冷戦最盛期、中国がU2偵察機5機を撃墜した時代<上> 「黒猫中隊」の誕生

韓国・烏山空軍基地の格納庫に駐機するU2「ドラゴンレディー」=2020年10月22日/US Air Force

2023.04.01 Sat posted at 19:00 JST

韓国・ソウル(CNN) スパイ活動中と疑われる中国の高高度気球が米国上空で目撃された時、米空軍は自らの高高度スパイ兵器を派遣することで対応した。U2偵察機だ。

報道によれば、冷戦時代の偵察機であるU2が撮影した高解像度の写真が決め手となり、米政府は中国の気球について、中国政府が主張するような気象調査ではなく、情報収集を行っていると判断した。

これにより、U2は世界の二大経済大国間の緊張を激化させた今回の一件で重要な役割を果たすことになった。米中両政府が互いの監視に使っている手法に国際的な注目が集まる結果にもなった。

これまでのところ、メディアの報道で主な焦点になっているのは気球、とくに一般的には過去のスパイ活動の遺物とみなされている気球が現代のスパイ戦略で今なお重要性を保っている理由だ。しかし、多くの軍事史家にとっては、過ぎ去った時代のもう一つの象徴であるU2の関与の方がはるかに示唆に富む。

U2は米中間のスパイ合戦において長い歴史を持つ。1960~70年代には、少なくとも5機のU2が中国上空で偵察任務中に撃墜された。

こうした損失は予想されるほど広く報道されなかったが、それには大きな理由がある。撃墜当時U2全機の運用を担っていた米中央情報局(CIA)は、U2が中国上空で何をしていたのか一度も公式に説明していないのだ。

さらに謎を深めているのが、これらのU2は米国のパイロットが操縦していたわけでも、米国旗の下で運用されていたわけでもなく、台湾のパイロットが操っていたという点だ。今日の気球騒ぎと驚くほど似通っているが、台湾のパイロットも当時、気象調査中だったと主張した。

U2のコックピットから中国の偵察気球とみられる物体を見下ろす米軍のパイロット=23年2月3日

「ドラゴンレディー」と中国の核

CIAがこれらの米国製偵察機の活動内容について固く口を閉ざしているのは驚くに当たらない。

しかし、50年以上たった今も続くCIAの沈黙は、中国上空でのU2の活動が当時も今もいかに敏感な問題かを雄弁に物語っている。CNNは今回の記事に関してCIAにコメントを求めたものの、返答は得られなかった。

米政府には、25年経過後に機密資料を自動的に機密解除するとの一般的なルールがある。だが、このルールを適用しない理由の一つとしてしばしば挙げられるのが、情報開示が「米国と外国政府の関係、あるいは米国の進行中の外交活動に重大な害を及ぼす」ケースだ。

U2の活動内容をめぐる同時代の証言(その中には撃墜された台湾の操縦士や退役した米空軍将校、軍事史研究者の証言もある)を見れば、情報開示が波紋を広げたであろう理由は想像に難くない。

台湾で製作されたドキュメンタリー映画でのパイロットの証言や、米政府のウェブサイトで公開された史実によると、U2は増大する中国の軍事力を偵察する極秘任務の一環として台湾に供与された。ソ連からの支援で勃興しつつあった中国の核開発も偵察対象になった。

「ドラゴンレディー」の愛称を付けられた新型機のU2は、この任務にうってつけの機体であるように見えた。米国は当時すでに、ソ連国内の核開発プログラムの偵察にU2を使用していた。U2は「前例のない脅威の高度7万フィート」(開発元のロッキード・マーチン)に到達する目的で1950年代に設計された機体であり、その高高度能力のおかげで対空ミサイルの射程外を飛行できた。

あるいは、米国はそう考えていた。1960年代、ソ連はCIAの運用するU2を撃墜し、操縦士のゲーリー・パワーズ氏を裁判にかけた。米政府は表向きの説明(パワーズ氏は気象偵察任務に従事していて、酸欠で意識を失ったためにソ連領空に流された)を撤回し、U2プログラムの存在を認め、捕虜交換によるパワーズ氏の帰国を持ちかけることを余儀なくされた。

「パワーズ氏が1960年にソ連上空で撃墜された一件は、大きな外交問題になった。米国はU2に乗る自国のパイロットがパワーズ氏の二の舞になる事態は望んでいなかったため、台湾に頼った。台湾は自らのパイロットに訓練を受けさせ、中国本土上空を長時間飛行させることに乗り気だった」。U2に関する著書があるクリス・ポーコック氏は2018年のドキュメンタリー「疾風魅影 黒猫中隊」でそう語っている。

着陸態勢に入ったU2を追いかける車両=15年6月、カリフォルニア州ビール空軍基地

黒猫と分遣隊H

U2と同様、台湾(中華民国の名でも知られる)はこの任務に最適であるように思われた。中国本土の東に位置する台湾は今と変わらず北京の共産党政権と対立しており、当時は米政府との間で相互防衛条約を結んでいた。

この条約はかなり前に失効したが、台湾は今に至るまで米中間の大きな対立点であり続けている。中国の習近平(シーチンピン)国家主席が台湾を中国共産党の支配下に収めると誓う一方、米政府は依然として台湾に自衛手段を提供する義務を負っている。

現在、米国はこの義務の一環で台湾にF16戦闘機を売却しているが、1960年代の台湾は米国製U2の提供を受けていた。

台湾軍が発足させた飛行中隊は、公式には「空軍気象偵察研究班」の名称で知られるようになる。

しかし、米国でU2の飛行訓練を受けたパイロットで構成される隊員たちは、中隊を別の名称で呼んでいた。「黒猫」だ。

作家のポーコック氏とゲーリー・パワーズ・ジュニア氏(ソ連で撃墜された操縦士の息子で、米首都ワシントンにある冷戦博物館の共同創設者でもある)は、2018年のドキュメンタリー映画で、黒猫中隊の背後にある考え方やその任務をこう説明している。

「黒猫計画が実施されたのは、米政府が中国本土上空から諜報(ちょうほう)を見つける必要に迫られていたためだ。中国の強みや弱み、軍事施設や潜水艦基地の位置、開発中の航空機の種類といった情報が必要だった」(パワーズ・ジュニア氏)

米空軍のロイド・リービット退役中将は、この任務を「米国と中華民国による共同諜報作戦」と形容する。

「米国のU2に中華民国のマークが描かれ、中華民国のパイロットは中華民国(空軍)大佐の指揮下に入った。上空飛行の任務は米政府によって計画され、中国本土上空で収集された情報は両国が受け取った」。リービット氏は米アラバマ州の空軍研究施設が公表した2010年の手記の中で、こう記している。

台湾のためにU2を操った最初のパイロットの一人が、華錫鈞氏だ。華氏は1961年初頭、台湾の桃園空軍基地に最初のU2が到着した現場にいた。

「表向きの説明は、中華民国(空軍)がU2を購入し、その機体に(台湾の)国籍マークが描かれたというものだった。桃園基地に駐留する他の空軍組織との混同を避けるため、この部隊は第35中隊となり、黒猫をエンブレムとした」。華氏は空軍関係の雑誌に掲載された2002年の黒猫中隊史にそう記している。

桃園基地では米国人らが台湾のパイロットと協力し、U2の整備や情報処理を支援していた。華氏によると、彼らは「分遣隊H」と呼ばれていた。

「表向きには米国の人員は全員、ロッキード航空の従業員ということになっていた」(華氏)

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