オーストラリア・ブリスベン(CNN) 英エリザベス女王の死から24時間もたたないうちに、国家元首の逝去に対するオーストラリアの反応に最初の亀裂が生じた。
メルボルンで9日に開かれたオーストラリアンフットボールの女子プロリーグ(AFLW)のチーム同士の対戦。選手たちは起立して、その地が先住民の土地であることを確認する宣言に耳を傾け、続いて1分間の黙とうで女王を追悼した。
しかし「譲られていない」先住民の土地に選手が立つとの宣言が行われ、直後にその土地を奪った国家の君主に哀悼の意を表することに対しては、違和感も感じられた。
10日までに、AFLWの残る全試合で黙とうは中止された。AFLWのチーム、ウェスタン・ブルドッグの監督は声明を発表し、女王追悼は「私たちの深い傷を掘り起こす」と指摘した。
AFLWの試合前に整列するフリーマントル・ドッカーズの選手たち=9日、メルボルン/Darrian Traynor/Getty Images
今回の出来事は、1788年、英国の入植者によってこの国が占領されて以来、「ファースト・ネーションズ」と呼ばれる先住民が味わい続けてきた苦難を浮き彫りにした。他の英連邦国でも女王の死をきっかけに、君主制から共和制への移行を目指す動きが出始めている。ただ、オーストラリアでは、アンソニー・アルバニージー首相は共和制支持の見解だが、その方向へ向けて一致する動きは見られない。
女王の死後のインタビューや記者会見でアルバニージー首相は、今は共和制について話す時ではないと繰り返した。13日には共和制を目指す運動団体も、女王に敬意を表して喪が明けるまでは運動を中止すると表明した。
しかし首相が共和制移行推進に二の足を踏んでいるのは、女王哀悼だけが理由ではない。労働党党首のアルバニージー首相は選挙を前に、もし自分が勝利すれば、先住民を憲法で承認することの是非を問う国民投票を、3年間の任期中に実施すると公約していた。
憲法改正のためには国民投票や大半の州の住民投票で過半数の支持を獲得する必要がある。しかし1901年以来44回行われた国民投票で、憲法改正が承認されたのは8回にとどまる。
99年の国民投票では、女王と総督を大統領に置き換える案が否決された。
先住民の権利を求める抗議デモ=1971年、メルボルン/Fairfax Media/Getty Images
オーストラリア先住民の女王に対する感情はさまざまだ。
オーストラリア国立大学でファースト・ネーションズ副代表を務めるピーター・ユー氏はかつて、代表団とともにバッキンガム宮殿でエリザベス女王と面会し、オーストラリア政府や英政府以上に女王から温かいもてなしを受けたと振り返る。
「植民地化の結果として、我々の苦しみは今も続いている。しかし我々は女王個人の責任を追及しているわけではない。責任を問うべきはオーストラリア政府だ。意図的に義務を怠ったオーストラリア政府に、私は憤りを感じる」(ユー氏)
アルバニージー首相が1期目の任期中に実施を公約した国民投票では、先住民にかかわる法律に対する先住民の発言権を初めて憲法に明記することの是非が問われる。
この国民投票について、オーストラリア国立大学名誉教授で共和制運動団体の議長を務めたジョン・ウォハースト氏は、共和制以上の最優先課題であることは間違いないと語る。
ただし先住民の間では、自分たちの意見が十分に反映されていないとして、この提案に反対する声もある。
ウォハースト氏は、国民投票で提案が承認されれば、オーストラリアは君主制後の生活について考える準備が整うかもしれないと予想する。
それまでにはさらに5~10年を要するかもしれないが、この問題に関するキャンペーンは早くから開始する必要があると同氏は述べ、今のオーストラリアは99年とは異なると指摘した。