日本人の変わらぬハワイ愛、そのルーツを探る

日本人のハワイ愛のルーツを探った/Shibukawa Ikaho Onsen Tourism Association

2022.10.22 Sat posted at 19:00 JST

(CNN) ハワイは常に日本人観光客に最も人気のある旅行先のひとつだが、ハワイ旅行だけが彼らのハワイへの愛情表現ではない。

日本全国でハワイの食べ物や服が売られ、さらにハワイの祭りまで開催されており、日本人がハワイを愛する理由が単にビーチだけではないことがうかがえる。

日本の旅行代理店HISの2022年の旅行動向レポートによると、同年の夏休みの海外旅行先として最も予約が多かったのがハワイで、同社を通じて予約された夏の海外旅行の2割を占めたという。

日本人がハワイに夢中になる理由を一言で言い表すとすれば「癒やし」だろう。多くの日本人はハワイから自由の感覚やリラクゼーションを連想するが、癒やしという言葉にはこの2つの意味も含まれている。

人気上昇の一方、価格も上昇

新型コロナウイルスのパンデミック(世界的大流行)以前は、ハワイを訪れる海外旅行者の中で日本人旅行者が最も多かった。またハワイ州観光局のデータによると、日本人旅行者は旅行者1人当たりの支出額も最も多かった。

しかし、22年上半期にハワイを訪れた日本人旅行者はわずか3万4925人で、19年同期の73万4235人から95.2%も減少した。またハワイにおける日本人旅行者の支出額も19年上半期は10億3000万ドル(現在のレートで約1530億円)だったのに対し、22年同期は91.6%減の8670万ドルだった。

この日本人旅行者の数や支出額が減少したもう一つの要因が円安だ。ドルに対して円が下落したことにより、日本から米国への渡航費は大幅に値上がりした。

日本にいながらハワイを体験

日本ではハワイに行かれない人もハワイを体験することができる。

例えばフラダンサー、ウクレレ奏者、ハワイ料理のフードトラック(移動販売)が集まるハワイアンフェスティバルは大変人気があり、東京、横浜、大阪といった大都市だけでなく、群馬県の伊香保温泉など、地方でも開催されている。

燦々と太陽が輝くハワイの空を来店客に思い出してもらうため、「プナルウ」の壁は黄色に塗装されている

またハワイアンレストランも日本全国にある。

千葉県八千代市にあるハワイアンをテーマにした家庭的なレストラン「プナルウ」には、米国やハワイにちなんださまざまな品が飾られている。

オーナー兼シェフの野中祐次さん(57)は脱サラし、14年前に妻の清美さん(50)とこのレストランを始めた。清美さんは18歳の時、職場の旅行中にハワイ、特にフラダンスに魅了され、18年前に自身のフラスクールを開業したという。

関係性のルーツ

東京大学大学院情報学環・学際情報学府の教授で、米国・ハワイと日本の文化的関係を研究している矢口祐人氏によると、19世紀初頭に多くの日本人がハワイに移住したため、ハワイは日本人旅行者にとってなじみのある、旅行しやすい場所になったという。

米国勢調査局が実施した米国コミュニティー調査(ACS)のデータによると、2016年から20年にかけての調査では、ハワイ在住者のうち日本人あるいは日本人の血を引く人の割合は22.3%に上った。

日本では、第2次世界大戦後、約20年間、海外留学プログラムや出張以外の海外レジャー旅行が禁止されたが、その渡航禁止令が解除されると、ハワイは日本人に最も人気のある旅行先のひとつとなったと矢口氏は言う。


スパリゾートハワイアンズは日本初のハワイ風リゾートとなった/Spa Resort Hawaiians

また日本人はたとえハワイに行けなくても、ハワイを夢見た。

福島県の常磐地区にある温泉テーマパーク、スパリゾートハワイアンズは、渡航禁止令の解除後に設立された「疑似ハワイ」の典型例だ。

1960年代に石炭産業が衰退したため、地元の炭鉱業会社は、雇用を守り、地元経済を復興させるために観光業に移行した。同社が建設した日本初のハワイ風リゾート施設には温水プールやヤシの木が配置され、ハワイからエンターテイナーたちが招かれることさえあった。

そして80年代には好景気に加えて円高が進み、バブル経済の絶頂期だった90年代にかけて、ハワイは日本人にとって手頃な旅行先となった。

ハワイは90年代に日本人にとって「ビーチ天国」や「買い物天国」になったが、その後ハワイに対する日本人の見方が変わり、買い物天国というより一種の癒やしの場になったと矢口氏は言う。


Da Plate Lunch 808のオーナーは、自分がハワイを訪れた時のようなプレートランチを日本で再現したいと思い立った/Kathleen Benoza

皿の上の安らぎ

プレートランチはハワイの多文化背景の産物であり、通常は1枚の皿に2スクープの白米、マヨネーズをたっぷり使った付け合わせのマカロニサラダ、さらに一般にとろりとした濃厚なグレイビーソースがかかったお好みの肉料理が載っている。

千葉県佐倉市にあるプレートランチレストラン「Da Plate Lunch 808」のオーナーの御園明弘さんは、ハワイを訪れた際にプレートランチの虜(とりこ)になったが、日本に自分がハワイで食べていたようなプレートランチを出す店が少ないと感じ、自らレストランを開業したという。

店内にはハワイで放送されているラジオ番組が流れ、アロハシャツを着て来店する客も多い。

Eggs’n Thingsは日本に多くのファンを持つハワイ風朝食のチェーンだ

またハワイに拠点を置く朝食カフェ兼レストランチェーン「Eggs’n Things(エッグスンシングス)」は、海外で唯一日本だけに出店しており、2010年に原宿に1号店をオープンした。

エッグスンシングス・ジャパンの最高経営責任者(CEO)、松田公太氏によると、エッグスンシングスはハワイを訪れたことがある日本人に人気があるという。

好きなものを着る

アロハシャツ愛好家のセキ・ヨウスケさん(47)は、11年から毎年ハワイを訪れており、ハワイ旅行に飽きたことは1度もないという。

セキさんは普段からアロハシャツを愛用しており、セキさんのアロハシャツ姿を見た人が自分もアロハシャツを着てみたいと思ってくれることを願っているという。


ハワイ風のシャツは日本で「アロハシャツ」と呼ばれている/Kathleen Benoza

アロハシャツは日本の芸術性とデザインの影響を強く受けている。

約50年前に創業した衣料メーカー、東洋エンタープライズ傘下のアロハシャツブランド「サンサーフ」は現在、1930年代から50年代に作られたアロハシャツの再現に注力している。

同社のブランドディレクター、中野喜啓氏(47)は、アロハシャツの研究家で、10代の頃にアロハシャツの収集を始めた。

中野氏によると、アロハシャツはハワイに住む日本人移民から始まったという。

中野氏によると、彼らはハワイでも和服を着ていたが、1800年代後半に移民の一部が日本に帰国し、その直後から和服を含む日本の布や生地の輸入を始めた。ハワイの人々はそれを見て、その生地を使ってシャツを作ったら面白いと考え、日本の模様がプリントされたアロハシャツを作り始めたという。

その後、アロハシャツの量産が始まった。ハワイの衣料品店は、日本から和服用の生地を輸入する代わりに、アロハシャツ向けのさまざまなプリント生地を輸入した。

これらのアロハシャツは今やコレクターズアイテムにもなっており、中野氏によると、購入したアロハシャツを着ることなく、収集したり、額に入れてながめるだけという客も多いという。

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