ルワンダ大虐殺から20年、首都で追悼式典

ルワンダの大虐殺から20年

2014.04.08 Tue posted at 09:47 JST

(CNN) 80万人の犠牲者を出したアフリカ中部ルワンダの大虐殺から20年がたち、首都キガリの国立競技場で7日に追悼式典が開かれた。

3カ月前から国内を巡っていた追悼トーチは同日、キガリに到着。式典の会場には花束が供えられ、潘基文(パンギムン)事務総長は「人類史上、このようなことが二度と起きてはならない」と訴えた。

カガメ大統領がともした炎は、虐殺が続いた100日の間、燃え続ける。会場には虐殺を生き延びた人たちが集まって涙を流し、中には感情を抑え切れなくなって外に運び出される人もいた。

追悼式典には欧州や米国の外交官らも参列したが、フランス外務省は同日、同国の駐ルワンダ大使が前日夜になって、式典への出席は許可しないとルワンダ当局から告げられたことを明らかにした。

これに先立ちカガメ大統領はメディアの取材に対し、フランスとベルギーが虐殺に関与したなどと非難していた。

3カ月で推定80万人が死亡した

フランス外務省はこの発言に「驚いている」としたうえで、「こうした非難は両国の間で数年にわたって行われてきた対話と和解のプロセスに矛盾する」との声明を出した。

ルワンダ大虐殺は1994年4月6日、多数派フツ族の大統領を乗せた飛行機が墜落したことが発端となり、フツ族の過激派が少数派のツチ族やフツ族の穏健派を殺害。3カ月で推定80万人が死亡した。

数百人から数千人のツチ族が集まっていた教会が放火されたり、なたを持った集団が民家を襲って子どもや老人を虐殺したケースもあった。

フランスは虐殺が起きる前からフツ族の政権を支持していたが、事件への関与は否定してきた。ルワンダは2006年にフランスとの外交関係を絶ち、3年後に国交を回復した。ベルギーは1962年までルワンダを植民地としていた。

ルワンダ大虐殺から20年、人々の声

このサイトでは、利用状況の把握や広告配信などのために、Cookieなどを使用してアクセスデータを取得・利用しています。これ以降ページを遷移した場合、Cookieなどの設定や使用に同意したことになります。Cookieなどの設定や使用の詳細、オプトアウトについては詳細をご覧ください。