(CNN) チェコの田園地帯のただ中にあるクトナーホラ。この場所にはチェコでも有数の美しい建物が立っている。
クトナーホラは首都プラハの東およそ70キロに位置する中世都市で、13~16世紀には政治や経済、文化面でプラハと競っていた。競争力の一因となったのは銀鉱山の繁栄だ。
今日のクトナーホラは、落ち着きを深めながらも印象的な形でチェコ文化と伝統を映し出しており、国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界遺産に指定されている。だが、バロック様式の建物や中世の教会の陰には、気の弱い観光客にはお勧めできないスポットがある。
セドレツ郊外の狭い通りを抜けると、不気味な趣をたたえた礼拝堂にたどり着くだろう。
外から見る限り「全聖人教会」は控え目なたたずまいだが、その地下には謎と死をめぐる魅力的な物語が潜んでいる。
小さな階段を降りた先に「セドレツ納骨堂」があり、約4万人分の人骨で装飾されているのだ。
「骨の教会」の背後にある物語の発端は1278年。ボヘミア王はこの年、セドレツの修道院長をエルサレムに派遣した。
修道院長はキリスト磔刑(たっけい)の地とされるゴルゴダの丘から土を持ち帰り、地元の墓地にまいたと言われている。
「聖なる土」の話が公になると、地域全体から墓地への埋葬を求める声が舞い込み始めた。
現在セドレツ納骨堂に眠る骨は、街の拡張や新たな埋葬の場所をつくる目的で15世紀に掘り起こされたものだ。
これらの骨は教会の地下に積み上げられていたとみられる。だが1870年、発掘と整理のためフランティシェク・リントという木彫り職人に白羽の矢が立てられた。
その結果は衝撃的で、今日の地下礼拝堂には骨だけでできたシャンデリアや、頭がい骨の輪が掛けられている。
シャンデリアの左にあるのは骨で作ったシュバルツェンベルグ家の紋章だ。チェコの貴族である同家はかつて街の領主だった。
一方、右側には山のような人骨がうずたかく積み上げられている。
セドレツ納骨堂の責任者は「今でも定期的に地上の礼拝堂や地下堂でミサを行っている」と説明。「教会内でコンサートが開催されることもある」と話す。
昨年は約45万人の観光客を迎え、今年は50万人の訪問が見込まれている。
ただ、住民にとってはこうした人気が問題になりつつある。
同責任者は「この場所が墓地に囲まれたカトリック教会だということを理解する必要がある。来訪者全員がこの事実を尊重しているとは言えない」と話す。
セドレツで育った住民も、一部観光客の敬意を欠いた態度にいら立ちを募らせている。
「私たちの家の墓はセドレツ全聖人教会の入り口前にある」「教会は亡くなった家族とのつながりを確認する場所。死者にとっては安息の場所だ。昔の死者ばかりではなく、最近亡くなった人も眠っている」
「観光客が関心を持ってくれるのはうれしいが、この点は理解してほしい」
住民と街の観光産業の双方にとってこの場所が重要であることは、現在行われている大規模改修からもうかがえる。
改修プロジェクトの期間は最大2年となる見込みで、すでに建物の内外で骨の修繕などの作業が進行中だ。ただ、改修中も一般開放は続いている。
プラハからクトナーホラへは鉄道で55分。列車は定期的に運行しており、当日限りの往復切符は8ドル相当となる。