ガザ地区の語り手アラリール氏、空爆で死亡 自らの死を想定した詩を残し

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ガザ地区の作家、イスラエルの空爆で死亡

(CNN) パレスチナ自治区ガザ地区の経験を語り、パレスチナ人の権利を訴え続けた作家で教育者のレファアト・アラリール氏が、イスラエル軍の空爆で死亡した。

アラリール氏は10月、ガザ市中心部の自宅にとどまるべきか、それとも妻と6人の子どもを連れて南部へ避難すべきか迷っていた。

イスラエル軍機がガザ北部の爆撃を続ける中、イスラエル国防軍は民間人に対し、自宅から退避して直ちに南へ行くよう指示していた。

アラリール氏のような民間人は、殺される危険を犯して自宅にとどまるか、身を守る術もない状態で避難を試みるかというあり得ない選択を迫られた。

当時44歳だったアラリール氏は、北部にとどまる以外に選択肢はないと述べ、「ほかに行く所がない」と話していた。

「みんなが一つの部屋にいて、もし死んだらみんなが一緒に死ぬのか。それとも別々の部屋にいて、少なくとも誰かが生きられるようにするのか。パレスチナ人はみんなそんな論議をしている」。アラリール氏はCNNにそう語った。

ガザ地区にあるイスラム大学で比較文学の教授を務めていたアラリール氏は、ガザの経験を記録に残す活動で知られる。友人や同僚によれば、アラリール氏は若いパレスチナの書き手を養成し、英語で自分たちの物語を語る手助けをしていた。

10月12日と13日にガザからCNNの取材に応じたアラリール氏は、自分が死亡した場合にインタビューなどの記録を公表することを承諾していた。

友人によると、アラリール氏は今月7日、ガザ北部シャジャイヤでイスラエル軍の爆撃によって殺害された。一緒にいた兄弟姉妹やその子ども4人も死亡した。

アラリール氏の妻と7~21歳の子ども4人はあとに残された。

イチゴを摘むアラリール氏=22年3月27日、ガザ地区/Courtesy Mosab Abu Toha
イチゴを摘むアラリール氏=22年3月27日、ガザ地区/Courtesy Mosab Abu Toha

アラリール氏はガザ市出身で英ロンドン大学に留学。2014年、イスラエルに封鎖された生活を若い作家たちが記録した短編集「Gaza Writes Back」を編纂(へんさん)した。エッセーや写真、詩をまとめた15年の「Gaza Unsilenced」ではイスラエルに封鎖されたパレスチナ人の苦痛と喪失、信仰を描き、22年に出版された詩集「Light in Gaza: Writings Born of Fire」にも寄与した。

ガザ地区や難民キャンプで暮らすパレスチナ人の若者の声を伝える非営利組織「We Are Not Numbers(我々は数ではない)」の共同創設者でもあった。

「我々には信仰があり、信念がある。自由のために、基本的人権のために反撃する正当な理由、公正な理由がある。我々はそれをはく奪された」。アラリール氏はCNNにそう語り、国際社会に対してはパレスチナの人たちの「人間性」に目を向けてほしいと訴え、「彼らの痛みを感じ、彼らの身になってみてほしい」と呼びかけた。

自分が殺されることも想定して、「もし私が死ななければならないのなら」という詩を書き残した。

米ニューヨークや英ロンドンでは追悼集会が開かれた。

パレスチナ人がアラリール氏の死を嘆く一方で、その発言は一部の反発も招いた。アラリール氏は英BBCのインタビューの中で10月7日の攻撃を「パレスチナの抵抗勢力による先制攻撃」と形容し、「正当かつ道徳的」だったと発言。ハマスのこの攻撃を、ユダヤ人の抵抗勢力がドイツに対して起こした1943年の武装蜂起「ワルシャワ・ゲットー蜂起」になぞらえた。

この発言を問題視したBBCは、今後はアラリール氏をコメンテーターとして起用しないと表明した。

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