(CNN) 殺人罪で死刑を言い渡され、死刑囚として15年間拘留されていたデーモン・ティボドーさん(47)が新型コロナウイルス感染症の合併症のため死去した。冤罪(えんざい)が晴れて自由の身となってから9年後だった。
「治療に当たった看護師は、彼は前向きでとても人なつこい性格だった、担当できたことを光栄に思うと話していた。憎しみを募らせる患者が大半だが、デーモンさんはそうではなかった、と」。兄弟のデービッドさんはCNNの取材にそう語り、「それこそ私の兄弟だ。彼はとても優しい人間だった」と振り返った。
デーモンさんは1997年、ルイジアナ州で有罪となり、2012年に釈放された後はテキサス州オースティンを拠点にトラックの運転手として働いた。デービッドさんによれば、人生の再建に成功していたという。
「彼は恨みを抱いていなかった。世界に怒りを募らせて当然だったが、誰にも怒りを向けず、自分を収監した人のために祈っていた」(デービッドさん)
デービッドさんによると、デーモンさんが症状を感じ始めたのはモデルナ製ワクチンの2回目の接種を終え、トラックで移動していた時のことだった。兄弟2人は毎日話をしていたが、8月の初め、移動を始めて数日後のデーモンさんから体調不良を訴える電話がかかってきた。
当時、デーモンさんはニューヨークからフロリダ州ジャクソンビルまでトラックを運転中で、配送が終わったら診察を受けると話していたという。
デーモンさんはフロリダ州に到着すると、緊急病院に向かっているところだとデービッドさんに電話で連絡。だが待ち時間に失神し、顔から倒れた。その後、デーモンさんから全く連絡がないまま3~4日が経過した。
デーモンさんの容体は一時悪化したものの、9月2日にはデービッドさんの元に回復できそうだという電話がかかってきた。
デービッドさんはどうか元気でと伝え、テキサス州から車でデーモンさんを迎えに行く計画を立てた。
その夜、デービッドさんは1本の電話を受け取った。デーモンさんの肺は壊れ、心臓も機能不全を起こしていた。
「(看護師から)『蘇生措置の停止の許可が必要です』と言われた」と、デービッドさんは振り返る。
デービッドさんは信じられない思いだった。デーモンさんとは数時間前に電話で話したばかりで、基礎疾患もなかったからだ。しかし、医療チームがもう45分間も蘇生を試みていると聞き、デービッドさんは回復の望みがないことを悟った。そして、病院に蘇生の停止を許可した。
デーモンさんが冤罪で有罪判決を受けたのは、義理のいとこ(14)の強姦殺人を認める虚偽の自白をした後のことだった。
デーモンさんは警察の事情聴取を受けた多数の1人で、米自由人権協会(ACLU)によると、9時間あまりに及んだ尋問の末、「自白のような行為」に至った。デーモン・ティボドーさんは有罪判決を言い渡され、死刑囚として15年間拘留される結果となった。