」といった雑誌向けの写真を撮る一方、ハノイ、沖縄、上海など、アジアの都市に関する書籍も出版している。

ジラード氏の写真で最も有名なのは九龍城砦(きゅうりゅうじょうさい)の写真だろう。九龍城砦は香港のスラム街で、ギャングが支配するほぼ完全な無法地帯だ。かつてはわずか6.4エーカー(約2万5900平方メートル)のスペースに約5万人が暮らしていたが、城砦はすでに取り壊されている。

振り返ると、日本で撮った写真は青春時代の日記のようなものだ、とジラード氏は言う。しかし、毎晩街で過ごしていたにもかかわらず、ジラード氏は撮影の対象だったナイトライフから常に一定の距離を置いていた。ジラード氏は常に写真撮影のみに集中していた。

ジラード氏は「当時はバーで飲んだり、パーティーに行くこともなかった」とし、「逆に写真を撮るためなら、ほとんどどんなことでもした」と付け加えた。

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