犬肉食の合理性を考える

タイからベトナムに犬が密輸される

2014.07.24 Thu posted at 16:32 JST

(CNN) 東南アジアでは食用目的の犬の密輸が問題になっている。密輸される犬の姿を写真でみることは心理的負担が大きい。

タイに住んで8年になるという英国出身の写真家、ルーク・ダグルビーさん(36)はタイからラオスを経てベトナムに輸送される犬たちを取材した。処理工場では「私の目の前で犬たちが殴り殺された」と話す。

翻って米国では、犬などのペットのために費やされる額は今年だけで推定585億ドル(約5兆9000億円)に達する見通しだ。

ダグルビーさんの写真を見れば「あの愛すべき、知的な動物を食べるなんて、ベトナムの人たちはひどすぎる」としか考えられないかもしれない。

しかしそう思う人は、全体像が見えていない。

ベジタリアンでもない限り、米国の方が高いモラルを持っているとはいえない。米国人は馬鹿馬鹿しいほどにベーコンが大好きだ。だが豚も高い知能を持つ動物であり、俳優のジョージ・クルーニーのようにペットとして飼う人もいる。合理的に考えれば、犬は食用として豚の代替になり得る。

かごに入った犬

動物愛護団体によれば、米国は年間120万匹の犬を安楽死させている。その肉を食べることに、それほどの違いはあるだろうか。

作家のジョナサン・サフラン・フェール氏は、動物食についての著書の中でこう指摘する。「毎年何百万ポンドもの肉が廃棄されている。安楽死させた犬を単純に廃棄するのは環境的にも経済的にも大きな問題だ。野良犬や迷い犬、あまり可愛くなくて引き取り手がなかった犬や、しつけが悪くて飼えなくなった犬を食べるのは、一石二鳥になる」

ちょっと待ってほしい、犬は友達だ。だが豚は(大抵の場合)友達ではない。

だがそれは米国の話だ。

ベトナムにはそれが当てはまらない地域もある。

インドに行けば牛は神聖な生き物だ。

そしてイスラム教徒とユダヤ教徒の多くは豚を食べない。

中国では犬肉を食べる祭りを動物愛護団体が非難した

ウィリアム・セールタン氏は2002年のコラムでこう指摘した。「友達になった相手は友達で、食品として育てたものは食品だと考える相対主義は、完全主義的ベジタリアンや、さらには肉食主義よりも危険だ。動物の知能が人間に近いと信じて肉を食べない。そうでないと信じれば肉を食べる。これらは固定した基準によった行為だ。だが、もし人と共に暮らしてきた『コンパニオン・アニマル』だけ食べるのを拒み、例えば自分たちはベーコンをかじりながら韓国人にダルメシアン犬をシチューにしてはいけないと言い放つとすれば、殺すことの倫理観が習慣や気まぐれ次第と言っているのと同じだ」

これは論理的にはつじつまが合う。それでも犬を食べるという考えはやはり受け入れがたい。

犬の違法取引の問題は明らかに解決しなければならない。だが、何をいつ、なぜ食べるかについての私たちの思考も解決が必要だ。もし米国人が東南アジアの犬の取引に嫌悪感を感じるのなら、米国の農場で、例えば妊娠した豚をおりに閉じ込めて動けなくしているような現状に対し、同じような嫌悪感を持つ人もいるはずだ。

もし犬を食べてはいけないと思うなら、自分たちが食べる動物のことも考え、なぜその動物については同じ気持ちにならないのかを考えなければならない。

本記事はコラムニストのジョン・D・サッター氏によるものです。記事における意見や見解はすべてサッター氏個人のものです。

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