超音速機コンコルド、実際の乗り心地は? 経験者が振り返る

英仏共同開発の超音速機コンコルド

2018.09.17 Mon posted at 18:08 JST

(CNN) ノルウェー・エアシャトルのボーイング787型機は今年初め、強いジェット気流に乗り、米ニューヨークから英ロンドンまで「史上最速」の5時間13分で到達した。予定時刻に1時間近く先駆けての着陸だった。

ただ「史上最速」というのは、亜音速機に限った話だ。

40年以上前の1976年、英仏共同開発の超音速機「コンコルド」に乗った乗客は、3時間半未満で大西洋を横断した。飛行速度は音速の2倍だった。

コンコルドで完成にこぎ着けたのはわずか20機。航空会社に納入されたのは仏エールフランスと英ブリティッシュ・エアウェイズに7機ずつ、計14機のみだ。

最高級のサービスと料理、特別な人しか使えない空港ラウンジ、成層圏を突き抜けそうな高額な運賃とともに、コンコルドの乗客は他の航空便のはるか上を行く空の旅を味わい、戦闘機を上回る速度で目的地に向かった。

しかし、コンコルドでの空の旅というのは実際にはどのような体験だったのだろうか。CNNは今回、かつてコンコルドに乗ったことのある人たちから話を聞いた。

心地よい空間

コンコルドに5回搭乗したCNNのリチャード・クエスト記者は、客室乗務員も乗客も同機に乗るのが大好きだったと述懐。「コンコルドに乗るという特権に恵まれた一握りのグループの一員であることを意識していた」と振り返る。

「コンコルドは極めて小さく、座席はわずか100席ほどだった。備え付けられていたのはオフィス用の椅子やバケットシート、非常に小さな窓といった感じだった。騒音は極めて大きかったが、乗ってみれば誰でも満面の笑みになるのをこらえきれないはずだ」

胴体部分の機内幅は2.63メートルで、客室は今日のカナダ・ボンバルディアのリージョナルジェットよりもわずかに広い程度。座席の配置は単一通路の両側に2席ずつというものだった。

コンコルドの機内スペースは狭かった。シートは1列に4席しか配置されておらず、1便の座席数はおよそ100席だった

飛行前に用を足す

コンコルドには常連客もいたが、1度きりの超音速を体験するために搭乗していた旅客も多かっただろう。

カナダ人のスー・マーシャルさんもそのひとりだ。当時の富裕なボーイフレンドに連れられ、ニューヨーク発パリ行きのエールフランス便に乗せてもらった。

マーシャルさんはJFK国際空港の待合室で優雅なフランス人女性と話を交わし、コンコルド初搭乗であることを認めた。

この女性はコンコルドの常連で、マーシャルさんに対し率直に「今のうちにトイレに行っておいた方がいい。いったん離陸すると狭すぎて用を足すのは不可能だから」とささやいてきたという。

超音速機の改装

リチャード・フォードさんは1980年代、米ランドーアソシエイツ社のチームの一員として、ブリティッシュ・エアウェイズ向けコンコルドの機内改装を担当していた。

フォードさんは「飛行体験について理解を深めるのは細かな技術業務の一環として重要なことだった。私は光栄なことに、その日のうちにロンドン発ニューヨーク行きの帰国便に乗るという機会に恵まれた」と話す。

「機体のサイズは小さかったが、商用便というよりも企業幹部向けのジェット機のようで、素晴らしい性能だった」

アフターバーナー付きのターボジェットエンジンを備えていた旅客機は後にも先にもコンコルドだけだ

20世紀半ばの驚異

コンコルドが開発された当時、航空業界では超音速の空の旅に注目が集まっていた。

1960年代前半、航空関連の技術者は今日のような設計・分析手法を持ち合わせていなかった。しかしコンコルドの設計者は、著しく先進的で独自の航空機を考案した。

コンコルドはアフターバーナー付きターボジェットエンジンを備えた初の、そして今に至るまで唯一の旅客機だ。この仕組みは英国では「リヒート」と呼ばれており、4つあるエンジンの排気装置に燃料を吹き込み、エンジンの推力を瞬時に20%近く増大させる。

ブリティッシュ・エアウェイズのコンコルドで機長を務めていたジョン・タイさんは、「コンコルドは当時の亜音速機とは大きく異なっていた。フラップやスラット(揚力向上のために翼に取り付ける装置)は備えておらず、離陸の際は常にリヒートによるフルパワーを使用していた」と説明する。

「離陸は毎回、素晴らしい体験だった。すさまじい離陸性能で、乗客に前もって注意を促さなければいけないほどだった。ロールス・ロイス・オリンパスのエンジン音、それに座席に押し戻される体験も合わせて、民間機では他に類例がなかった」

一時代の終わり

1976年ともなると、コンコルドの騒音やソニックブームをめぐる社会的懸念が高まり、コンコルドの発注はほぼ全て取り消される状況となっていた。

2003年の最終飛行では、一部の乗客が機内のドアに名前をサインした

2000年7月には唯一の事故にも見舞われた。エールフランスのコンコルドがパリを離陸直後に墜落し、搭乗していた109人全員と地上の4人が死亡した。

コンコルドは2001年11月に再就航したが、初飛行から30年近くを経て、老朽化や運航・検査コストの増大といった問題が浮上していた。

ブリティッシュ・エアウェイズのコンコルドが最後に飛行したのは2003年10月。クエスト記者は大勢のセレブに混じって同便に搭乗していた。

クエスト記者はこの時のフライトについて、こう振り返る。「どれほどの有名人であろうと関係なかった。主役は航空機だった」

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