失われた4500年前の「太陽神殿」、考古学チームが発見か エジプト

「太陽神殿」の一つとみられる遺構が発見された/M. Osman

2021.11.18 Thu posted at 07:00 JST

(CNN) 考古学者のチームがこのほど、エジプトの失われた「太陽神殿」の一つとみられる遺構を発見した。紀元前25世紀半ばの時期のものと考えられている。

発見場所は首都カイロの南約19キロに位置するアブグラブ。ポーランド科学アカデミー地中海東洋文化研究所のマッシミラノ・ヌッゾーロ助教授は15日、CNNに対し、アブグラブにある別の神殿の下に埋まっていた遺構が見つかったと明らかにした。

アブグラブでは1898年、発掘作業中の考古学者らが、紀元前2400年~2370年にかけてエジプトを統治した第5王朝第6代国王ニウセルラーの太陽神殿を発見していた。

今回の調査結果は、この神殿が別の太陽神殿の遺構の上に建てられたことを示唆するものだ。

ヌッゾーロ氏はCNNに寄せたメールで、「19世紀の考古学者はニウセルラーの石造りの神殿の下に隠れていた泥れんがの建物のごく一部を発掘した段階で、同一の建物の以前の建築段階を示すものものだと結論づけた」と説明。「我々の発見により、実はニウセルラー以前に建てられた全く別の建物だったことが示された」と指摘した。

今回発見された遺物にはニウセルラー以前の王の名前を刻んだ印章や、正面ポーチの一部を構成していた石灰岩製の柱の基底部、石灰岩の敷居が含まれる。

ヌッゾーロ氏によると、最初の建物は全体が泥れんがで作られていた。研究チームは数十個に上る無傷の酒つぼも発見したが、その一部には特定の宗教的儀式のみで使われる泥が詰まっていた。この陶器の年代はニウセルラーが生きた時代の1~2世代前に当たる紀元前25世紀半ばと考えられている。

泥れんがで出来た神殿は「相当な大きさ」(ヌッゾーロ氏)だったが、ニウセルラーは新たに自分の太陽神殿を建設するため、儀式として以前の神殿を破壊した。

考古学者は当時の人々の生活をよりよく理解するために発掘したものの分析を進めるという

どちらの神殿も太陽神ラーにささげられたものだが、ニウセルラーは神殿を通じて自らの権力の正統性を主張し、自分が地上で唯一の太陽神の息子であることを示そうとしたのだという。

「従って、間接的にではあるが、この神殿の主眼は生身の王の神格化を図ることにあったといえる」(ニウセルラー)

史料では全部で6つの神殿が建設されたことが示唆されているが、これ以前にはわずか2つしか発掘されていなかった。史料からは、太陽神殿がいずれもアブグラブ周辺に建設されていたことも分かるという。

ニウセルラーの太陽神殿は泥れんがの建物に非常によく似た設計だが、規模がより大きく、素材が石という違いがある。

エジプトの王がまずれんがで神殿をつくり、後に石で再建したという説は知られていないことから、泥れんがの建物がニウセルラーによって建設された可能性はないとみられる。

研究チームは今後さらなる発掘を通じ、どの王が泥れんがの神殿建設にかかわったのか突き止めたい考え。

特に陶器を調査することで、食生活や信仰など、当時の人々の生活ぶりについてさらなる知見が得られる見通しだという。

ヌッゾーロ氏や研究チームの発見については、14日放送の米ナショナルジオグラフィックの番組で取り上げられた。今回の発掘はナポリ東洋大学とポーランド科学アカデミーが実施した共同調査の一環。

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