写真特集:日本のローライダー文化に出会う

2018.08.25 Sat posted at 18:30 JST

 ローライディングが最初に普及したのは1940年代のカリフォルニア南部。メキシコ系米国人が色鮮やかな塗装を米国車に施し、「ローアンドスロー」で走行するよう改造した。第2次世界大戦後にローライダー文化が米国各地に広まる中、その魅力は海外でも増していった。ここでは日本独自の色合いを深めたローライダー文化を見ていく

ウシダ・ヒサシさん2003年に名古屋で「チョロスカスタム」を開設した
日本有数の歴史を持つローライダークラブ「ファラオス」の集まり
バブル経済の絶頂にあった1980年代半ばの日本では、愛好家がインパラなどの輸入を始めた
ファラオスのウシダ・ヒサシさんによれば、改造の入り口はたいてい小型トラックだ
「スフィンクス」と名付けられた金色の1954年製シボレー210の脇に、クリーミーグリーンの1936年製ダッジ・セダン「エルテソロ」と、鮮やかなピンクの1954年製マーキュリー・モントレー「ラビダロサ」が並ぶ
「ローライダー文化が日本で最初に始まったとき、あちらに行った車は米国内とまるで同じ外観になった。大きな改造や変更はなく、車の装飾はチカーノのもののようだった」(ルーク・ドーセット氏)
「やがて持ち主のあり方を表現する装飾が出てきた。自分なりの趣向を加え始めたわけで、その様子は見ていて刺激的だった」
リンカーン・マークⅣ
ローライダーが初めて普及したのは1940年代のカリフォルニア南部。メキシコ系米国人が色鮮やかな塗装を米国車に施し、「ローアンドスロー」で走行するよう改造した
ウシダ・ヒサシさんは「クルーザーの運転も楽しいが、改造にともなう興奮もある」と話す
サトウ・シゲルさんは「米国ではローライダー文化の影響は車の改造だけでなく、ファッションや音楽、家族にも及んでいる」と語る
「ローライダー文化が日本で最初に始まったとき、あちらに行った車は米国内とまるで同じ外観になった。大きな改造や変更はなく、車の装飾はチカーノのもののようだった」(ルーク・ドーセット氏)
ファラオスのメンバーは25人ほど。男性主体の日本のカークラブとしてはごく標準的だ
「クルージングやピクニックに行ったり、時には会合やパーティー、他のカークラブとのバーベキューも開いたりしている」(ウシダさん)
ドーセット氏は日本のローライダーについて、ロサンゼルス東部の場合と同様、仲間同士の一体感や自分らしさの感覚をもたらしていると指摘。チカーノと日本の文化の間には「精神的なつながり」が見て取れると話す
1954年製のシボレー210「スフィンクス」
日本におけるローライダーの集まり。ショータイムだ
ルーク・ドーセット氏は電話インタビューで、「(日本と米西海岸は)どちらの文化でも手作りの芸術に情熱を注いでいる」「細部へのこだわりがすごい」と語った
ウシダ・ヒサシさんは2003年に名古屋で「チョロスカスタム」を開設した
バブル経済の絶頂にあった1980年代半ばの日本では、愛好家がインパラなどの輸入を始めた

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