東日本大震災から5年 福島の現場を行く

2011年3月11日の東日本大震災では2万人を超える死者・行方不明者が出た

2016.03.10 Thu posted at 20:16 JST

福島(CNN) サイトウ・ソウイチさん(65)は地震が起きたとき病院にいた。前立腺がんの手術を終えたばかりで、6階の壁が揺れ始めたときは体を休めている最中だった。医療機器が床に落下した。

2011年3月11日、マグニチュード(M)9.0の地震が発生し、揺れは約6分にわたった。史上最大規模の揺れが東北から関東にかけての地域を襲った。

地震は本州が2メートル以上東に移動するほど大きいものだった。衝撃により40メートル級の津波も発生し、人々がまだ余震で動揺しているなか、陸地へと押し寄せてきた。

地震やその後の津波などによる死者・行方不明者の数は2万を超える。また、十数万人が家を失った。

しかし、地震や津波は始まりに過ぎなかった。

サイトウさんは、病院の窓から眼下にある町を津波が襲うのを力なく見つめていたことを思い出す。最初に頭に浮かんだのは近くにある福島第一原発のことだった。

もし、津波が原発を襲い、炉心冷却のための電源が失われると大変なことになると思ったという。

自宅では、サイトウさんの家族には、できるだけ早く避難するよう指示が出ていた。急いでいたため、飼い犬もつないだまま家を離れたという。犬はその後、保護され、家族と再会している。

福島第一原発は津波の影響によって電源を喪失。炉心溶融(メルトダウン)を起こした

しかし、日本の人々は、サイトウさん一家も含めて、福島の原発が急速にそれ自体が災害となりつつあることを知るよしもなかった。

それは、波から始まった。

最初の地震から50分以内に、第一の津波が高さ10メートルの防潮堤を乗り越え原発に迫った。

原発の地下にある緊急用の発電機が水につかり重要な冷却システムに電力が行き渡らなくなり、原子炉の燃料棒が溶け始め、放射性物質が周囲に漏れ出すこととなった。

地震から約16時間後には、ひとつの原子炉では燃料の大部分が溶け落ちていた。

原子力安全・保安院が炉心溶融(メルトダウン)を認めたのは6月に入ってからだった。原発の事故としては1986年のチェルノブイリ以来、最悪の規模だった。

メルトダウンを引き起こしたのが水なら、それを食い止める方法も水だけだった。東京電力は事故以来、炉心の冷却のための何百トンもの水を注入している。

いまでは、約80万トンの汚染水が原発の施設内にある急ごしらえのタンクの中に保管されている。そして、毎日約400トンの汚染水が増え続けている。

袋詰めにされて積まれた汚染土などの除染廃棄物

日本政府は除染のために多くの費用をつぎ込んでいるが、汚染土などの除染廃棄物は袋に詰められ保管場に何千と積まれている。

こうした汚染水や汚染土をどのように処理するのか、はっきりとはしていない。東電は廃炉までに最長40年かかると試算している。

福島第一原発の事故を受け、赤十字によれば、周辺に住んでいた30万人超が避難した。

事故から5年がたっても、まだ数万人が仮設住宅で暮らしている。仮設住宅の入居期限は通常は2年とされている。仮設住宅に残っている人の多くは高齢者で、移り住む先の選択肢はほとんどない。

マツモト・セツコさん(65)は福島県双葉町でヘアサロンを経営していた。双葉町は町の全域が避難区域に指定されている。

双葉町の住人は1日当たり5時間だけ自宅を訪れることができるが、マツモトさんは2年以上自宅を訪れたことがないという。地震で破壊された部屋を歩くのはつら過ぎるという。そこはかつて家族が集まったり、お祝いしたりした場所だ。

マツモトさんによれば、事故前は家族みんなが歩ける距離に住んでいたが、今では1人で暮らしているという。

福島第一原発の廃炉作業は最長で40年かかるという

福島第一原発の事故は原子力発電に対する日本の姿勢に変化をもたらした。業界団体の世界原子力協会(WNA)によれば、事故前には日本では約50基の原発が稼働し、国内の電気の約30%を担っていた。

2012年5月5日に北海道電力の泊原発が稼働を止めたことで、約40年ぶりに全ての原発が止まった。その後、大飯原発も12年に再稼働したが約1年後に再び稼働停止となった。

日本にとって原発からの脱却は簡単ではなく、WNAによれば、日本は約80%のエネルギーを輸入に頼っている。

2015年8月に川内原発が再稼働したが、川内原発や首相官邸の周囲で抗議デモが起こった。

原発の再稼働に向けて、安倍政権は、世界で最も厳しいレベルの規制基準をクリアした原発については稼働させていく方針を示した。

原発に対する世論の反発は根強く、政治家などからも原発再稼働の方針について批判の声があがっている。

世論調査によれば、事故前は約70%が原発を支持していた。日本のメディアの世論調査によれば、福島の事故後は支持する人の割合は36%を下回り、反対の人の割合は50~70%の水準に上昇した。

東日本大震災から5年

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