謝れなくてゴメンナサイ 謝罪に失敗する企業とは

謝罪はやっぱり難しい?

2015.01.02 Fri posted at 15:42 JST

(CNN) 企業に失敗はつきものだ。心からの謝罪を示して区切りをつける企業がある一方で、誤りを認めことができず失敗する企業もある。

多くの企業は、社会や顧客を騒がせたことについて謝るのみで、失敗そのものについては謝罪せずに済ましてしまう。また、曖昧(あいまい)な謝罪で事態をうやむやにする場合もある。

こうした間違った謝罪の仕方をすると、かえって逆効果を招く結果となる。専門家は、謝罪に心からの反省の念と責任感が伴っていない場合、企業への不信感を増幅させるだけだと指摘する。

謝っているようで謝っていない例として挙げられるのは、米交流サイト大手フェイスブックのシェリル・サンドバーグ最高執行責任者(COO)のコメントだ。同COOは、同社が利用者の同意を得ないまま心理実験を行っていたことについて、「コミュニケーションが不十分だった」「コミュニケーション不足について謝罪する。皆様を動揺させるつもりは全くなかった」と述べた。

文言をよく見ると、同氏は実験を行ったこと自体については謝罪しておらず、コミュニケーション不足に関して謝っているに過ぎないとも読める。一部の利用者を「動揺させること」が実験の趣旨であったにもかかわらずだ。

真摯な謝罪がうまくいく場合も

さらに最近、謝罪に失敗したのは、世界各国でスマートフォンを使ったタクシー配車サービスを展開する「Uber(ウーバー)」のトラビス・カラニック最高経営責任者(CEO)だ。同社の副社長がジャーナリストのスキャンダルについて情報を収集すると示唆したことについて、同CEOは14件ものツイートを投稿して謝罪したものの、真摯(しんし)さに欠けるとして低評価を受けた。

一方、謝罪に成功する企業もある。地図アプリの不具合について謝罪した米アップル社のティム・クック氏や、米自動車大手ゼネラル・モーターズ(GM)社のリコール(回収・無償修理)問題に関して謝罪したメアリー・バーラ氏などが好例だ。

企業の謝罪対応を巡るこうした混乱について、専門家は、謝罪と責任の関係についての見解が統一されていないのが原因の一部と指摘する。

例えば、日本で企業が謝罪する場合、CEOが報道陣の前で深く頭を下げることが多い。謝罪の弁にも反省の念が色濃くにじみ、率直に誤りを認める言葉が並ぶのが特徴だ。

日米の「謝罪」に対する考えの違いも

だが日本社会では、CEOが謝罪により個人的に責任を取っているとは見なされず、「今回の件が起きてしまって残念です」といった意味合いとなる。

ハーバード・ビジネス・レビュー誌は、「米国人にとって謝罪は過失を認めることに等しいが、日本における謝罪は傷ついた関係を修復しようという意思の表明であり、必ずしも責任を認めるものではない」と分析する。

欧米社会では、謝罪が個人的なものなのか企業を代表しているのかが焦点となることが多い。個人の責任逃れが追及される一方で、企業の場合は批判を免れやすい。米国の経営陣がうまく謝ることはできないのは、この点に原因がありそうだ。経営者は個人として責任があると考えず、社会の側でもこうした企業を見逃しがちだ。

もっとも、責任の有無にかかわらず、うまく謝る術を身につけることで企業が得るものは大きい。医療が好例だ。米国では、高額の医療過誤訴訟を避けるため、医師は過失について謝罪しない方が良いとされていた。だが、謝罪する医師を法的に保護する州が増え、謝りやすくなった結果、訴訟件数も賠償金額も減った。

被害者の望みはあくまで認知されることにあったからで、企業もこの点に留意する必要がありそうだ。

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