ペレにまつわる偉大な論争

W杯のトロフィーを掲げるペレ。サッカーの枠を超えた影響力を持つ象徴的な存在だった/AFP/AFP/AFP via Getty Images

2023.01.02 Mon posted at 21:00 JST

(CNN) ペレについて語る言葉のどれもが、使い古された決まり文句の寄せ集めだとしたら残念なことだ。そうした言葉で比類なき生涯、前代未聞のキャリアを要約しようとするのはいかにももったいない。


エイミー・バス氏/Rodney Bedsole

しかし、ペレが82歳で死去したとのニュースが世界中に拡散し始めた時、これまで書かれなかった、あるいは語られなかった内容は皆無のように思われた。

ペレ(本名エドソン・アランテス・ド・ナシメント)に関して紹介が必要だったことはこれまで一度としてなく、今も説明は不要だ。サッカー選手を超えたアスリートでありながらサッカー界の主張を鮮明に打ち出し、母国ブラジルを超えた存在でありながらそこから離れることは決してなかった。

サンパウロ州バウルの貧しい環境で育ったペレは、父親からサッカーを習った。詰め物をした靴下やグレープフルーツをボール代わりに練習していたという。1958年、わずか17歳の時にその才能が国際試合のピッチで炸裂(さくれつ)する。ブラジル代表としてワールドカップ(W杯)の史上最年少ゴールを決め、チームも開催国のスウェーデンを決勝で破って優勝。サッカーにおけるブラジルの存在を世界に知らしめた。国際的なアイコン(象徴)の誕生だ。

確かにペレは「国の枠を超え、汎アフリカ的成功のイメージを体現した」。歴史家のブレンダ・エルシー氏は南米サッカーに関する論文でそう指摘する。特に所属するサントスFCの選手たちが60年代にナイジェリアとモザンビークへ遠征した際にはそれが顕著だった。「ブラジルのサッカーチームの主力選手たちがやはり貧困地区の出身であり、困難な状況で育っていたことは、グローバルサウス(訳注:主に南半球に偏在している開発途上国)全域の選手たちの間に連帯を生み出した」(エルシー氏)

ブラジルのサントスに在籍した約19年間で、ペレは659試合に出場し、643ゴールを記録した(パリ・サンジェルマン、レアル・マドリードといった強豪クラブから魅力的なオファーがあったにもかかわらず、サントスにとどまった。一時はインテルへの加入が実現しかけたが、国内のファンの抗議に遭い頓挫した)。自国とチームに貢献する一方で、個人でも史上最高の選手としての存在感を発揮。3度のW杯制覇(58年、62年、70年)という空前の記録を打ち立てたほか、ギネス・ワールド・レコーズによれば1363試合に出場し1279ゴールを挙げている(ただ親善試合やエキシビション・マッチを含めたペレの通算ゴール数は常に議論の的だ)。

パリ・サンジェルマンとフランス代表で活躍するキリアン・エムバペ(右)と

サントスと代表でのキャリアに終止符を打った後も完全には引退せず、その才能を米ニューヨークに持ち込む。ニューヨーク・コスモスでプレーした75~77年、自身の知名度によって新たなファンを獲得し、北米サッカーリーグ(NASL)の試合には大勢の観客が詰めかけた。

リーグは最終的に打ち切られたが、ペレが米国文化に与えた衝撃はコスモス在籍時前後に強化された。この間ペレはペプシのコマーシャルに出演し、ホワイトハウスも訪問。テレビ司会者のジョニー・カーソンにサッカーを教えたほか、81年の映画「勝利への脱出」では、シルベスター・スタローンと共演している。

これらを含めたあまりに多くの理由から、ペレを史上最高の選手(GOAT)と命名するのに異論が唱えられることはない。そうした状況は、現在の米国男子代表の選手たちが生きてきた年月よりずっと長く続いている(それこそ何年も上回る)。

とはいえこの数週間、歴史上最も素晴らしいサッカーの試合の一つ(のみならず、あらゆるスポーツ大会の決勝戦で最高の部類)と考えて間違いない試合の決着を受け、一部の批評家やファンはそろってリオネル・メッシにサッカー界の最終的なGOATの称号を与えた。これによりクリスティアーノ・ロナルドやディエゴ・マラドーナといった選手たち、そしてもちろんペレも、いくらか後方へと退いた形になる。

ペレの死去は、そうした権威の移行に歯止めをかけた。少なくとも現時点で、我々にはサッカー界の国際的なスーパースターの元祖に思いをはせる時間が与えられている。そしてその名が競技と同義になるような、稀有(けう)な象徴的アスリートを思い出すだけでなく、最も偉大な存在となることが何を意味するのかについて考える機会にもなっている。

ある時のスポーツ界では、いわゆる「goat」になりたい選手など一人もいなかった。その語が意味するのはキャッチミスをしたりタッチアップを忘れたり、最悪の場面で落球する選手のことだった。今、全て堂々たる大文字で記される栄光のGOATは、現時点で存在する最高の選手というだけでなく、格段に重要な意味で過去のどの選手をも上回る選手を指す。GOATを巡る激しい論争には、様々な競技と様々な時代で活躍した面々が登場する。ウェイン・グレツキー、ベーブ・ルース、レブロン・ジェームズ、マリアノ・リベラ、アビー・ワンバック、マイケル・ジョーダン、セリーナ・ウィリアムズ、タイガー・ウッズ、ロジャー・フェデラー、アリソン・フェリックス、マイケル・フェルプス、ベーブ・ディドリクソン、ジャック・ニクラウス、ビリー・ジーン・キング、アル・オーター、マーガレット・コート、モハメド・アリ、シモーネ・バイルズなどなど、枚挙にいとまがない。

一時期、自身に文字通り「グレーテスト」というニックネームを付けたアリは、「G.O.A.T Inc.」への権利を有していた。これは妻のロニーが92年に設立した法人で、アリはその権利を2006年に、5000万ドル余りでエンターテインメント会社のCKXに売却。同社はアリの名前と肖像権で得る利益の80%を購入した。

ペレの入院中、病院の前で「永遠の王様、ペレ」と書かれた横断幕を広げるファンら

ただ、GOATの基準は良く言っても不明瞭だ。最高が何を意味するのかについての検討や議論が、見事な勝利や引退、そしてもちろん本人の死去の後で浮上してくる。GOATとはメダルや勲章を最も多く獲得した選手だろうか? 最も長くランキング1位に君臨した選手だろうか? 成績や各種のデータに関わる話だろうか? 華やかさ? 創造性? 長期にわたって獲得したタイトルの数? 年間のタイトル数? 1日のタイトル数? 最高額の年俸? スポンサー収入の多さ?

当然ながら、どんな種類であれ現実的にして明白、否定しようのない評価基準でもって史上最高を決定することなどできない。そんな基準は存在しないし、スポーツはそもそもそういったやり方で動いているものではない。とりわけペレのような人物を対象とする場合はそうだ。ペレのもたらす文化的、社会的影響はサッカーにとどまらず、世界全体に及ぶ。ただ史上最高を具体的に説明する特定の方法はないとしても、「誰がGOATか?」と問う会話自体は、馬鹿げているのと同じくらい欠くことのできないものかもしれない。なぜならそうした会話によって、自分たちが何者で、何を気にかけているのかが分かるからだ。

ペレを「史上最高の選手の一人」とするいかなる言及も「失礼に当たる」と、サッカー記者のフェルナンド・カラス氏は12月29日にツイートした。「彼をGOATと言いたくないなら、ひたすらその死を悲しみ、その偉業についていろいろと語っていればいい。しかし彼の死を利用して、GOATたるその地位に疑問を差しはさんではならない」

なるほど。数多くの国々の現首脳や元首脳、著名人やファンがそれぞれの投稿で、悲しみに暮れつつレジェンドへの敬意を表明する中にあって、ネイマールの言葉はペレのGOATの地位がなぜ永遠かつ不変なのかを最も的確に要約している。おそらくペレの後継者となるブラジル人選手の筆頭と思われるネイマールはインスタグラムに「ペレが登場する以前、『背番号10』はただの数字だった。サッカーはただのスポーツだった」と書き込んだ。「彼はサッカーを芸術に変えた。エンターテインメントに変えた。彼は貧しい人たち、黒人たちに声を与えた。特にブラジルの知名度を高めた。彼は亡くなったが、その魔法は残る。ペレは永遠だ!」

おそらく、GOATを宣言する上でこれ以上のものはないだろう。現役を退いて以降はもちろん、本人の命が終わってもなお生き続ける存在。ただ覚えておかなくてはならないが、ペレは決してGOATだった「だけ」ではない。過去と同様にこれからも、彼は常に「王様」であり続けるはずだ。

エイミー・バス氏は米マンハッタンビル大学のスポーツ学教授。スポーツの観点から米国内の人種問題を描いた複数の著作がある。記事の内容は同氏個人の見解です。

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