避難所でコートや帽子で寒さしのぎ睡眠、能登半島地震の死者73人に

石川県珠洲市で倒壊した建物から高齢男性の救助を行う救急隊と自衛隊=3日/The Asahi Shimbun/Getty Images

2024.01.04 Thu posted at 08:52 JST

七尾市(CNN) 新年を家族と祝おうと女性が日本の南部から石川県に帰省していたとき、地震が起きた。

七尾市の避難所に身を寄せるアキヤマ・ミナエさんは、地震発生当時のことを思い出すとまだ体が震えるという。

アキヤマさんは地震が起きたとき机の下に隠れ、生き残れるようにと祈った。その後必要なものを持って、外へ飛び出した。後から撮影した実家の写真にはクローゼットや棚がひっくり返り、食品や台所用具が床に散乱する様子が写っている。


CNNの取材に応じた女性/CNN

家族は全員無事だった。だが地震から2日が経ち避難所に身を寄せた後でも、まだ地震の記憶が鮮明に残っているという。余震は頻繁にあり、避難所のコンクリート製の柱の一部では周囲にがれきが落ちている。

アキヤマさんは今でも建物が揺れているように感じ、余震が起きれば本震を思い出し体が震えると語る。

石川県によると、地震による死者は少なくとも73人に上る。行方不明者の数は不明で、当局は孤立地域を含めがれきの下にいる人の捜索作業を進めている。

林芳正官房長官は3日、夜間にも救出が進められ、救助犬への要請に対応していると述べた。林氏によると、インフラの被害が大きな障害となり、能登半島やその周辺には通行できない道路がある。一部ルートは通行が可能となり、被災地に食料や必需品を届けられるようになったという。

石川県七尾市で地震の被害に遭った家屋

今回の地震を受けて、2011年の東日本大震災を思い出した人もいる。東日本大震災では津波が原因で福島第一原発でメルトダウン(炉心溶融)が起きた。2万2000人あまりの死者・行方不明者の多くも津波で発生した。

七尾市に住むタカハシ・コウキさん(28)は東日本大震災のとき、東京で中学生だった。当時東京も大きく揺れたが、震源からは数百キロ離れていた。

タカハシさんにとって、今回の地震はさらに距離が近いものとなった。過去に巨大地震を経験したが、今回はそれよりもひどかったとタカハシさんは話す。

タカハシさんは今回の地震発生時、入浴中で裸の状態だった。服をつかんで外に走り、自分の車に向かった。建物や電信柱が揺れる様子を目撃したという。

余震が頻発し、自衛隊のヘリコプターや車両が通り過ぎる中、1日夜は友人の駐車場に止めた車で眠った。

自分のアパートは損壊しなかったが、かべにはひびが入った。友人の中には家を失った人もいるという。


七尾市の避難所/CNN

多くの被災者が前述のアキヤマさん家族と同じように避難所に身を寄せているが、支援は足りていない。

避難所に屋根はあるが、CNNが2日夜に訪れた際には暖房設備はなかった。人々は床のマットに厚いブランケットをかけて眠り、夜間の気温が4度となる状況で暖を取ろうと、コートや帽子、手袋を使って寒さをしのいでいた。

水道も復旧しておらず、人々は自衛隊からの給水を受けるために外で列に並ぶ必要がある。岸田文雄首相は3日、自衛隊が自治体や警察、消防署と協力して捜索・救助活動に当たっていると説明した。

林氏によると、3日時点で3万4600戸が停電し、電話サービスにも支障が出ている。ヘリコプターによる情報収集を進めているという。

このサイトでは、利用状況の把握や広告配信などのために、Cookieなどを使用してアクセスデータを取得・利用しています。これ以降ページを遷移した場合、Cookieなどの設定や使用に同意したことになります。Cookieなどの設定や使用の詳細、オプトアウトについては詳細をご覧ください。