「面白半分に人を殺す」 国外へ脱出の元ロシア兵、ブチャでの戦争犯罪を糾弾

9月にロシアを脱出し、欧州の国に亡命申請したニキータ・チブリンさん/Claudia Otto/CNN

2022.12.16 Fri posted at 18:00 JST

(CNN) ニキータ・チブリンさんは、今も同僚だったロシア人兵士のことを思い出すと話す。彼らは、ウクライナ人女性2人をレイプしたとみられる状況でその場から逃げ出した。今年3月、ウクライナ首都キーウ(キエフ)の北西にいた時の話だ。

「走っていく彼らを見た。それから、彼らが女性をレイプしたのだと分かった。被害者は母親と娘だった」と、チブリンさんは振り返る。彼らの司令官は、レイプについて知らされると肩をすくめた。レイプ犯とみられる兵士らは殴られたものの、罪に対して十分な罰を受けることは全くなかったという。

「刑務所に入れられたわけでもない。首になっただけ。ただ『行け!』と言われた。単に戦争から追放された。それで終わりだ」

チブリンさんはロシアの街、ヤクーツク出身の元兵士で、同軍の第64独立自動車化狙撃旅団に配属されていた。悪名高いこの部隊については、ブチャやボロジャンカなど、キーウの北に位置する町及び村に攻め込んだ際、戦争犯罪を行った疑いがかかっている。

チブリンさんは9月にロシア軍から脱走。ベラルーシとカザフスタンを経由して欧州に逃れた。

ウクライナ国防省は今年4月、チブリンさんの旅団の兵士らを戦争犯罪者と呼んだ。殺害された民間人を埋葬した集団墓地や街路に横たわる複数の遺体が、ロシア軍の撤退したキーウ州から見つかったためだ。

第64独立自動車化狙撃旅団の司令官は「ブチャの虐殺者」として知られ、欧州連合(EU)と英国の制裁対象になっている。米国は旅団全体を制裁対象にした。

ロシア政府は当該の大量殺害に対するいかなる関与も否定。民間人の遺体の画像は偽物だと、根拠のない主張を繰り返している。

戦闘服に身を包んだチブリンさん

亡命申請した欧州の国でCNNの取材に答えたチブリンさんは、自ら見聞きした犯罪の一部を詳細に語った。その上で、自分が所属した部隊に対する証言を国際刑事裁判所で行う用意があると明言。自分自身はいかなる犯罪も行っていないと主張した。

「殺人は見ていないが、レイプ犯が逃げるのは見た。彼らが(部隊の上官に)追われていたのは、実際にレイプをしたからだ」

チブリンさんはまた、部隊への直接の命令として、誰であれ陣地に関する情報を漏らす者は殺害することになっていたと証言した。そこに軍人と民間人の区別はなかったという。

「相手が電話を持っていれば、撃ってもよかった」と、チブリンさんは話す。また部隊の一部に丸腰の民間人を平気で殺害できる人間がいたのはほぼ間違いないと指摘した。

「面白半分に人を殺す凶暴な人間というのは存在する。あの場にそうした人間が来ていた」

チブリンさんは大規模な略奪にも言及。ロシア兵はコンピューターや貴金属など、欲しいものは何でも奪った。3月終わりの撤退時には民間人の車両を盗み、ベラルーシで売ったという。

「物を盗んだ奴が偉いという考え方だった。捕まらなければオーケー。高価なものを見つけて盗み、捕まらなければ言うことはない」

ロシア軍に加入していた際のチブリンさんの軍事文書

レイプや殺人、略奪について司令官らは十分把握していたものの、それらを裁くことにはほとんど関心を示さなかった。実際のところ対策は全くとられず、「規律などどこにもなかった」(チブリンさん)

CNNはこうした主張についてロシア国防省にコメントを求めたが、現時点で返答はない。

チブリンさんはロシアが最終的にこの戦争に敗北するのは間違いないとみているが、それまでにはさらに多くの人命が失われるだろうと予測する。ロシア軍にとって兵士は使い捨てであり、配備されている兵器もソ連時代の古いものに頼っているのが実情だ。これに対しウクライナ軍は、西側諸国から最新鋭とされる兵器の供与を受けている。

部隊が3月下旬にキーウ州から撤退した後、チブリンさんは背中の負傷のためロシア国内の軍病院に入った。しかし5月になると、再びウクライナに送られた。今度は東部のハルキウ州だ。イジューム市周辺の森の中で過ごしていた時、ようやく部隊を脱出するチャンスが巡ってきた。ロシアに向かって引き揚げる別の部隊のトラックに飛び乗ることができたのだ。

トラックに乗ると、他にもウクライナを去ろうとする兵士たちがいた。チブリンさんらは運転する司令官に金を払い、ロシア国境に到着したところでトラックを降りた。

ロシアに戻ってから1カ月近くは病院で過ごした。その後軍との契約を解除する手続きを進めようとしたチブリンさんだったが、9月になってロシア政府が部分的動員を発表。友人から契約が解除できなくなると告げられたのを受け、国外への脱出を図った。仲介人の助けを借りながらベラルーシ、カザフスタンと移動し、現在の住所に行き着いた。

今後はウクライナで目撃したことについて、積極的に発言しようと決めている。戦争に反対する歌も作った。戦争で亡くなった多くの人々や、子どもを奪われた多くの母親について歌っている。

国外へ脱出の元ロシア兵、ブチャでの戦争犯罪を糾弾

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