中国人留学生の入国規制、中国よりも米国にとって損失か

米政権が行った中国人向けビザ(査証)発給の厳格化が波紋を広げている/Bai kelin/Imaginechina/AP

2021.10.01 Fri posted at 06:45 JST

香港(CNN) 2020年の春節(旧正月)に米国から母国である中国に帰国したデニス・フーさんは、ほんの短期滞在のつもりだった。家族とともに春節を祝い、米国のビザ(査証)を更新した後、ボストンに戻り、ノースイースタン大学で4年目となるコンピュータサイエンスの博士課程を続ける予定だった。

しかし、それから1年半が経過した今もフーさんは中国に足止めされ、いつ米国に戻れるかも分からない。

現在、新型コロナウイルスの影響に加え、トランプ政権下で始まった中国人向けのビザ発給の厳格化により、留学の中断を余儀なくされた中国人留学生が1000人以上存在し、フーさんもそのひとりだ。

米中間の緊張が高まる中、米国内における中国人留学生によるスパイ活動の脅威に直面した当時のトランプ大統領は、中国人留学生のビザ発給の条件を厳格化した。これにより中国のいくつかの大学を卒業した科学、技術、工学、数学の4つの分野(STEM)の学生は、米国留学に必要なビザの取得が事実上不可能になった。

しかし、この措置の影響を受けた中国人留学生らはスパイ容疑を完全否定しており、明確な説明がないことに不満を抱いた一部の学生は、米国政府に対して法的措置を講じるための弁護士費用をクラウドファンディングで募っている。

専門家らは、この問題の影響は直接的な被害を受けた個々の留学生にとどまらず、はるかに広範囲に及ぶと指摘。重要なSTEM分野の研究に貢献する海外の大学院生を締め出せば、米国の研究の質に影響を及ぼす恐れがあると警告する。

また、米国機関による中国人留学生の採用への影響や、すでに緊張している米中関係のさらなる悪化も懸念される。

新型コロナと入国規制

フーさんは、昨年の最初の数カ月間は新型コロナウイルスの感染急拡大の阻止を目的とした米国の入国制限の影響で中国から米国に戻れなかったのだが、5月からは政治的な理由に変わった。

米情報機関は長年、中国が学生のスパイを使って米国の機密を盗んでいると警告してきた。独立系シンクタンクのオーストラリア戦略政策研究所(ASPI)によると、学生をスパイとして採用する動きは、民間人を使って軍事力の強化を図るという中国の軍と民間が連携して進めている戦略の一環であり、過去10年間、学生の採用は増加傾向にあるという。

現在、米国には37万人以上の中国人留学生がおり、他国からの留学生のおよそ2倍に上る。米当局は、米国の開かれた学術環境の保護と国家の安全に対するリスクの緩和の両立という難題に直面している。

中国政府は、中国人留学生がスパイ活動をしているとの米国の主張は「事実無根」とし、「根拠のない」非難は一種の偏見、差別であり、最終的に米国の利益を損なうと主張する。

しかし、トランプ前大統領は昨年5月、軍とつながりのある中国人留学生へのビザ発給を制限する大統領布告に署名した。

中国に関する記者会見に出席したトランプ大統領ら=2020年5月、米ホワイトハウス

同布告は、中国は軍の近代化や能力強化の一環として、米国の機密性の高い技術、知的財産を入手するために「広範かつ莫大な予算を投じた」組織活動を行っていると述べているが、中国政府は「政治的迫害」と強く非難している。

この布告の影響を受けたフーさんや他の中国人留学生たちは、ジョー・バイデン氏が大統領になれば布告は撤回されると期待していた。

しかしバイデン政権は、今年5月に中国人への学生ビザの発給は再開したが、布告は維持している。米国務省は、この政策の対象は「限定的」で、影響を受けるのは中国人の学生ビザ申請者のわずか2%未満にすぎず、米国の研究事業や国家安全保障上の利益を守るために必要としている。

学生はスパイか?

米国務省は昨年、中国人留学生の入国制限措置が昨年5月に発動されて以来、大統領布告の下で少なくとも1000人の留学生のビザが取り消されたことを明らかにした。

中国外務省は、米国に対し中国人留学生の入国規制を撤回するよう強く求めているが、米国内で数人の中国人がスパイ容疑で起訴されているのも事実だ。最近では、生物学的研究のサンプルを中国に密輸しようとした中国人留学生が起訴されたり、電気工学を学ぶ別の中国人留学生もスパイ活動を行った容疑で起訴されたりした。

中国に関する著作のある作家エリック・フィッシュ氏は、米国内で中国人によるスパイ活動が行われているのは間違いないが、現在の米国の政策は恣意(しい)的で、対象範囲も広すぎると指摘する。フィッシュ氏は、入国制限の標的とされている中国の大学は軍事大学ではなく、何千人もの学生を抱える民間大学であり、その大半は軍とは無関係だと付け加えた。

フィッシュ氏は、中国人留学生の入国規制について、仮にトランプ前大統領が発動していなかったとしてもバイデン大統領がこの政策を発動していたとは考えていないものの、現在の緊迫化した米中関係を考えると、今、規制を撤回するのは政治的に賢明な選択とはいえないのかもしれないとの見方を示した。

フィッシュ氏は「バイデン氏がこの政策を撤回すれば、共和党議員らから、中国に甘すぎる、中国のスパイ活動を放置するのか、と批判を浴びるだろう。ただ実際は、必ずしもそのような状況ではないのだが」と述べた。

中国人留学生を締め出すことによる損失

中国人留学生の入国規制の影響を受けるのは留学の機会を逃した中国人留学生だけではない。専門家は、米国の研究の質にも影響が及ぶ可能性があると警告する。

米国で学ぶ中国人留学生のうち、入国規制の影響を受ける学生の割合はごくわずかだ。しかし、彼らが行っているのは最も重要な研究の一部であり、さらに米国内のSTEM分野の大学院生のおよそ16%が中国人だ。また米シカゴに拠点を置くシンクタンク、マクロ・ポロによると、一流の人工知能(AI)研究者のおよそ3分の1は中国で学士号を取得するが、そのうちの半数以上が卒業後に米国で研究、就職、生活をしているという。

中国人留学生のデニス・フーさん

フィッシュ氏は「米国は、極めて有益な分野の、極めて価値の高い何千人もの中国人留学生を締め出している。彼らは米国の研究や、多くの研究所に多大な貢献をしている」と指摘する。

そして、これは米国にとってはマイナスだが、逆に中国にとってはプラスだ。フィッシュ氏によると、実はこの米国の政策は、最高の人材を自国に呼び戻すという中国の長年の目標の実現に貢献しているという。

近年、中国の大学は、一流の研究者を集めるために研究能力の強化を図っている。しかし、たしかに中国の研究成果には改善が見られるが、今も世界の研究の中心は米国であり、それゆえ世界の有能な人材が米国に集まる。

ウィルソン・センター・キッシンジャー米中関係研究所のロバート・ダリー所長は「米国の強さの源のひとつは、最高の人材が集まる世界最高水準の大学が米国に多数存在することだ」とし、さらに「米国の大学が優れているのは、誰にでも開放され、国際化しているからだ」と付け加えた。

たしかにスパイ活動について懸念するのは当然だが、その脅威がどれほどの規模なのかは定かではない。それが米国の機密情報の潜在的損失と中国人留学生がもたらすメリットの比較衡量を難しくしている。

今後の展開

米国では今、一部の政治家らが中国人留学生の入国規制のさらなる厳格化を強く求めている。一方、入国制限への不安を抱える一部の中国人留学生たちは、米国に完全に見切りをつけ、カナダ、英国、オーストラリア、シンガポール、香港に向かっている。

そのような状況の中、米中間の文化の違いに対する理解が最も必要な時に、米国に来る中国人留学生の数が減少すれば、互いの文化への理解がさらに弱まるとの声も聞かれる。

また中国人留学生たちが米国で受けている差別や、米中関係を不透明にしているスパイ容疑に不安を抱いた有望な学生たちが、今後米国留学を避ける恐れもある。

フィッシュ氏は「多くの中国人留学生は、米国は自由の地であり、世界の一流の科学者らが学んでいる場所と考え、渡米前は米国にあこがれを抱いていた。しかし、いざ行ってみると非常に不安定な立場に立たされた。恐らく彼らは、米国に対し以前はなかったネガティブな感情を抱いて帰国していることだろう」と言う。

フーさんはまさにそんな心境だ。フーさんは今も、中国で状況が好転するのを待ち続けている。

フーさんは「非常に悲しい。われわれ(中国人留学生たち)は大変真面目な研究者集団だと思っていたが、不当に起訴されたり、ぬれぎぬを着せられたりることすらある」と述べ、「(中国人留学生の)入国を規制しても国の安全が保障されるわけではなく、むしろ米国の大学の威信を危うくするだけだ」と付け加えた。

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