ヘンリー王子が回顧録で明かしたこと 9つのポイント

ヘンリー王子の回顧録が発売された/Karwai Tang/WireImage/Getty Images

2023.01.10 Tue posted at 18:58 JST

(CNN) 英王室を離脱したヘンリー王子(38)の回顧録「Spare」が10日、世界で同時出版された。家族との確執や、10代での経験などを明かしている。

ヘンリー王子は出版前からテレビのインタビューに何度も出演し、内容の一部を公開したが、王室は今のところコメントを出していない。

題名の「Spare」は、王位継承第1位の兄ウィリアム皇太子の「スペア(予備)」と呼ばれてきたヘンリー王子の地位を指している。

CNNが入手した1冊から、この中で明かされた話を9つのポイントにまとめた。

1.兄ウィリアム皇太子の暴力

ヘンリー王子は妻メーガン妃を批判するウィリアム皇太子と口論になり、暴力を振るわれたことがあると書いている。

それによると、ウィリアム皇太子は口論の中で、メーガン妃を「気難しい」「失礼な」人物だと批判。王子の襟をつかんでネックレスを引きちぎり、床に押し倒した。

床にあった犬用の皿が王子の下敷きになって割れ、破片が背中に突き刺さった。王子は皇太子に反撃を促されたが、拒否した。皇太子はいったん立ち去った後、戻ってきて謝罪したという。

ヘンリー王子は8日に放送された英ITVとのインタビューで、この経緯を語っていた。

2.父チャールズ国王からの言葉

王子は王室から離脱して渡米した後、2021年4月に祖父フィリップ殿下の葬儀に参列するため、初めて帰国した。

直前の3月には、メーガン妃が米人気司会者オプラ・ウィンフリー氏とのインタビューで、王室生活での苦悩を告白していた。

ヘンリー王子はこの機会にチャールズ国王、ウィリアム皇太子との関係修復を探ろうと、ひそかに会うことを提案した。緊張しながらも自分の言い分を説明しようとしたが、2人は最初からけんか腰だったという。

王子によると、チャールズ国王はその場で兄弟に対し、「私の晩年をみじめなものにしないでほしい」と呼び掛けた。

ヘンリー王子はまた、かつてチャールズ国王が口にしていた「笑えない冗談」にも言及している。

国王は王子に「私がおまえの本当の父親なのかどうか、だれにも分からない」と語り掛けていたという。

母の故ダイアナ元妃が一時期、ジェームズ・ヒューイット陸軍少佐と不倫関係にあったことから、当時ヒューイット氏がヘンリー王子の父親ではないかといううわさがあった。

実際に元妃がヒューイット氏と出会ったのはヘンリー王子が生まれた2年後だったが、大衆紙は大喜びで疑惑を書き立てていたと、王子は振り返る。

3.継母カミラ王妃への心情

ヘンリー王子は文中で、チャールズ国王と結婚して継母となったカミラ王妃への複雑な心情を明かしている。

国王に対し、カミラ夫人と再婚しないでほしいと懇願したこともあった。対面する前は物語に出てくるような「意地悪な継母」ではないかと心配したが、「そうではなかった」「兄と同じく、私にとってもそれはありがたいことだった」と書いている。

兄弟はカミラ夫人を「別の女性」と呼んでいた。ウィリアム皇太子は長い間、父の不倫を疑っていて、事実が確認された時はそれまで何もしなかったことを深く悔やんでいたという。

王子はカミラ夫人と会った時のことを注射にたとえ、「目を閉じれば気付く前に終わっている」ような出来事だったと表現した。

エリザベス女王の死後に再会を果たしたウィリアム皇太子とキャサリン妃、ヘンリー王子、メーガン妃=2022年

4.アフガン従軍で戦闘員を殺害

アフガニスタンでの従軍中、イスラム主義勢力タリバンの戦闘員25人を殺害したことを告白し、「相手が人間だと思ったら殺せない」「チェスの駒だと思うように訓練された」と回想した。

この部分は英軍関係者の反発と、タリバンの怒りを招いている。

5.エリザベス女王との別れ

昨年9月に死去した祖母エリザベス女王との別れについても書いている。

それによると、最初にチャールズ国王からの電話で、スコットランドのバルモラル城に滞在中だった女王の病状が悪化しているとの連絡が来た。

すぐにウィリアム皇太子とキャサリン妃にメッセージを送り、バルモラル城にいつ駆け付けるかと尋ねたが、返事はなかった。

続いて国王から、バルモラル城を訪れてもいいがメーガン妃は歓迎しないという電話があった。

スコットランドへ向かう機中でメーガン妃から連絡があり、ニュースサイトで女王の逝去を知った。

遺体が安置された部屋で、母の遺体とは対面できず後悔したことを思い出したとつづっている。

6.キャサリン妃を怒らせたメーガン妃の発言

18年の結婚式を前に夫婦でウィリアム皇太子とキャサリン妃の住まいを訪ねた際、メーガン妃の発言がキャサリン妃を怒らせたというエピソードも書かれている。

王子によれば、皇太子夫妻との軋轢(あつれき)を払拭(ふっしょく)したいと願っての訪問だった。

メーガン妃が出産直後だったキャサリン妃に、ホルモンの影響で妊産婦の記憶力などが低下する「ベイビーブレーン(赤ちゃん脳)」ではないかと指摘したところ、キャサリン妃は「ホルモンのことを言われるほど親しい間柄ではない」とはねつけた。

ウィリアム皇太子も「失礼だ」とメーガン妃を指差し、英国での作法に反すると注意した。

メーガン妃はキャサリン妃を傷付けるつもりはまったくなかったと説明し、もし傷付けたなら二度と起きないように教えてほしいと伝えた。

全員が「一応ハグして」、その場は収まったという。

ヘンリー王子とメーガン妃=2022年4月、オランダ・ハーグ

7.大衆紙のスキャンダル報道に弁明

ヘンリー王子は05年に仮装パーティーでナチスドイツの衣装を着て非難を浴び、謝罪したことがある。

回顧録ではこの件について、パイロットとナチスの衣装で迷い、ウィリアム皇太子夫妻の意見でナチスの制服に決めたと主張した。衣装を借りてきて夫妻に見せると、大笑いしていたという。

士官学校時代の09年にパキスタン人の仲間を「パキ」という蔑称で呼んだ映像が物議を醸した件については、差別的な言葉だとは知らなかったと弁明した。

8.10代でコカイン使用、年上女性と初体験

17歳のころ、週末の狩りで訪れた「だれかの田舎の屋敷」でコカインを勧められ、その後何度か使用したことを認めている。

「周りのみんなのようには楽しめなかったが、いつもと違う気分になれた」と回想し、当時は不幸のどん底でもがき、「違う気分」になることが大きな目的だったと明かした。

また、年上の女性との初体験を「不名誉なエピソード」として紹介。相手の名前は明かさず、「馬が大好きな女性で、私も若い雄馬のように扱われた」「場所が混雑したパブの裏の草原だったのも間違い。だれかに見られたに違いない」とつづった。

9.母の死をめぐる気持ちの整理

母のダイアナ元妃は1997年、ヘンリー王子が12歳の時に、パリのトンネルで起きた交通事故で亡くなった。

王子は2007年にラグビーのワールドカップ準決勝でパリに招かれた最初の夜、運転手に頼んで事故現場のトンネルへ向かい、母の乗っていた車のスピードとされる時速105キロで走ってもらった。

ずっと危険な道路を想像していたが、「短くて単純な、質素な道だった」「人が死ぬような道ではなかった」という。運転手にもう一度、トンネルを通ってほしいと頼んだ。

気持ちの整理をつけたいと願い、トンネルを通過すれば苦しみから一時的にでも解放されるだろうと期待していたが、実際には「苦しみの第2部」が始まっただけだったと、心情を吐露している。

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