OPINION

ゴルバチョフ氏の忘れ得ぬ言葉 世界が真に必要とするものを語った指導者

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ホワイトハウスでの式典で言葉を交わすゴルバチョフ氏(左)とレーガン米大統領/Boris Yurchenko/AP

ホワイトハウスでの式典で言葉を交わすゴルバチョフ氏(左)とレーガン米大統領/Boris Yurchenko/AP

(CNN) 非常に多くの意味で、我々の今日知る世界はミハイル・ゴルバチョフ氏がいなければ違うものになっていただろう。旧ソ連最後の指導者だった同氏は、8月30日に91歳で世を去った。

デービッド・A・アンデルマン氏
デービッド・A・アンデルマン氏

次のように考えることも不可能ではない。同氏がいなければ共産主義は依然として欧州の東半分を席巻し、ソ連は単一の国家として持ちこたえていたかもしれない。深刻な問題を抱え込み、貧しくなる一方の国家として存続し、現在のような主権の度合いに差がある15の国家には分かれていなかったかもしれない。クレムリンがいまだに、危うさを増す米国政府との核兵器競争にのめり込んでいた可能性も大いにある。

しかし、ゴルバチョフ氏が用意した舞台で、当時の2大超大国は劇的な方向転換を果たした。それは同氏の豊かで陰影のある人生がもたらす極めて多くの要素なしには決して起きなかった可能性のある変化であり、そうした人生の集大成こそが権力の座にあった6年間だった。それなくして、ウクライナという独立国家は生まれなかった公算が大きい。ついでに言えば、今日ほど多くの国々が北大西洋条約機構(NATO)に加盟することもなかっただろう。

仮にゴルバチョフ氏が指導者の地位に全く上り詰めていなかったとしたら、他にも非常に多くのことが変わった可能性がある。もしかしたらよい変化もあったかもしれないが、事態が悪化したのは間違いない。この中に、同氏が政権を握った当初から成し遂げようと決意していたことはほとんどなかった。同氏はソ連共産党書記長として、1985年3月に政権の座に就いた。

そこに1つの疑問が残る。ゴルバチョフ氏並びに同氏の立ち上げた多方面の改革がなければ、つまり硬直化の一途をたどるソ連の体制と、それを支える軍及び治安組織に対する改革が行われなければ、ソ連は実際よりも長く生き延びることができたのかどうか。

米国のレーガン大統領が81年に1期目を迎える前の内輪のディナーで、同大統領のソ連担当首席顧問だったハーバード大学の歴史学者、故リチャード・パイプス氏は、筆者を信用してこう打ち明けた。レーガンの任期が終わるまでに、ソ連は存在しなくなっていると。米国はその期間をぎりぎりまで使うことになった。パイプス氏によれば、それはレーガンとの共通の目標だった。事実上、ゴルバチョフ氏はこうした術中にはまる以外の選択肢を持たなかった。

ゴルバチョフ氏はすぐさま体制の申し子となったが、最終的に目指したのはそれを解体、もしくは少なくとも劇的に改革することだった。一方で現実的な観察者として、体制の大量かつ致命的な欠点を見据えていた。「確立された進路からわずかでも外れるやり方は、つぼみのうちに摘み取られた」。同氏は後年そう記している。「仮に自分だけの考えが浮かんだとしたら、トラブルを覚悟しなくてはならない。刑務所に入れられることだってあり得る」

しかし同氏は、成功するために何が必要かも認識していた。上層部においては複数の友人と助言者を求めた。そのうちの1人が国家保安委員会(KGB)の元トップ、ユーリ・アンドロポフだった。アンドロポフはレオニード・ブレジネフが82年に死去した後、ソ連の指導者の座を引き継いでいた。当時は多くの人々がアンドロポフこそかぎを握る人物であり、肥大化し腐敗した組織を破壊するだろうと信じていた。そうした組織がスターリン以降のソ連を主導してきたのだが、アンドロポフ率いるソ連はそれを打ち壊し、有力な競争相手となって大いなる敵、米国に立ち向かうとみられていた。

アンドロポフは84年に急死した。党書記長就任からわずか15カ月後のことだった。ゴルバチョフ氏が出番を待つ間、ブレジネフの側近だったコンスタンティン・チェルネンコがアンドロポフの後を継いで新たな指導者となった。しかしその政権もわずか数カ月しか続かなかった。85年3月にチェルネンコが心臓病と肺気腫で死去すると、いよいよゴルバチョフ氏に順番が回ってきた。

そしてそれは無難なデビューとはならなかった。ソ連経済の背骨である石油価格が崩壊していたためだ。最終的にゴルバチョフ氏は、自国の市場と経済の資本主義化を考えるに至ったが、現状ではその構想が無駄に終わることも理解していた。同氏はグラスノスチ(情報公開)とペレストロイカ(改革)という2つの概念を全面的に支持。これらを達成するべく、政権を担った最初の数年から数多くの改革に着手した。共産党のあらゆる階層における腐敗を糾弾するとともに、複数政党による選挙を各都市で実施することを承認。またメディアに対する諸規制も撤廃した。

それでも同氏は1つの現実を認識していた。ソ連を真に干上がらせているのは軍拡競争だという現実だ。何らかの方法を見つけて、それに歯止めを掛けなくてはならなかった。

こうした厳しい現実に直面していたゴルバチョフ氏は、一か八かの首脳会談をレーガン大統領に提案。開催地のアイスランド・レイキャビクに向かった。86年10月、長く、緊張感をはらんだ2日間の協議が開催された。筆者はこの時初めて会談を行うゴルバチョフ氏を目にしたが、堂々たる振る舞いだった。そこにいたのは明らかにエネルギーに満ち、志を持ち、強大な権力と忍耐力を備えた人物の姿だった。

とはいえ、同氏は米国側を大いに当惑させた。彼らの予想に反し、ゴルバチョフ氏の驚くべき提案は、核兵器の軍拡競争に終止符を打ち、両国の核備蓄の全てを廃棄するというものだった。核兵器ゼロへの重大な条件としてレーガンが合意を迫られたのは、「スターウォーズ計画」とも呼ばれるミサイル迎撃システムの研究所以外での開発や実際の配備を一切停止することだった。当時のレーガンはこのシステムを極めて重要なものととらえていた。ゴルバチョフ氏は、ソ連がこのシステムに対抗するのは望むべくもないことだと理解していた。そのためには壊滅的な水準の支出が不可欠で、ソ連経済を完全に破壊してしまうからだ。レーガンはこの申し出を断った。

首脳会談は混乱の中、物別れに終わった。ゴルバチョフ氏は敗北のうちに帰国したかに見えたが、全ての面で敗れたわけではなかった。結局のところレイキャビクでの姿勢は別の、より控えめな合意へとつながった。87年には欧州での中距離核ミサイルの配備に終止符が打たれた。翌年には大規模な通常戦力の欧州からの撤退も実現。同様の姿勢でさらに複数の合意と軍縮が行われ、米ソ両国で核備蓄の規模が縮小した。その数は約7万2000発の最多を記録したレイキャビクでの会談当時から、現在わずか1万3000発にまで減少している。

「続いて起きた出来事が、私の判断を裏付けている」。ゴルバチョフ氏は2019年、筆者が翻訳したギヨーム・セリナの著作の序文にそう書いた。さらにこうも付け加えている。「我々は偉大な成功を手にしてきた。冷戦は過去のことに成り下がった。世界的な核戦争の危険は、もはや差し迫ったものではない」

ソ連国内において、ゴルバチョフ氏は体制の解体に着手した。当該の体制が全く機能していないのは実証済みで、成立から70年を経た現代世界の課題に対処できないことは明白だった。アフガニスタンからの撤退を1989年に完了すると、ゴルバチョフ氏は東欧の指導者らに対し、それぞれが実質的な裁量権を有していると告げた。

89年までに東欧諸国はクレムリンとの関係を断ち切っており、その動きはソ連を構成する共和国から始まった。レーガンが87年にゴルバチョフ氏に対して行った「この壁(ベルリンの壁)を壊しなさい」との申し入れは、ここに実を結んだ。

ゴルバチョフ氏は共産主義を信じる姿勢を表明し続け、それは進歩的な勢力としての共産党に対しても同様だったが、91年8月のクーデター未遂を経て間もない12月にはとうとう辞任を余儀なくされた。後継者は活力にあふれ、大の飲酒家でもあるボリス・エリツィンだった。この翌日、ソ連は崩壊した。

ゴルバチョフ氏は前出の序文を、事実上の墓碑銘とも言えそうな文言で締めくくっている。「今日の我々に必要なのは、まさしく政治的な意思に他ならない。我々には別の次元のリーダーシップが必要だ。それは当然ながら、集団的なリーダーシップとなる。私は楽観主義者として記憶に残りたい。20世紀の教訓を取り入れ、世界を遺物から解放しよう。21世紀にまで受け継がれたその遺物とはつまり軍国主義であり、人々と自然に対する暴力であり、あらゆる種類の大量破壊兵器だ」

しかしここで大きな疑問が残る。仮にゴルバチョフ氏が自身の改革を引き受ける立場になく、ソ連を導いてロシア帝国解体への道を歩ませていなかったとしたら、プーチン氏がさらに有害な構想を抱いて登場する道は開かれていただろうか? ウクライナでの戦争が延々と続く中、問いかけは宙に浮かんだままだ。 

デービッド・A・アンデルマン氏はCNNへの寄稿者で、優れたジャーナリストを表彰する「デッドライン・クラブ・アワード」を2度受賞した。外交戦略を扱った書籍「A Red Line in the Sand」の著者で、ニューヨーク・タイムズとCBSニュースの特派員として欧州とアジアで活動した経歴を持つ。記事の内容は同氏個人の見解です。

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