(CNN) 1世紀前のロシア。ボリシェビキ革命につながる農民の不満が噴出しようとする直前、帝政ロシア最後の皇帝であるニコライ2世は、モスクワと極東ウラジオストクを結ぶシベリア鉄道を完成させた。
これから100年が経過した今日でも、シベリア鉄道はロシアをまたぐ大動脈として尽きせぬ魅力を発揮している。ただ、バイカル湖やクレムリン(ロシア大統領府)などの名所の他にも、知名度の低い経由地は多々ある。
以下ではそんなシベリア鉄道の知られざる魅力6点を紹介する。
知られざるシベリア鉄道1:満州鉄道
「シベリア鉄道」は実際には、モスクワを出発するさまざまな路線の総称に過ぎない。モスクワ・ウラジオストク間のよく知られた路線の他には、バイカル湖を過ぎた後で南下するモンゴル鉄道もある。
これよりはるかに無名なのが満州鉄道とバム鉄道だ。乗車予約は簡単だが、ロシア人以外はめったに使うことがない。
満州鉄道はロシアと中国の国境近くにある満州里からハルビンを経て北京に向かう路線。自動車熱が高い中国にあっては信じがたいことに、ハルビンの名所は歩行者向けが中心だ。
ハルビンでは19世紀に建設された教会やシナゴーグ(ユダヤ教礼拝所)が多く見られるが、そこでは中国とロシアの影響が比較的調和した形で共存している。
知られざるシベリア鉄道2:バム鉄道
バイカル・アムール鉄道は1990年代初頭に完成したばかり。半世紀にまたがる3回の工事の末に建設された。バイカル湖から太平洋岸に至る第2の路線として構想されたものだが、現在はわずかな列車しか運行していない。
列車はタイガの森や湿地帯、人けのない寒村を約3700キロにわたり抜けていく。通常の意味での観光地はほぼ皆無だが、「観光」という概念そのものがまだあまり浸透していない、未知のシベリアを見る良い機会でもある。
停車する都市はバイカル・アムール地方の行政上の中心であるティンダや、ソ連時代の大通りが広がるコムソモリスク・ナ・アムーレなど。
クラスノヤルスク
バイカル湖に至るまでシベリア鉄道に乗り続ける旅客の多くは、クラスノヤルスクを名残惜しく振り返る。原子炉が複数存在することから、ソ連崩壊後は10年近くにわたり他地域の人に対し閉ざされていた。
だが中心部では、ソビエト時代の整然とした町並みと帝政時代の木造邸宅が混在し、独特の魅力を放っている。
エニセイ川には巨大帆船SVニコライが停泊している。ニコライ2世によってシベリア流刑の処分を受けた若き日のレーニンもエニセイ川で移動した。
観光ガイドによれば、知名度は低いが地元で「ストルビー」と呼ばれる火山岩形成物がお勧めだ。巨大な指のような外観で、市外にある巨大公園の全域に広がっているという。
ウラン・ウデ
シベリアでもこれほど東部に来ると、現代ロシアの商業的な活気はあまり目立たない。ウラン・ウデ中心部の広場には巨大なレーニンの胸像がある。高さは7.5メートルを超えており、世界最大だ。
ウラン・ウデはブリヤート共和国の首府。市内には仏教寺院や狭い横道が見られ、さらに南下してモンゴルに入った際の雰囲気を色濃く漂わせている。
同市には巨大円形のオペラ・バレエ劇場がある。スターリン時代に建設されたもので、異例なことに現在でもスターリンの顔をかたどった小さなシンボルが少数残っている。
高台にある寺院リンポチェ・バグシャから同市を見下ろしていると、寺院内で礼拝するチベット仏教僧の歌声や鐘の音が響いてくる。僧侶たちをよく見れば、祈祷書の下で携帯電話を充電しているのが目に入るかもしれない。
エカテリンブルク
後にロシアの初代大統領となるエリツィン氏が1970年代後半に市長を務めたエカテリンブルク。帝政最後の皇帝ニコライ2世とその家族が処刑された場所として知られる。
処刑の現場には現在、ロシア正教の教会が立っている。
ただ、地元の観光ガイドによると、エカテリンブルクはシベリア鉄道の旅客から長く不当に軽視されてきた。現在ではロシアでも有数の裕福な都市となっており、芸術劇場の「Loft」も新設されたという。
豪華客車の旅も
モスクワからシベリアやモンゴル経由で北京まで、豪華な個室で旅する選択肢もある。「ツァーリ・ゴールド」はドイツの企業が運営。夏の間、16日をかけて全行程を走る。
客車には帝政ロシア時代を思わせる内装が施されているほか、シャンデリアに照らされた食堂車内で4コースのディナーを楽しむことができる。列車は毎日停車するため、旅客はそれぞれの途中停車地で数時間を過ごすことも可能だ。
ただ、値段は高い。最低クラスの客室でも1人あたり4000ドル(約47万円)以上かかる。ダブルベッドや室内シャワーなどが付いた部屋だと、乗車券の価格は1人あたり1万5000ドルに上る。