ケネディ元大統領長女の駐豪大使、父従軍のソロモン近海で追悼の遠泳

キャロライン・ケネディ氏(左)が海軍時代の父親を称えソロモン諸島での遠泳を行った/U.S. Embassy Australia/Twitter.com

2023.08.31 Thu posted at 19:00 JST

(CNN) 米国のケネディ元大統領の長女であるキャロライン・ケネディ駐オーストラリア米大使(65)が、第2次世界大戦中に米海軍将校の父親が指揮していた魚雷艇が旧日本海軍の駆逐艦によって転覆させられた南太平洋のソロモン諸島近海を訪れ、追悼の遠泳にこのほど挑んだ。

魚雷艇が攻撃を受けた後、元大統領は部下の乗組員13人のうち生き残っていた11人を集合させ、約5.6キロ離れていたプラム・プディング島へ泳いでたどり着くことを率先したとされる。この島は現在、ケネディ島と呼ばれている。

大使が今回泳いだのはヤシの木がある浜辺を持つ小さな島二つの間の約1.2キロ。約30分かけて泳ぎ切ったという。自身の息子も同行した。

大使は「父親や乗組員の英雄的行為への評価を新たにした」と米大使館のX(旧ツイッター)のアカウントに記した。息子も「祖父を大いに称賛している。その根気良さが生存につながったに違いない」と振り返った。

元大統領指揮の魚雷艇が駆逐艦に襲われたのは1943年8月1日の暗がりがまだ広がる早朝だった。

ケネディ大統領図書館の資料によると、元大統領と乗組員はその後、食料と救援の方途を求めるため近くに位置するオラサナやナルを含む諸島に泳いで渡ったともみられる。元大統領もこの2島の間を複数回往復したという。

キャロライン大使が今回泳いだのも2島の間だった。

ケネディ元大統領(左)と兄のジョセフ・ケネディ・ジュニア氏

元大統領と乗組員は結局、連合軍に協力していた島民2人と出会い、米海軍との連絡を取り付けていた。米海軍の保護下に戻れたのは船体が木造だった魚雷艇を失ってから1週間後の同年8月8日だった。

元大統領にはこの後、勇気と指導力をたたえた海軍・海兵隊の勲章が授与されていた。

キャロライン大使がケネディ島で行った演説の会場には、元大統領らの救出につながる尽力をした島民2人の家族も姿を見せた。

大使は演説で「息子と私はあなたたちの父親が80年前にしてくれたことに個人的な感謝を示すことを名誉に思う」と表明。「私の父の命は危険な事態を招きかねなかったかれらの勇気や意欲、自由のための戦いでの母国への奉仕の気持ちに救われた」と感謝した。

ソロモン諸島は自分の心の中に特別な場所を占めているとも明かし、「この地はケネディ大統領を男性として成長させた」と述懐。「彼が最初に指導者としての責任を体験し、乗組員の命と安全は彼自身にかかっていることを痛感した場所だった」とし、「他人を助けるために自らの命を犠牲にした。これは彼の一生を貫く信条ともなった」と続けた。

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