香港(CNN) 全米で1億5000人以上が新たな現実の可能性に直面している。すなわち、動画投稿アプリ「TikTok(ティックトック)」のない生活だ。
大人気の動画投稿アプリは、現在進行中の戦いの渦中にある。政治家が全面禁止を求める一方、運営会社はアプリについて、生活に欠かせないコミュニティースペースや教育プラットフォーム、単なる気晴らしだと主張している。
香港ではそうした現実を想像する必要はない。TikTokはすでに2020年、香港でのサービスを停止したからだ。
突然の撤退は悲喜こもごもの反響を呼んだ。一部のユーザーやコンテンツクリエーターから不満の声も漏れるが、無限スクロールがなくなって生活が改善したと胸をなでおろす人もいる。
撤退当時、TikTokは香港では比較的地味な存在で、今の米国ほど普及していなかった。
だが撤退に対する様々な反響や、他社プラットフォームに乗り換えたりオフライン生活に流れたりする様子は、米国でのTikTokのない未来をうかがわせる。
失われたチャンス
TikTokが香港撤退を発表したのは20年7月。中国が波紋を呼んだ「国家安全維持法(国安法)」を香港で施行した1週間後のことだった。トランプ米政権(当時)からの圧力が高まり、中国および北京を拠点とする親会社「バイトダンス」から距離を置こうという中で決定が下された。
だがクリエーターにとっては急ブレーキだった。そのうちの1人シバニ・ドゥカンデさん(25)は、TikTokが香港から撤退した当時4万5000人ほどのフォロワーを抱えていた、
ドゥカンデさんのアカウントは、新型コロナウイルスが流行した20年初めごろから盛り上がり始めた。当時TikTokでは料理やヘルスケアなどライフスタイル関連のコンテンツが花盛りだった。
「新しいクリエーターが大勢出てきた」とドゥカンデさん。「みんなで一緒にコラボレーションしたり、(グループ)チャットでおしゃべりやアイデアを交換したり、コミュニティーを形成していた」
やがて機運が高まり出した。ドゥカンデさんのもとには様々な企業から、有料PRコンテンツや広告タイアップの依頼が入るようになった。各種ブランドは若い消費者層にアピールするために、クリエーターと組んで流行りの「TikTokチャレンジ」を仕掛けた。
「どんどん人が参入して、面白くなってきたところだった」とドゥカンデさんは言う。「それがある朝、消えてしまった」
「もしあのまま続いていたら、私も十分稼いで定時の仕事を辞めていたかもしれない。フォロワー数を伸ばすことができたら、TikTokを本業にできたかもしれない」(ドゥカンデさん)
こうした意見は、TikTokが米国でこの数週間展開している主な主張だ。同社の最高経営責任者(CEO)は3月、米国議会での証言に先駆けて、TikTokを収入源とする米中小企業のオーナーにスポットを当てたドキュメンタリーシリーズを制作した。
同社の3月の発表によれば、米国では約500万社がTikTokを利用しており、競合他社を超える勢いを見せている。ロンドンを拠点とする調査会社「オムディア」は昨年11月、TikTokの広告収入が27年までに、フェイスブックとインスタグラムの親会社「メタ」と、ユーチューブを合わせた額を超えると予測した。
理由のひとつは、TikTok利用時間が長いことだ。データ分析会社「センサータワー」によると、22年第2四半期に全世界のTikTokユーザーは1日平均95分間アプリを利用していた。これはフェイスブックやインスタグラムの利用時間のほぼ2倍だ。
だが香港では、他社のプラットフォームがただちに穴埋めを始めた。無限スクロールなどTikTokと同じような機能をもつインスタグラムのショート動画サービス「リール」はたちまち人気を集め、ドゥカンデさんも利用している。
ドゥカンデさんはゼロからファンを集めなければならなかったが、現在のフォロワー数は1万2500人。これから伸びるだろうと楽観的だ。とはいえ、TikTok撤退で「チャンスを逃した」という。芽生えつつあったクリエーターのコミュニティーも、ほとんど消滅してしまった。
「TikTokの時にあれだけあった仕事やコンテンツ制作、マーケティングの機会。それが丸々失われてしまった」(ドゥカンデさん)
若者は大丈夫?
だが一部の人々にとって、TikTok撤退は歓迎すべき変化だった。
ポピー・アンダーソンさん(16)は、18年にTikTokがサービスを開始してからずっと利用している。同年代の例にもれず、アンダーソンさんも「スクロールばかりして」何時間も過ごしていたという。たとえ物足りなさを感じても。
「自分の好みにぴったりのものを見つけるのはとても簡単だった。(アルゴリズムによる)『For You』ページがユーザーを足止めするからだ」とアンダーソンさん。「それに面白い。たいして得るものはないけれど」
アンダーソンさんによれば、TikTokは、偏った考えをはじめ、集団心理や誤った「キャンセルカルチャー」、少女や女性の身体への批評といったネット上の不適切な行為を育む有害な環境になる場合も多い。実生活の知人がTikTokを使ってから以前とは違う行動をとり始め、友情にひびが入ったという。
マーチン・プーンさん(15)もTikTokに嫌気がさしていたが、なかなかやめられずにいた。
「みんながやっているので、自分もやらなければ、時代に乗り遅れてはいけない、流行りものは押さえておかなければいけないという感じで、それが自分にはストレスだったと思う」(プーンさん)
TikTokには偽情報や女性蔑視も蔓延(まんえん)していた。最近ルーマニアで人身売買とレイプ容疑で拘束された自称「勝ち組男子」のアンドリュー・テイト氏などのアカウントは、プーンさんの学校でも男子生徒に人気だった。
プーンさんは「(こういうアカウントが)若者に大きな影響を与えるのが心配だ。考え方を大きく左右して行動に影響する」と述べ、偽情報はTikTokだけでなく、すべてのソーシャルメディアに言える大きな問題だと付け加えた。
専門家も以前から、TikTokが若者の精神衛生に及ぼす影響を懸念してきた。ある研究によると、10代のユーザーが同アプリでアカウントを作成して数分で、自殺や摂食障害関連の有害なコンテンツがあがってくる場合もあるという。
圧力の高まりを受け、TikTokは先ごろ18歳未満の閲覧時間を1日1時間に制限すると発表した。もっとも、デフォルトのこの設定について、ユーザーは機能をオフにすることもできる。
精神衛生について率直な対話ができるなど、TikTokにもプラスの面があることはアンダーソンさんも認めている。とはいえ、同アプリが使えなくなった時には喜んだという。TikTokの誘惑がなくなり、寝つきも良くなった。「1人では自制できなかった」と振り返った。
好きなことを見つける
プーンさんや同い年の友人アバ・チャンさんにとって、TikTokの撤退後は新しい発見の連続だった。
TikTokが撤退した20年、2人はオンライン授業を受け、友達とも会えず、自宅で暇を持て余していた。インスタグラムの「リール」やユーチューブの「ショート」は、当時まだ香港では始まっていなかった。
「TikTok以外に時間をどう使うか考えなくてはならなかった」とチャンさん。「自分たちにとっては、好きなことをさらに広げることだった」
2人はニューロダイバーシティー(脳や神経に由来する特性の違いを多様性ととらえること)のコミュニティー支援を始めた。学校でニューロダイバーシティーの啓発と認知向上をめざす部活動を立ち上げ、神経多様性を持つ人々とのボランティア活動にも加わった。
2人によれば、このおかげで目的意識を持つことができた。時間が経つにつれて他にも利点があったという。
一緒にTikTok動画を撮影したり閲覧したりしていた友人も、以前より対面で話すようになった。コロナ規制が緩和されて屋外での運動もしやすくなり、運動を始める仲間も出てきた。2人の精神衛生も改善した。
もちろん10代なので、ソーシャルメディアを完全にはやめておらず、部活動の宣伝ツールとして活用している。だが、以前のように何時間もスクロールするということはなくなった。香港の外でTikTokがどうなっているのか気になることもあるが、周りで誰も使わなくなると、魅力も色あせた。
「大勢の人がTikTokのことを忘れ去ったようだ」とアンダーソンさん。「みんな別のプラットフォームに乗り換えるか、あるいは前に進んでいる」