(CNN) 米フロリダ州に住む88歳の女性が、生まれた直後に引き離され、死んだと聞かされていた娘と69年ぶりの再会を果たした。
88歳になったジェネビーブ・プリントンさんは、1949年にインディアナ州の病院で女児を出産した。しかし生まれた子どもに会いたいと頼んだところ、死産だったと告げられた。
娘のコニー・モルトループさん(69)は言う。「母は未婚だったという理由で私が死んだと告げられた。私がまだ生きていることを知らないまま、これまで生きてきた」。そうした実態を告発したドキュメンタリー作家のアン・フェスラーさんによると、当時の米国では、これは珍しいことではなかったという。
モルトループさんは児童養護施設に入り、後にカリフォルニア州サンタバーバラの夫婦の養子になった。ところが数年後、モルトループさんがまだ5歳だった時に、養母が死去した。
モルトループさんの娘のボニー・チェイスさんによると、養父は別の女性と再婚したが、モルトループさんはこの女性に虐待されるようになり、その窮状から抜け出したい一心で、生みの親を探し続けたという。
チェイスさんは昨年のクリスマスに、DNA鑑定キットをモルトループさんにプレゼントした。それがモルトループさんの人生を一変させることになった。
「しばらくためらってから、ついに使った結果、親類はそれまでのたった3人(娘1人と孫2人)から、1600人に増えた」とモルトループさんは語る。
この検査で見つかった遠縁のいとこに連絡を取ったところ、このいとこのおばに当たる女性が生みの母だったことが判明。「まだ存命で、一人で暮らしている」と知らされた。
モルトループさんは探し当てた母に宛てて、自分の連絡先を記したカードを送った。母から電話があったのは9月8日だった。
こうして母と娘は12月3日、フロリダ州タンパにあるプリントンさんの自宅で、69年ぶりの再会を果たした。「私は母といとこに対面し、私たちはただ涙を流した」とモルトループさんは振り返る。
話はそこで終わらない。モルトループさんは1月に、父方の異父姉妹2人と会う予定にしている。
チェイスさんは、「これまで家族のことは何も知らなくて、私たち3人だけだったのに、今は4000人以上とつながっていることが分かった」と感慨深げだった。