「台湾の非武装地帯」金門県、かつての軍事拠点は今や人気の観光スポットに

台湾の金門島。軍事拠点として中国と対峙していた歴史の名残もとどめる/courtesy Kinmen County Government

2021.04.23 Fri posted at 17:20 JST

(CNN) 台湾・金門島の北西端の丘の上に、48台の拡声器が埋め込まれたコンクリート製の巨大な壁「北山放送壁」がある。

数十年前、海に向かって設置されたこのプロパガンダ用の壁からアジアの「永遠の歌姫」故テレサ・テンさんの歌が、海の10キロ先まで届くほどの大音量で流されていた。テレサさんの歌は、中国本土の都市、厦門(アモイ)の住民に向けたものだった。

1967年に設置されたこの壁は、中国共産党と台湾の与党国民党の間の冷戦において重要な役割を果たした。台湾当局は、この壁から台湾の有名歌手の歌だけでなく演説も流し、その中には本土の兵士に亡命を促す内容のものもあった。

一方、中国本土も「お返し」とばかりに厦門に設置した拡声器から海の向こうの台湾に向けて独自の国家主義的メッセージを大音量で流した。

なぜ金門島のような小島がそこまで重要視されるのか?

中国本土と台湾は、国共内戦で中国共産党が中国本土で勝利し、敗れた中国国民党が台湾に逃れた後、1949年から現在まで別々に統治されてきた。中国本土と台湾は、政治的には何十年間も敵対関係にあるが、共通の文化的、言語的遺産の大半が今も存続している。

しかし、中国政府は台湾を中国固有の領土とみなし、それを否定する見解を強く非難している。


故テレサ・テンさんの歌声を大音量で流していたというプロパガンダ用の壁/An Rong Xu/Getty Images AsiaPac/Getty Images

金門島がある金門県は、中国本土の都市、厦門と台湾本島の間の台湾海峡に浮かぶ島々で構成されているが、金門島は台湾本土よりも厦門に近いため、何十年もの間、戦略的、地政学的に重要視され、時々、同島で中国・台湾間の戦闘も発生している。

金門島は、1949年から92年までの43年間軍政下にあったが、中国本土と台湾の関係改善に伴い、90年代初頭に旧軍事基地での放送は終了した。

金門固有の歴史

2001年に「小三通」が施行されたおかげで、金門県の島々は近年、中国本土の人々に非常に人気の高い観光地となっている。

この小三通により、金門県や馬祖列島の沿岸部の都市を通じて、台湾と中国本土との間で三通(通信・通航・通商)が限定的に実施されるようになった。

金門島にはかつて軍事拠点だった頃の跡が残っており、歴史通の人々にとっては魅力的な観光スポットだ。

韓国世宗研究所中国研究センターのソンヒョン・リー所長は、2019年に金門島を訪問し、韓国と北朝鮮の国境に位置する非武装地帯(DMZ)と比較した。

リー氏は「私は(金門島を)『台湾のDMZ』と呼んでいる」と述べ、「恐らく金門島を訪れる大半の韓国人は同じように感じるだろう」と付け加えた。

金門島は、1949年から92年までの43年間軍政下にあった

金門島にある大型拡声器、浜辺の軍事バリケード、秘密のトンネルを見ると、悪名高い南北間の非武装地帯を思い出すと言うリー氏だが、金門島と南北間の非武装地帯の間には多くの相違点があると指摘する。

「DMZと比較し、金門島は戦争の最前線というより観光地としてのイメージが強い」と、リー氏は語る。

放送壁など、軍事拠点だった頃の遺物は中国本土からの旅行者にとって主要な観光名所になっている。今でも大型拡声器からテレサ・テンの曲が流れているが、あくまで観光客向けのサービスで、音量は大幅に抑えてある。

「かつて金門島が軍政下にあった時代は、10万人の兵士が島の経済を支えていた」と金門県観光局のチェンカン・ティン局長は説明する。

「その後、軍事政権が解散し、大半の軍隊が撤退したため、金門島は経済的打撃を受けた。そして(1993年に)金門島が一般開放されて以来、観光が金門島経済の頼みの綱となっている」(ティン氏)

例えば、50年代に設立された金門酒廠(金門酒工場)は、かつて軍が運営する蒸留所だった。金門酒廠が製造する金門高梁酒は今や台湾で最も売れている酒のひとつで、金門酒廠も金門島では必ず訪れるべき観光スポットだ。

また大砲の砲弾は、有名な金門包丁の材料として使われている。


50年代に設立された金門酒廠(金門酒工場)は、今や島を代表する観光スポットに/courtesy Kinmen County Government

中国本土と台湾を再び結び付ける小三通

小三通の施行前は台湾と中国本土との間に直接的なつながりがなかったため、金門は「(中国本土と台湾の)両岸の交流が始まった」場所のひとつとなった、とリー氏は言う。

「今、韓国の学者たちが、小三通や、両岸の人々がどのように交流し、普通の生活を送っているのかを研究するために金門を訪れている。韓国と北朝鮮の間で市民の交流がほぼ皆無である現状を踏まえると、金門は韓国人にとっての『研修旅行先』だ」(リー氏)

2001年に両岸の往来の制限が緩和されて以来、金門はさらに開放された。

中国本土からの旅行者は、2015年から事前に許可を申請しなくても金門への旅行が可能になった。新型コロナウイルスのパンデミック(世界的大流行)が発生する前は、中国本土からの旅行者には、空路、海路を問わず、到着時に金門島への上陸(着陸)許可が与えられていたが、台湾本島への旅行者はこの特例の対象外だった。

金門島への直行便も拡大し、中国本土の複数の都市から金門空港行きのフライトを提供する航空会社が増えている。またパンデミックが発生する前は、金門島と厦門の間を毎日40便以上のフェリーが運航していた。

パンデミックの影響

2019年には約250万人の旅行者が金門島を訪れ、そのうちの約41%が中国本土からの旅行者だった。そして、旅行者数は今後も増え続けると予想されていた。

しかし、新型コロナウイルスの感染拡大の影響で、20年2月から両岸関係は一時中断しており、フェリーや飛行機の直行便も全て欠航し、今年20周年を迎える小三通に暗い影を落としている。

ティン氏によると、20年に小三通で金門島を訪れた人の数は93.96%も減少したという。

アフリカ東部モロッコの街路を彷彿させるという沙美老街

パンデミックの影響で、金門島の旅行市場も休止に追い込まれた。

台湾のタロイモ料理で有名な民宿兼レストラン、黃厝三層樓のオーナー、レオ・ホンさんによると、「最初の数カ月間、金門島の観光産業は大打撃を被った。大半の人はあえて飛行機に乗ろうとはしなかったので、島の観光業はまる半年間休業状態だった」という。

しかし、台湾はコロナウイルスの早期封じ込めに成功し、地元の観光が再開されたため、金門島の観光産業もコロナウイルスの発生からわずか数カ月で急回復した。

金門島への旅行者数は20年7月までに18万4714人に増加し、さらに8月の訪問者数は前年同月を上回った。

「コロナ危機で難題に直面したが、一方で島の観光産業のポジショニングを見直すいい機会にもなった」とティン氏は言う。

金門県の今後の課題

新型コロナウイルスの影響から学んだ金門島の観光業界の人々は、台湾当局に対し、提供する製品やサービスの幅を広げ、標的とする観光客の多様化を図るべきだと主張する。

黃厝三層樓のオーナーのホンさんも「パンデミックは今後1、2年間、世界に影響を与え続ける可能性があるため、政府はより趣向を凝らした、金門島ならではの観光サービスを開発すべきだ」と述べ、さらに「金門島は島であるにもかかわらず、隣の澎湖(ポンフー)県に比べ、海関連の旅行製品は最低限しかない」と付け加えた。

金門県観光局の広報担当者もホンさんと同意見で、今後、海上の旅など、テーマのある実験的な旅行製品の強化に注力するとしている。

また金門県観光局のティン局長も、若者向けの旅行ブランドを作り、島の観光業を活性化するために、芸術、音楽、戦場を結び付けたサマー・ミュージック・フェスティバルの開催を予定していることを明らかにした。

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