重傷負った脱北兵が初インタビュー 北朝鮮の生活を語る

脱北時の兵士の姿を捉えた画像/United Nations Command

2018.11.20 Tue posted at 12:48 JST

(CNN) 昨年11月に北朝鮮から、韓国との軍事境界線上にある板門店で逃走を図り、仲間の銃撃を受けて重傷を負った元兵士がメディアとの初のインタビューに応じた。

当時24歳だった呉青成(オチョンソン)氏は現在改名し、別人として韓国で暮らしている。

越境した時、仲間の兵士たちに5回ほど撃たれたが、韓国兵士らに助けられた。空路病院へ運ばれ、奇跡的に死を免れた。病院で執刀した韓国の軍医によれば、際限のないほど大量の輸血が必要だったという。

呉氏は産経新聞とのインタビューで、自身を撃った仲間の立場に理解を示し、「撃たなければ厳しい罰を受ける。私がかれらの立場でも撃っただろう」と話した。

逃走を決意した理由は軍の仲間との「トラブル」だったというが、詳しくは語らなかった。

入院生活は今年2月まで続き、今も定期的に通院している。片腕の神経を失って感覚がないという。

呉氏は比較的豊かな軍人家庭に生まれ、2010年に入隊。軍事境界線の共同警備区域(JSA)に配置され、上官の運転手を務めていた。

そんな生活の中でも、飢えは大きな問題だった。北朝鮮では「金か権力がなければどぶ川で死ぬしかない」と、呉氏は言う。

脱北兵に手術に当たった医師

かつて警官の仕事をしていたころは、違法行為を見逃して金を受け取っていた。相手が求めた金額を払わなければ、投獄すると脅したこともある。

韓国で受けた健康診断では寄生虫が見つかった。北朝鮮では人の排泄(はいせつ)物を肥料に使っていることなどから、ほとんどの人に寄生虫がみられると、呉氏は指摘する。ただし、寄生虫は宿主が極度の栄養失調だと成長できない。呉氏は、自分の体内に寄生虫が繁殖していたのは栄養状態が良かったからだと説明した。

軍では食器を洗わずに何度も使っていた。多くの住民が食料や物資の不足に苦しみ、それが指導部への無関心につながっている。

金正恩(キムジョンウン)朝鮮労働党委員長に対しては「私の年代の約8割がしらけた気持ちで、忠誠心もない」という。

呉氏によると、北朝鮮では日本製品の人気が高く、日産の輸出車「パトロール」は軍の将校らがもっぱら愛用している。「北朝鮮の人々は政治面で日本を非難するが、経済面では日本を尊敬している」と、同氏は強調した。

脱北兵、日本メディアに自身の経験語る

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