(CNN) ヘーブン・シェパード選手(18)がこれまでの人生を振り返るとき、自分が生きているのは奇跡だったと思わずにはいられない。
米代表として東京パラリンピックの水泳競技に出場したシェパード選手は、200メートル個人メドレーで5位に入賞した。
「水着を着け、見回して、『体のほかの部分に傷痕はない。ただ両脚だけ』と感じる」。シェパード選手はCNNのインタビューにそう語った。
生後14カ月の時に両親が爆発で死亡。自身は生き延びたが、両脚を失った。
「私はベトナムで生まれた。両親は不倫していて私が生まれた」とシェパード選手は説明する。「ベトナムでは女性が夫と離婚することができない。だから2人は自分たちが置かれた状況を考えて、一家心中するのが一番いいと思った」
「2人は爆弾を自分たちにくくり付けて、私を抱いた。私は40フィート(約12メートル)吹き飛ばされて、両脚にダメージを負った」
生後20カ月で米ミズーリ州の家庭に引き取られてロブさんとシェリーさんが両親になり、6人の兄弟姉妹ができた。
3歳になるまでには庭のプールで泳ぐことを覚え、10歳で大会に出場するようになった。
パラリンピック出場は東京が初めて。過去の出来事が今の自分を作り上げたと感じている。
「母はいつも、私の身に起きたことについて本当に正直だった。今の私があるのは間違いなくそのおかげ」
「私は自分を生んだ母親の犠牲のことを考える。私はいつもとても幸せで元気いっぱいの赤ちゃんだった。……そして私は、私のために彼女が自分の命を犠牲にしたことに目を向ける」
「私はこんな素晴らしい人生を送ることになった。私はここでパラリンピックに出場し、素晴らしい子ども時代を過ごした」
水泳を通してシェパード選手は「内なる平穏」の感覚を発見した。それは幼い頃から水の中で感じていた穏やかな心地良さだった。
「私が初めてほほ笑んだのは、私を引き取った両親が私をプールに入れた時だった」と振り返る。
「今も水泳は私を笑顔にしてくれる。音がなく、何も聞こえない。スポーツが自分の背中を押してくれると知ったのは特別なことだった」
「1週間に9回練習して死ぬほど疲れ切っていても、またそれを楽しみにしている」
プールを離れても、シェパード選手はモデルとしての活動や講演活動を行い、手足を切断した人のための親善大使を務める。
そうした生活の中で、自身の障害について「私が受け取った最高の贈り物の1つ」と受け止めるようになった。
「切断を経験すると、または一般的に四肢がない状態で育つと、間違いなく成長が早くなる。自分にとってどんな世界になるかを選ぶ必要に迫られるから」
「世界を安全ではなく、自宅から出られず自分を人に見られたくないと思う場所にするのか。それとも『私たちは存在しているんだよ』と世界に知ってもらいたいと思うのか」
「泳ぐ私を見た人は、ナショナル・ジオグラフィック誌で見つけた新種の魚か何かだと思うのかもしれない。みんな私をじろじろ見る。でもそれも特別なことだと思う。みんなのための学習の道具になって、パラリンピックと障害者のコミュニティー(について)そうした人たちを教育できる」
パラリンピック出場というゴールに到達した今、シェパード選手は人生の次の目標、そして次のパラリンピックに照準を据えている。
「私の人生はこれから。でもパリで必ずお会いします」
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