iPhone登場から10年、アップル関係者が語る誕生秘話

iPhoneが誕生して10年。アップルの元幹部らが開発の経緯を明らかにする

2017.06.28 Wed posted at 17:58 JST

サンフランシスコ(CNNMoney) 米アップルがスマートフォンを発売した2007年6月29日、世界は折り畳み式携帯と、小型キーボードを搭載したブラックベリーの独占状態にあった。音楽は「iPod」で聴き、スケジュール管理には「Palm」を使い、写真は小型カメラで撮影していた時代。そうした機能をすべてポケットサイズに詰め込んだ上に、キーボードもない端末など、あり得ないと思われていた。

あれから10年。アップルが世界を変えた新製品を世に出すまでの事情が明らかになってきた。関係者の証言をもとに、iPhone誕生秘話の一部を紹介する。

スティーブ・ジョブズ氏が嫌ったマイクロソフト社員

「始まりは、スティーブがマイクロソフトのある社員を嫌ったことだった」。アップル元幹部のスコット・フォーストール氏はコンピューター歴史博物館で行った講演で、アップル共同創業者の故スティーブ・ジョブズ氏についてそう語った。

そのマイクロソフト社員は、ジョブズ氏の妻ローレン・パウェル氏の友人の夫だった。あるイベントで一緒になった際、この男性は、タブレット端末とスタイラスでノートパソコンを変革する、というマイクロソフトの構想について語り始める。

「彼はスティーブの目の前で、新しいタブレットとペンでマイクロソフトが世界を支配するという話を展開した」「スティーブは月曜に出勤すると、さんざん悪態をつき、それから『本当はどうすべきかを見せつけてやろう』というような話になった」(フォーストール氏)

ジョブズ氏は、画面への入力にはスタイラスではなく指を使うべきだと考え、タッチスクリーン技術を搭載したタブレット端末の開発グループを結成させた。

一方、デザインチームは、携帯電話サイズの端末にしたいというジョブズ氏の意向に沿ってデモ機を作成。このデモを見たジョブズ氏は、「タブレットは中止だ。携帯電話を開発しよう」と即決した。

厳しい仕事ぶりで知られたアップル共同創業者の故スティーブ・ジョブズ氏

ジョブズ氏と働くということ

「彼は私が出会った中で最も強烈な人物だった」とフォーストール氏は振り返る。「私は世界の指導者多数と会談してきたが、世界の指導者との会食は、火曜にスティーブと取るランチに比べればくつろいだ雰囲気だった」

ジョブズ氏は従業員を怒鳴りつけたり、ありとあらゆる罵声を浴びせたことで有名だ。しかしそうした感情を爆発させている時の方が、沈黙よりはましだった。

アップル元幹部のアンディ・グリニョン氏は言う。「スティーブがティム・クック(現アップルCEO)と向かい合って揺り椅子に座り、お互い順番に椅子を揺らしていたことがあった。最高に奇妙な光景だった」

「最も恐ろしいのはそんな時だった。彼は地獄のように押し黙って暗いまなざしを投げかけ、ただじっと凝視する。そして私たちは窮状に陥る」

しかしジョブズ氏には別の一面もあった。「友人や家族にはとても思いやりがあって献身的だった」とフォーストール氏は振り返る。

フォーストール氏はジョブズ氏に命を助けてもらったこともあるという。ウイルス感染で入院し、治療を受けても容体が改善しなかった時、ジョブズ氏が夜遅く、自分のかかりつけのはり師を病院に連れて来てくれた。夜明けまで施術を受けたおかげで、すぐに容体は改善したという。

「私は100%死にかけていた。スティーブはこの人を連れて来て、私の命を救ってくれた。だから私はずっと、彼に借りがある」(フォーストール氏)

iPhone開発に当たり、機密の保持が徹底された

秘密厳守

iPhoneは2007年のマックワールドで正式デビューを果たすまで、アップル本社で極秘プロジェクトとして扱われた。iPhoneの開発が始まったのは2004年末。プロジェクトには数百人の従業員がかかわった。

アップルはこのプロジェクトのために1つのフロアを割り当てて、防犯カメラと従業員のバッジ読み取り装置を完備した。この施設は「パープルドーム」と呼ばれ、扉の外に出たらこのプロジェクトのことを口にしてはいけない、というルールが徹底された。

従業員は、同僚にも家族にも、自分の仕事のことを話せなかった。強いプレッシャーと長時間労働に耐えかねる従業員もいた。自分の子どもに会えない時間が一番長いのは誰かをめぐって言い争いになった従業員が、オフィスの扉を乱暴に閉めて錠を壊してしまったこともあった。修理業者を呼んで開錠してもらうことができなかったため、フォーストール氏やグリニョン氏ら従業員が交代で、金属バットを使って扉をたたき続けたという。

日の目を見なかったアイデア

iPhoneが完成するまでには、幾つもの試作品が失敗に終わった。ダイヤル式の電話のように、数字とアルファベットが並んだダイヤルを搭載するアイデアもあったという。

キーボードをなくすことについても相当の論議があったが、最終的にはこれが成功に結び付いた。「ハードウェアのキーボードにするか、ソフトウェアのキーボードにするかは最大の決断だった」。アップル元幹部のトニー・ファデル氏はそう振り返る。「ハードウェアキーボードの良さは決して出せない。しかしハードウェアキーボードがない分、それ以外のメリットが実にたくさんあった」

開発失敗の危機を乗り越え世に出たiPhone。今後はどのような進化を遂げるのか

失敗寸前

完成するまでの3年の間に、プロジェクトは何度も瀬戸際に追い込まれた。「悪夢もあったし、最悪だったことも何度かあった。出荷をやめる寸前だったことも何度かある」とグリニョン氏は言う。

iPhoneは半導体からOSに至るまで、何もかも新しい製品だった。タッチ式という新しい操作方法を採用し、新しいアプリを最初から構築する必要もあった。

「それを考えると、製品としてのiPhoneは成功するはずがなかった」「社内に問題を解決するノウハウがあるのか分からない領域に踏み込んだこともある」(グリニョン氏)

技術問題だけではなかった。フェデル氏はiPhoneの試作品をドイツで旅客機の中に置き忘れて、それが何なのかを告げないまま、機内を捜索してほしいと頼む羽目に陥ったこともある。

結局、試作品は自分の座席のクッションにはさまっているのが見つかったという。

そうして迎えた正式発表の当日。発表会の最終デモでも、相次ぐトラブルに見舞われる可能性があった。いくつもの予備プランを準備して臨んだところ、本番のデモは問題も起こらず無事終了した。

その後のことは、だれもが知る通りである。

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