若き活動家狙うロシアの治安機関、脅して情報提供者に

ロシア反体制派の指導者A・ナバリヌイ氏(右)と握手を交わすM・ソロコフさん/Mikhail Sokolov

2022.09.09 Fri posted at 07:12 JST

オランダ・アムステルダム(CNN) ミハイル・ソコロフさんは、ロシアの工作員が自分を見張っている可能性があることを理解している。ソコロフさん自身、同僚たちをロシア政府のために数年間スパイしていたと明かす。

現在はオランダへの亡命を申請中だというソコロフさん。用心深くアムステルダムの運河周辺を歩きながら、CNNの取材に答える。情報提供者として採用されたこと、自らも加わっていた野党グループに対する裏切り、さらに国外へ脱出した理由を語った。

「彼らの言葉を信用するなら、彼らは米中央情報局(CIA)がロシアで革命を進めようとしていると本気で考えている。そしてナバリヌイ氏はCIAの工作員だと思い込んでいる」。ロシア連邦保安局(FSB)について、ソコロフさんはそう指摘した。FSBはソ連崩壊に伴ってできた国家保安委員会(KGB)の後進機関だ。「彼らは大量のリソースと活動を駆使して、ロシアでの革命勃発(ぼっぱつ)阻止を図る。国外に敵を探している」

FSBはまた、「躍起になって」誰がナバリヌイ氏の後継者になる可能性があるのかを把握しようとしていると、ソコロフさんは話す。ロシアの反体制派活動を率いるアレクセイ・ナバリヌイ氏は毒を盛られる被害に遭い、現在は刑務所に収監されている。

ソコロフさんの暴露により、今やロシア政府の治安機関による表に出ない活動にも光が当たるようになっている。ウクライナへの侵攻を受け、最近ではソコロフさんのようにロシアを脱出する人々が後を絶たない。

CNNはFSBとCIAに対し、今回の件についてのコメントを求めた。FSBから返答はなく、CIAはコメントを控えた。CNNは米国政府がロシアの反体制派の活動に関与しているとの見方について、信頼できる証拠も主張も確認していない。

亡命申請中のオランダ・アムステルダムで取材に答える

学生からスパイへ

ソコロフさんはCNNの取材に答え、「普通の19歳の学生」だった2016年、初めて政治的な活動に関わったと語った。参加したロシア共産党は事実上、クレムリンの公認を受けた現代ロシアの野党勢力で、公共交通機関の運賃値上げといった問題に対するキャンペーンを展開している。

しかし一方でソコロフさんは、独自に反汚職の調査を地方当局者に対して開始していた。そうした活動は当局者の注意を引いた可能性があった。

さらに活動に従事する傍ら、徴兵義務を逃れたことでFSBから目をつけられたとソコロフさんは話す。

「入隊に携わる機関のトップに呼ばれてオフィスに行くと、そこにFSBの当局者がいて、自分の行動を一定期間追跡していたと告げられた。それから、FSBに協力するか2年間刑務所に入るか、どちらかを選ぶように言われた」

刑務所での虐待を恐れたというソコロフさんには、FSBとの取り引きをのむしか選択肢はなかった。

ナバリヌイ氏の資金を監視

17年、ソコロフさんはナバリヌイ氏の率いる反汚職運動でボランティアとして働き始めた。21年までに組織のスタッフとなり、重要な情報をFSBと共有した。

時にはFSBと自身の関心とが一致することもあった。

「地域レベルで彼らが関心を寄せるのは、汚職をはたらく当局者だ」「全国レベルでは、誰がナバリヌイ氏に資金を融通しているのかに関心が向く。彼らの考えでは、それはCIAだということになっている」。ソコロフさんによると、自身がナバリヌイ氏の運動に従事している間、CIAが資金を提供している証拠は確認していないという。ナバリヌイ氏本人もまた、いかなる米情報機関とのつながりも一貫して否定している。

クレムリンが国内の反体制派の弾圧に踏み切った時、ソコロフさんはFSBの担当者によって、旧ソ連を構成する共和国だったジョージア(グルジア)に送られた。現地で拡大するロシア人のコミュニティーに潜入するためだ。これらのロシア人は迫害を逃れ、ジョージアに脱出していた。ソコロフさんによると、ここでもFSBはCIAがロシア人を引き込もうとしているのではないかと極度に懸念している様子だった。ただロシア国内と同様、実際にそうした事態が起きている証拠は確認できなかったという。

ソコロフさん自身はFSBの活動が正しいと思ったことは一度もなく、彼らのために働くことは「大変な負担」だった。それでもFSBからの任務を引き受けた期間は5年以上に及んだ。

19歳でFSBのスパイとなることに同意したV・オシポフさん

戦争が変えた使命感

別の若い活動家もCNNの取材に答え、強制的な採用とその後のFSBからの要求について、似通った内容を明らかにした。

フセボロト・オシポフさんは非主流派の政党、ロシア・リバタリアン党のメンバーだった時にFSBからの接触を受けた。あまりに小さく、力もない政党だったので、まさか治安機関の注意を引くことなどないと思ったという。

しかし21年5月、ナバリヌイ氏逮捕に対する初期の抗議行動に関与したとして拘束された後、当時まだ19歳のオシポフさんはスパイ活動を行うことに同意した。対象はプーチン大統領の政権に反対する個人や団体で、その見返りとして刑務所への収監を免れた。

「色々な任務があった」「特定の人々に会い、顔見知りにならなくてはならなかった。例えばロシア・リバタリアン党の党首や、非営利団体フリー・ロシア・ファウンデーションのジョージア支部の責任者などだ」

やはり大きな関心を引いたのは外部からの関与であり、何らかの形で西側諜報(ちょうほう)機関が絡んでいる可能性だった。

「他にもより複雑な任務があった。西側と何らかの協力関係がないか、特定の団体の裏で何が起きているかを突き止めたりした。反体制派が米国をはじめとする外国の特殊機関のために動いているのかどうかも探った」

オシポフさんもジョージアに送られ、ロシア人コミュニティーの見解を監視するよう告げられた。とりわけウクライナでの戦争に関する見方と、他国や非政府組織がウクライナ難民をどのように支援しているかが対象だった。

「FSBは西側治安機関との協力の有無や、海外から資金を受け取っている人物がいないかどうかにも関心を払っていた」

常に危惧していたのは、どのような危険がクレムリンやプーチン大統領に及び得るかということだったと、オシポフさんは振り返る。

「ロシアの治安機関は、我々の国の歴史をよく理解している」「巨大な移民のコミュニティーが国外に出現すると、そこで人々はお互い自由に発言し、計画をともに実行し、ウクライナ難民を助ける。要するにロシアのミニチュア版が国外に作られるわけで、そこにFSBの支配は及ばない。彼らは歴史が繰り返すのではないかと恐れている。1917年、レーニンがモスクワにやってきて革命を開始した時のように」。オシポフさんはそう付け加えた。

アムステルダムのソコロフさんは、ロシアによるウクライナ侵攻の衝撃が自分の抱いていた恐怖を圧倒したと説明。自身にどんな影響が及ぶかも度外視し、FSBに背を向けざるを得なかったと振り返った。

「ロシアの現状が憎い。ロシアとつながる何もかもが憎い。我々の兄弟国、私の兄弟国に戦争を仕掛けたという事実に虫唾(むしず)が走る」(ソコロフさん)

狙われるロシアの若き活動家、拘束され治安機関のスパイに

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