「裏切り者」から「寛容」のシンボルに、北朝鮮に強制送還された若者たちは今

CNNが8人の若者に話を聴いた

2015.05.20 Wed posted at 14:49 JST

平壌(CNN) 十代で北朝鮮から脱出し、2013年にラオスから強制送還された若者9人がその後、当局から手厚い処遇を受けて平壌市内の大学などに通っていることが分かった。最近訪朝したCNN取材班が対面して話を聴いた。

北朝鮮への訪問中、取材班の日程はすべて当局に決められ、撮影には毎回「世話役」が同行した。

ある午後、滞在先のホテルの会議室へ行くよう指示されて、何も分からないままドアを開けると、そこには8人の若者が座っていた。

彼らの顔には見覚えがあった。2年前の初夏、ラオスから送還されて世界から注目を集めた少年少女たちだ。

当時14~19歳だった一行は韓国人宣教師に連れられ、中国からラオス経由で韓国を目指していたとされる。

北朝鮮当局は脱北者を「人間のくず」と呼び、本人や家族を厳しく罰することが知られている。送還後の一行をめぐっては、「収監されるのではないか」「生涯にわたって懲罰を受け、処刑される恐れもある」などの憶測が飛び交った。

あれから2年。若者たちは見違えるような姿で私たちの目の前に現れた。ブレザーに身を包んだ男子大学生4人に、高校の制服を着た少年2人と少女2人。あと1人は平壌から離れた大学に通っているため、すぐには駆け付けることができなかったという。

9人は11年に別々に中国へ越境し、国境付近の丹東にある宣教師の家で合流したとされる。私たちは取材の冒頭で、当時どうして脱出したのかという質問を投げかけた。

「王子様になったよう」と心境をかたるリーさん

「まだ幼かったのです。中国へ遊びに行くつもりでした」と、リ・グァンヒョクさん(17)が答えた。

詳しい説明を求めると、ムン・チョルさん(21)が「率直に言うと、家での生活は苦しかった」と口を開いた。「苦難の行軍(90年代の食料難)の後で、私たちの生活状況は良くありませんでした。私たちが住んでいたのは中国国境の鴨緑江沿い。私はすぐに帰るつもりで、好奇心から越境したのです」

脱出前に飢えを経験した人はいるかと尋ねたところ、8人のうち4人が手を挙げた。「秋の間に食料を蓄えていたけれど、家族が多すぎてそれでは足りなかった」と、パク・クァンヒョクさん(19)は振り返る。

彼らは宣教師夫妻の家で1年半を過ごした。当時の生活について、ムンさんは「宣教師は私たちに自由を説いたけれど、自由を与えてはくれなかった。神について学び、宗教の本を暗記することを強要されました」と語った。「食事は十分にもらえたが、それが唯一の楽しみだった」という。

CNNは取材の後、この宣教師に若者たちの近況を伝えた。宣教師は本人たちの身の上を案じて多くを語らなかったものの、当時彼らには自分の助けが必要だったと主張した。

宣教師は少年少女たちが中国当局に見つかって送還されることを恐れ、ラオス経由で韓国入りさせる計画を立てた。一行は国境沿いに4時間歩き続けた末、ラオス警察に拘束された。

「宣教師からは、送還されれば殺される、家族もすでに殺されているだろうと言われた」と、ムンさんは話す。

しかし彼らを待っていたのは、予想とは正反対の手厚い処遇だった。学校へ行かなかった3年間を補うための教育も行われ、今は平壌市内で最高とされる学校に通っている。

パクさんは「私たちは祖国を裏切ったので処罰されると思っていましたが、それは愚かな心配でした」と話す。

彼らは送還された直後にも、韓国側の「誘惑」を非難するテレビ番組に出演した。そして今また、当局の「博愛と寛容」を示すシンボルとして表舞台に登場したのだ。

リーさんは自身の経験を童話にたとえ、「王子になった乞食(こじき)のような気持ち」と話した。ただ、彼らの家族は今も国境沿いの貧しい地域で相変わらずの生活をしている。

もしも当時あのまま韓国まで逃げ切っていたら、彼らはどうなっていただろう。ムンさんの答えはこうだ。「私は裏切り者、家族を見捨てた悪者になるところでした。人間のくずとして、歴史に名を残してしまったことでしょう」

北朝鮮に強制送還の若者たちは今

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