広島の原爆跡地 外国人の訪問増

1996年に世界遺産に登録された広島の原爆ドーム=政府観光局提供

2014.06.20 Fri posted at 16:45 JST

(CNN) 第2次世界大戦中の1945年、米軍が広島に原爆を落としてから来年で70年を迎える。その惨状を記録した広島平和記念資料館は、今も入場者が絶えない。ジャパンタイムズ紙によれば、2013年に同館を訪れた外国人観光客は過去最多の20万86人を記録した。

ナチス・ドイツの強制収容所や、カンボジアの大量虐殺が行われた収容所、奴隷貿易に使われた西アフリカの港、米ニューヨークのテロ跡地――。世界のそうした地と並び、広島を「ダークツーリズム」「追悼ツーリズム」「戦場ツーリズム」の地と呼ぶ人もいる。

1996年にユネスコの世界遺産に指定された原爆ドームを見上げる観光客は、ほとんどが言葉を失って立ち尽くす。このドームは1915年にチェコの建築家によって設計され、市の産業振興会館として使われていた。

米軍のB29爆撃機が広島に投下した原爆は、市中心部の10平方キロメートルの範囲を破壊し尽くし、6万~8万人が死亡した。被爆者も含めると、犠牲者の合計は推計13万5000人に上る。

広島平和記念資料館の外国人入場者は昨年、20万人超と過去最多を記録した=同局提供

直近の統計によると、2012年に広島市を訪れた外国人観光客は約36万3000人。国籍別では米国人が最も多く、次いでオーストラリア、中国の順だった。

広島観光コンベンションビューローの担当者によれば、広島の歴史は外国人観光客にも知名度が高く、最近はインターネットなどの口コミの影響力も強まっているという。

例えば外国人観光客に人気の旅行情報サイト「トリップアドバイザー」では2年連続で、「訪日外国人観光客の人気観光地」のトップに平和記念資料館が選ばれた。訪日客が選ぶ日本の観光地ランキングでも、同館は現在、宮島に次いで2位となっている。

外国人観光客が増えているのは円安の影響や自治体などが行っている誘致活動の成果もあるという。

資料館の内部には、原爆被害を記録した写真などが展示されている

カナダから来た英国人のブルース・ボトムリーさん(45)は、「最も強烈な印象を受けたのは、投下時刻で止まった時計だった」「幼い子どもが持っていたご飯が入ったままの弁当箱には言葉が出なかった」「生存者の証言や写真は衝撃的だった」と感想を語る。

長崎で英語を教える米国人のエバン・ヘイデンさん(34)は、高校生だった1998年に初来日して広島を訪れ、同級生たちと一緒に平和記念公園と平和記念資料館を見学した。「それで原爆の現実感が強まった。教科書で読んだりテレビで見たりしているだけでは抽象的で遠くのこととしか思えなかった」と振り返る。

米国が広島と長崎に原爆を落とすべきだったどうかを巡っては、今も論議が続いている。ヘイデンさんは言う。「日本が爆撃されたという事実にはもちろん反対だ。ただ、戦争は悪い方向に向かうばかりで、日本も米国も後退しようとしなかった」。観光で訪れることについては、「(平和記念資料館は)休暇を楽しめる場所ではない。しかし大切な経験として多くのことを学べる」と語った。

日本政府観光局は広島の原爆跡地を、「人類が犯した過ちを物語る負の遺産」と形容している。

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