タイムライン:北朝鮮の核問題

2016.01.12 Tue posted at 18:25 JST

(CNN) 北朝鮮は自国について「名実ともに核保有国」と表現し、専門家は、2020年までに、北朝鮮が周辺国や米国さえ攻撃できる20から100の兵器を保有する可能性があると警告する。北朝鮮による核開発の歴史を振り返る。

1985年12月12:北朝鮮が核不拡散条約(NPT)に加盟

北朝鮮は核兵器の不拡散に関する条約を批准した。しかし、北朝鮮は条約を順守せず、2003年にNPTから脱退した。

1993年:北朝鮮の核兵器開発に対する初期の警戒

国際原子力機関(IAEA)は北朝鮮を核不拡散条約(NPT)違反だとして非難。北朝鮮はNPTからの脱退を示唆したが、最終的には査察の受け入れに合意した。

1994年10月21日:米国と北朝鮮が合意文書に署名

北朝鮮は、原発を2基建造するための国際援助と引き替えに、核兵器開発プログラムの凍結と最終的な放棄を約束した。

1998年11月17日:米朝協議

米国と北朝鮮は平壌で高官級協議を行った。米国は核兵器の開発に使用されていると考えられた地下施設への査察を要求した。

1999年2月27日~3月16日:核査察の実施

第4次米朝協議で、北朝鮮は米国に対し、ジャガイモ増産の支援と引き合えに、施設への立ち入りを許可した。米国の調査団は5月に施設を訪問したが、核開発の証拠は見つからなかった。

1999年9月13日~9月17日:実験中止と経済制裁緩和

北朝鮮は、米国との交渉が継続するなか、長距離ミサイルの実験凍結に合意した。ビル・クリントン米大統領は北朝鮮に対する経済制裁の緩和に合意した。

2001年6月:北朝鮮がミサイル実験の再開を示唆

北朝鮮は、もし米国が北朝鮮との関係正常化を求めないのであれば、ミサイル実験を再開すると警告した。

2002年1月29日:悪の枢軸国

ジョージ・W・ブッシュ米大統領は一般教書演説で、北朝鮮とイラン、イラクを「悪の枢軸国」と呼んだ。ブッシュ大統領は「大量破壊兵器を追求することにより、こうした政権は深刻で増大する危険をもたらす」と述べた。

2002年10月16日:秘密の核兵器プログラム

ブッシュ米政権は初めて、北朝鮮が1994年の合意に違反して秘密の核兵器プログラムを実施していたことを認めたと明らかにした。北朝鮮が何らかの核兵器を完成させたのかどうかについては分からなかった。

2002年12月22日~12月31日:査察官追放

北朝鮮は、核施設から国際原子力機関(IAEA)の監視機器を排除し、IAEAの査察官を追放した。

2003年1月10日~2月26日:NPTから脱退

北朝鮮は正式に核不拡散条約(NPT)から脱退し、核施設を再稼働させた。

2003年4月23日~4月27日:北朝鮮が核兵器の保有を表明

北朝鮮は核兵器を保有していると表明し、日、米、韓国、中国、ロシアと6者協議を行った。

2004年2月24日~2月28日:第1回6者協議

北朝鮮は、日本、米国、韓国、中国、ロシアと北京で協議を行った。大きな進展は見られず協議は終了したが、話し合いを継続することでは合意した。

2004年2月28日~8月:協議は続く

6者協議は続けられ、北朝鮮は最終的に、支援や経済制裁の緩和、米国のテロ支援国家リストからの解除と引き替えに、核開発プログラムの凍結に合意した。米国は北朝鮮に対し、全ての核関連活動の公開と査察の受け入れを求めた。

2005年2月10日:北朝鮮が6者協議の中断を表明

北朝鮮は6者協議の中断を表明し、核兵器を増強すると明らかにした。北朝鮮は、核開発プログラムの放棄を検討する前に米国との相互不可侵条約の締結を主張した。米国は、経済的な支援や外交的な承認を含むあらゆるインセンティブを認める前に、北朝鮮が最初に核兵器プログラムの放棄について恒久的かつ検証可能な形で合意することが必要だと主張した。

2005年9月13日~9月19日:6者協議の再開

北朝鮮は交渉の席に戻り、最終的に、全ての核開発プログラムを放棄することで合意した。北朝鮮は声明で、同国が「全ての核兵器と現存する核プログラムの放棄」に取り込むと明らかにした。

2005年9月20日:夢にさえ思わない

北朝鮮当局者は、米国が民間の発電のための軽水炉を提供すれば、北朝鮮が核開発プログラムの放棄に着手すると明らかにした。「(軽水炉という)物質的な保証がなければ、核抑止力をあきらめるとは夢にも思わないのが我々の立場だ」

2006年7月4日:テポドン2号の発射実験

北朝鮮は長距離ミサイル「テポドン2号」の発射実験と、2種類の短距離ロケットの発射を行った。テポドン2号の発射実験は失敗に終わったようだった。

2006年7月15日:安保理決議を採択

国連安全保障会議は、北朝鮮に対してミサイル開発プログラムの停止を求める決議を全会一致で採択した。北朝鮮大使は即座に決議を拒絶した。

2006年10月9日:最初の核実験

北朝鮮は吉州郡豊渓里(プンゲリ)の地下施設で核兵器の実験に成功したと明らかにした。韓国は、試験が行われた地域で人工的な地震を観測したと報告し、その後、空中サンプルの分析で放射性物質の残骸が明らかになり、北朝鮮の主張が裏付けられた。

2007年2月13日:交渉の席に戻る

北朝鮮は4億ドル相当の支援計画と引き合えに主要な原発の稼働停止に合意した。

2007年6月25日~9月2日:北朝鮮が核兵器放棄に取り組むと「再確認」

米国のヒル特使は、北朝鮮と2月に合意に達し、北朝鮮が核兵器の放棄に取り組むことを再確認したと述べた。北朝鮮はまた国際原子力機関(IAEA)の査察官を国内に呼び戻すことも許可した。ヒル特使は後に、北朝鮮が2007年末までに、核開発プログラムを無能力化し、全てを申告することに合意したと明らかにした。

2007年9月30日:6者協議再開

北朝鮮は北京での6者協議で、核兵器施設の無能力化に着手することに合意した文書に署名した。北朝鮮はまた、無能力化の取り組みには米国の専門家チームも含めることに合意した。

2007年10月2日~10月4日:南北首脳会談

韓国の盧武鉉(ノムヒョン)大統領は、南北朝鮮を分ける非武装地帯を徒歩で越えた最初の韓国大統領となった。盧武鉉大統領は3日間の日程で北朝鮮の金正日(キムジョンイル)総書記と会談を行った。金正日総書記は非武装化に取り組むことで合意したほか、休戦協定を恒久的な平和条約に置き換えることでも合意した。

2007年12月31日:期限? なんの期限?

北朝鮮は核開発プログラムの全てを申告しなかった。北朝鮮は後に、6者協議の合意で必要とされたものを満たすだけの十分な情報をすでに提供していると主張したが、他の協議参加国はこれに異議を唱えた。

2008年5月8日~6月27日:進展

北朝鮮は、訪朝した米当局者ソン・キム氏に核開発に関連した数千枚の書類を手渡した。そのなかには、プルトニウム製造に関するものも含まれていた。象徴的な行動として、寧辺(ヨンビョン)核施設の冷却塔が破壊された。

2008年12月8日~12月11日:さらなる協議

6者協議が北京で開催された。核施設と疑われている場所へ査察官を無制限に立ち入らせることを北朝鮮が拒否したために、話し合いは決裂した。

2009年1月:北朝鮮に貯蔵されているプルトニウムの大部分が「兵器化」

米国の学者セリグ・ハリソン氏が訪朝し、北朝鮮の高官と会談。会談の後、ハリソン氏は、北朝鮮が貯蔵してあるプルトニウムの大部分を兵器化したと高官が主張していると報告を行った。兵器化されたプルトニウムの量は核爆弾4個か5個に相当すると考えられた。

2009年5月25日:2回目の核実験

北朝鮮は、2度目の核実験を実施したと発表した。その直前には、米地質調査所(USGS)が最初の核実験が行われた地域でマグニチュード(M)4.7の揺れを観測したと明らかにしていた。ホワイトハウスは、北朝鮮が短距離ミサイルの発射実験も行ったと明らかにした。

2009年6月12日:経済制裁と非難

北朝鮮が5月25日に行った核実験を非難する安保理決議1874が採択された。国連はまた、新たな制裁を科し、大部分の武器について北朝鮮への販売や北朝鮮からの購入を禁止した。

2010年11月20日:新しい施設

米スタンフォード大のジークフリード・ヘッカー教授のリポートによれば、北朝鮮は、遠心分離機2000機を備えた新しい核濃縮施設を保有しているという。ヘッカー教授は、前例のない、北朝鮮の核施設や文書へのアクセスが認められた。

2011年12月17日:金正日総書記が死去

金正日(キムジョンイル)総書記が死去した。死因は心臓発作と報じられた。北朝鮮の朝鮮中央通信(KCNA)によれば、金総書記の死に際して、激しい吹雪はおさまり、白頭山の上空が赤く輝いたという。北朝鮮最高指導者の地位は息子の金正恩(キムジョンウン)氏が継いだ。

2012年2月29日:ミサイル発射の凍結

米国務省は、北朝鮮が長距離弾道ミサイル発射実験の凍結と寧辺(ヨンビョン)にある核施設の稼働停止で合意したと発表した。

2012年4月13日:長距離ロケット実験に失敗

北朝鮮による長距離ロケットの発射が失敗に終わった。打ち上げ後まもなく、ロケットは空中分解し海に落下した。日本、韓国、米国はこれは宇宙計画を装った長距離弾道ミサイル発射実験だったとみている。

2012年12月12日:「人工衛星」を発射

北朝鮮が長距離ロケット「銀河3号」の打ち上げに成功。搭載した「人工衛星」を衛星の軌道上に乗せた。発射時期については延期の可能性が示唆されていたが、実際の打ち上げは当初予告された期日内に行われた。

2013年1月24日:「不倶戴天の敵」

北朝鮮の国防委員会が声明を出し、核実験並びに長距離ロケット発射の継続を宣言した。これらの計画について「朝鮮人民の不倶戴天(ふぐたいてん)の敵である」米国を狙った「全面的な対決行動」の一環であると主張した。

2013年2月12日:3度目の核実験を実施

3度目の地下核実験を実施。金正恩(キムジョンウン)第1書記の下で行われた初の核実験となった。

2014年10月2日:さらなる協議の可能性

北朝鮮の核開発プログラムについて同国特使は、6者協議を再開する用意があると明かした。

2015年5月6日:米国本土を攻撃可能

北朝鮮上層部とつながるシンクタンク、北朝鮮国家統一研究所のパクヨンチョル副局長がCNNの単独取材に応じた。北朝鮮のミサイルには米国本土を攻撃できる能力があるとした上で、「米国が圧力をかけるなら」実際の攻撃に踏み切ると述べた。

2015年5月9日:弾道ミサイルの水中発射実験を実施

北朝鮮の国営メディアは、同国が海中の潜水艦から弾道ミサイルを発射する実験に成功したと報じた。

2015年5月20日:核ミサイルの実現へ前進か

北朝鮮が、核弾頭を小型化する技術を保有していることを明言した。小型化により、核兵器を搭載した大陸間弾道ミサイルの発射が可能になるとみられる。米国家安全保障会議(NSC)の広報は、北朝鮮にそのような能力があるとの見方を否定した。

2015年6月21日:イランと欧米との合意には関心なし

核開発問題をめぐるイランと欧米との合意成立にも北朝鮮は関心を示さなかった。同国当局者の1人は、核兵器について「単なる交渉の道具ではない。米国の核の脅威と半世紀以上にわたる敵対的な政策から北朝鮮の主権と生存権を守るために欠かせないものだ」と語った。

2015年8月12日:新たなウラン濃縮施設を稼働か

人工衛星からの画像を分析したアナリストらが、北朝鮮の寧辺(ヨンビョン)にある核施設で2棟目のウラン濃縮施設が稼働を開始したとする報告書を発表した。

2015年8月15日~8月24日:朝鮮半島が一触即発の事態に

北朝鮮と韓国との軍事的緊張が近年にないほど高まった。南北軍事境界線付近での地雷の爆発、双方の軍による砲撃、拡声器を使ったプロパガンダ放送をめぐる非難の応酬などの後、高官同士の会談を通じ緊張緩和で合意。この合意に基づき、北朝鮮は「準戦時状態」を解除した。

2015年9月15日:核兵器は「いつでも」使用可能

北朝鮮の原子力エネルギー政策を担当する高官が、核兵器によって米国を「いつでも」攻撃できると主張。自国の核能力が「質・量ともに」向上していると断言した。

2015年9月16日:経済制裁の効果は限定的か

ケリー米国務長官が、北朝鮮を核保有国にさせるわけにはいかないと警告。経済制裁以上の措置に踏み切ってでもこれを阻止するとの見解を示した。

2015年10月9日:兵器実験の準備

米当局者はCNNに対し、北朝鮮が大がかりな兵器実験のための準備作業に入った「兆候」がみられると説明。潜水艦発射の中距離弾道ミサイルの実験が有力だとした。

2015年10月10日:大規模軍事パレード

朝鮮労働党の創建70周年を記念する大規模軍事パレードを実施。金正恩(キムジョンウン)第1書記は演説で、米国の脅威から自国を守る「万全の準備」ができていると明言した。

2016年1月6日:水爆実験

核融合装置の実験に成功したと主張。事実であれば同国の核能力が著しく増強したことを意味する。

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