ガリ元国連事務総長が死去 93歳

国連の第6代事務総長を務めたブトロス・ブトロス・ガリ氏が死去した=Milton Grant/United Nations

2016.02.17 Wed posted at 14:57 JST

(CNN) 冷戦直後の激動期にアフリカ出身者として初めて国連事務総長を務め、国際平和に向けて国連機能の強化を訴えたブトロス・ブトロス・ガリ氏が16日、エジプト北部ギザの病院で死去した。93歳だった。

国連安全保障理事会の議長国ベネズエラのラミレス国連大使が同日発表し、理事国15カ国の代表者らが起立して黙とうをささげた。

エジプトの政府系紙アハラムの電子版によると、同氏は脚の骨折で数日前からこの病院に入院していた。

国連の潘基文(パンギムン)事務総長は同氏を「世界平和と国際秩序に絶大な尽力を払った素晴らしい指導者」とたたえ、「冷戦終結の直後、世界の問題解決へ向けて国連に期待される役割が拡大していった時代」に勇気を持って困難に立ち向かい、不滅の功績を残したと強調した。

同氏の祖父のブトロス・ガリ氏はエジプトの外相、財相を経て1908年に首相に就任したが、2年後に暗殺された。一族は元首相をしのんで、「ガリ」の姓を「ブトロス・ガリ」に改めたとされる。

その姓だけでなく名前も祖父から受け継いだブトロス・ブトロス・ガリ氏は、カイロ大学、仏パリ大学、米コロンビア大学で国際法と政治学、経済学を学んだ。49~77年の間はカイロ大学で国際関係学を教えていたが、70年代後半には学問から実践に転じ、外務省の幹部として活躍。短期間ながら外相も務め、78年には中東和平に向けたイスラエルとのキャンプ・デービッド首脳会談でエジプト交渉団を率いて、歴史的合意の立役者となった。

1994年、米国でのシンポジウムに出席したブトロス・ガリ氏=United Nations

92年に国連の第6代事務総長に就任。在任中はルワンダ虐殺やアンゴラ内戦、旧ユーゴスラビアの民族紛争などの問題に取り組んだ。

予防外交と平和創造、平和維持などを柱とする報告書「平和への課題」の執筆でも知られる。

しかし国連予算の削減や旧ユーゴのボスニア情勢をめぐって米国と対立。米国が同氏の再選に拒否権を行使し、歴代事務総長の中で最短の1期5年で退任した。後任には同じアフリカ出身のコフィー・アナン氏が選出された。

ブトロス・ガリ氏は退任後も、フランス語文化圏に属する国と地域で構成する国際フランコフォニー機構(OIF)の事務局長や、エジプト人権委員会の総裁として活躍を続けた。

同氏の訃報(ふほう)を受け、エジプトをはじめとするアフリカ諸国などから相次いで追悼の言葉が寄せられた。

ケニアのケニヤッタ大統領はツイッター上で「平和への課題」を「後世に残る遺産」と称賛し、遺族に哀悼の意を表した。

アハラム電子版は、シーシ・エジプト大統領が「国際法、人権、社会並びに経済の発展」の各分野にわたる同氏の功績をたたえたと伝えている。

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