ロヒンギャの苦難、男児の変わり果てた姿に涙 ミャンマー

幼い息子を失ったロヒンギャのザフォル・アラムさん

2017.01.05 Thu posted at 20:32 JST

(CNN) 川岸に打ち上げられ、泥の中でうつぶせになった幼い男児の遺体が写真に写っている。ミャンマーで迫害を受ける少数派のイスラム教徒、ロヒンギャの苦難を象徴するような光景だ。

男児の名前はモハメド・ショハエちゃん。1歳4カ月だった。西部ラカイン州からバングラデシュへ逃げる途中に船が沈み、母やおじ、3歳の兄とともに水死した。

ひと足先にバングラデシュへ渡っていた父のザフォル・アラムさんは、家族を一度に失った。CNNとのインタビューで「写真を見ると、私も死んだほうがましだという気持ちになる。この世に生きている意味がない」と肩を落とした。

男児の姿は、2015年9月に世界に衝撃を与えたもう1枚の写真と重なる。シリア難民の男児、アイラン・クルディちゃんの遺体がトルコの海岸に打ち上げられた場面だった。

紛争の場所は違うが、そこから必死に逃れようとした家族の悲劇は共通している。

「村ではヘリコプターや軍兵士からの銃撃が続き、家にいられなくなった。私たちは逃げ出して森に身を隠した」と、アラムさんは語る。「祖父母は焼き殺された。村は軍にすっかり焼き払われ、何も残っていなかった」

ロヒンギャへの迫害が指摘されるラカイン州は、外部からの立ち入りが制限されている

ロヒンギャを追う軍の目を逃れるため、一家はいくつもの村を転々とした。食事も睡眠も取らないまま、6日間歩き続けたこともある。途中で家族と別れ別れになったアラムさんはバングラデシュ国境の川にたどり着き、泳いで渡り始めた。バングラデシュの漁船に助けられて国境を越え、そこへ家族を呼び寄せようと船を手配した。

家族とは12月4日に電話で話した。「妻と話す後ろで、下の息子がパパ、パパと言っている声が聞こえた」という。

その数時間後、家族は川岸へ向かった。川を渡ろうとする一団に警官が気付いて発砲したため、船頭はその場の全員を乗せて逃げようとした。船は定員オーバーで沈没した。

アラムさんが全てを知ったのは翌日のことだった。息子の遺体が見つかったという知らせとともに、携帯電話で撮った写真が送られてきた。アラムさんは言葉を失った。

「あの子の話をするのはとてもつらい。パパっ子で人懐こくて、村中の人気者だったんだ」

ロヒンギャの家族がバングラデシュへ逃れようとして引き裂かれるケースは珍しくない。国際移住機関(IOM)によると、この数カ月で約3万4000人が国境を越えた。「途中で亡くなった人の数は川だけが知っている」と、アラムさんは言う。

バングラデシュの難民キャンプで暮らすロヒンギャの人々

「もうだれも残っていない。何もかもおしまいだ」と嘆くアラムさん。バングラデシュ南部の難民キャンプで劣悪な住環境や食料不足に耐える日々だが、ミャンマーにいた時のように命の危険にさらされることはない。

外部からラカイン州への立ち入りは制限されているため、アラムさん一家についての事実をCNNが独自に確認することはできない。ミャンマー政府の報道官からはCNNの取材に対し、アラムさんの話を「宣伝工作」「うそ」と断じる回答文が届いた。

政府はロヒンギャへの人権侵害を非難する声に対し、昨年10月に国境警備隊を攻撃した襲撃犯への掃討作戦だとする主張を繰り返してきた。

ミャンマーでは15年の総選挙で人権尊重を掲げるアウンサンスーチー氏が事実上の政権トップに立った。ロヒンギャ問題をめぐっては昨秋、コフィ・アナン前国連事務総長率いる特別諮問委員会も発足した。

しかしアラムさんは同委員会に懐疑的な目を向け、「世界の目をごまかすために設置されただけ」と批判する。「スーチー氏の政権になっても何一つ変わらない」と失望感をあらわにし、「スーチー氏と軍はラカイン州からロヒンギャを排除しようとしている」「政府にこれ以上時間を与えれば、ロヒンギャは皆殺しにされてしまう」と訴えた。

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