カナダ南部マニトバ州エマーソン(CNN) 米中西部から国境を越えたカナダの町、エマーソンには最近、かつてないほど多くの難民が押し寄せている。トランプ米政権の強硬な難民政策から逃れてたどり着いた人々だ。
フセイン・アフメドさん(34)、モハメド・ホサイン(28)さんら5人はソマリア人のグループ。メキシコ経由で米国へ入って保護を求めたが、昨年の大統領選でトランプ氏が難民への強硬策を唱えるのを聞き、不安を募らせていた。
大統領に就任したトランプ氏は先月末、ソマリアを含む7カ国からの渡航者らの入国を禁止する大統領令を発表した。追い詰められたアフメドさんたちは、カナダへ逃れることを決めた。
案内人に1人300ドル(約3万4000円)ずつ支払い、ノースダコタとミネソタの州境まで車に乗せてもらった。10日の夜8時、カナダ国境にできるだけ近い場所で車を降り、遠くに見える米国の国境管理事務所を避けて歩き始めた。
徒歩30分のはずが道に迷い、腰まで積もった雪の中を1日中歩き続けた。母国では雪を見たことさえない。死を覚悟した瞬間もあったという。
それでもついにカナダ国境の明かりを越えて、緊急通報の電話をかけ、駆け付けたカナダの警官に保護を求めた。
長い道のりをたどり、高い金を支払い、恐怖と闘った越境の旅。だがそのかいはあったと、5人は口をそろえる。ソマリアでのアフメドさんはイスラム過激派「シャバブ」から殺害予告を受けていた。ホサインさんは少数民族という理由で差別され、家族が脅されたり、殺されたりしたという。アフメドさんは幼い子どもたちを、ホサインさんは母を故郷に残してきた。
あのまま米国にとどまっていたら、送還されたに違いない。アフメドさんはそう振り返る。
エマーソンの町には先週末だけで、アフメドさんたちのような難民が25人もやって来た。地元当局者によると、この1カ月半では計69人に上っている。
町のあちこちに難民の姿を見かけるようになった。10人規模のグループや、乳児を抱えた家族連れもやって来る。電話を持たないグループが夜中の2時、3時に民家のドアをノックし始める。町の住民は、これまでかけたことのなかったドアの鍵をかけるようになった。
春になればさらに多くの難民が押し寄せてくるだろう。その全員について、しっかりとした身元調査ができるのか。住民の表情に不安がよぎる。
そんな中で難民の支援に取り組む人もいる。マニトバ州の支援団体を率いるリタ・チャハルさんは、「ウェルカム・プレース」という受け入れ施設を立ち上げた。難民グループから連絡が入ると国境まで迎えに行き、毛布や宿泊場所、食料、通訳サービスを提供する。国境まで1日3回も車を走らせることもある。
ガーナ出身のラザク・イオヤルさんとセイドゥ・モハメドさんは昨年12月に越境してきた。予想もしなかった極寒の中を3時間歩き続け、手がガラスのように音を立てるほど凍り付いた。
午前2時半に幹線道路までたどり着いた。すでにカナダ側に入っていたが、それも気づかなかった。道路が悪天候で閉鎖されていたためにだれも通らず、2人はそこで7時間近くも立ち往生した。
やがて救助された2人は病院へ運ばれた。モハメドさんは凍傷で手の指を全て失った。2人ともそれまで、凍傷という言葉の意味さえ知らなかったという。
モハメドさんはガーナで、性的志向を理由に犯罪者のレッテルを張られていたという。米国での生活を夢見ていたが受け入れを拒否され、北へ向かうしかなかった。
ソマリアのアフメドさんとホサインさんも、米国はチャンスの国、難民を歓迎してくれる国、人権を尊重する国だとあこがれていた。
だが今、ここの難民がそろって口にするのは、自分たちを温かく迎えてくれたカナダの人々や、ウェルカム・プレースの職員への感謝だ。ホサインさんはインタビューに答える前、うれしそうな表情でカナダ国旗のシャツに着替えていた。
チャハルさんのチームは今後さらに正式な難民申請の手続きや職探し、技能訓練などの手助けも続けていくという。助けられた人たち、ここの生活になじんだ人たちはだれもが感謝の気持ちから、今度は自分が力になりたいと言ってくれる。チャハルさんはそう強調する。
「私たちは今、ふるさとにいるような気持ちを味わっています」とホサインさんは語る。「カナダの人々は両手を広げて私たちを受け入れてくれた。仲間として歓迎してくれました」と、笑顔を見せた。
米国からカナダへ、難民が命がけの越境