赤ちゃんにも善悪がわかる!?

赤ちゃんは「善い」人形を好むという

2014.05.06 Tue posted at 17:59 JST

(CNN) 赤ちゃんの道徳観を研究している立場上、「人間は生まれながらに善人だったり悪人だったりするのか」と質問されることがある。私の答えは「イエス」だ。

たいていの大人は善悪の観念を持っている。サイコパスでもないかぎり、残虐な行為には恐怖を覚え、親切な行動を目のあたりにすると勇気づけられるものだ。窮地にある人に救いの手を差し伸べ、犯罪者に罰を与えたいと思うのは、ごく普遍的な道徳的衝動だ。

赤ちゃんについても同じことが言える。人間の道徳観などについて考察した自著のなかで、こういう道徳的衝動が人間の生物としての進化の産物なのではないかと論じた。

人間の脳には生まれつき道徳観念が組み込まれており、赤ちゃんや幼児でさえ、他人の行動の善悪を判断できる。そして、善行に報い、悪行を罰したいと自然に欲するものなのである。突飛な主張だと思われるかもしれないが、多くの研究室で立証されている。

米エール大学の私の研究室では、人形を使った道徳劇を赤ちゃん相手に見せ、その反応を観察した。他人が坂を上るのを手助けするような善人役の人形と、逆に坂から突き落とすような悪人役の人形とを対照させて上演。赤ちゃんの表情や行動を見て取ることで、どのような道徳判断を下しているのか分析した。

結果として判明したのは、生後3カ月の赤ちゃんですら、善人役の人形を好むということだ。

もう少し年長の赤ちゃんや、よちよち歩きを始めた幼児になると、善人役に報酬を与え、悪人役には罰を与えるようになる。さらに、自分と同じ道徳観念を持った人形に愛着を示すこともわかった。つまり、善行に報いる正義の味方の人形の方が好かれるのである。

このように普遍的な道徳感覚が存在することが立証されたのは、良いニュースだ。

ただ、赤ちゃんの段階の脳というのは、自然淘汰(とうた)の産物であり、その先天的な道徳観には当然ながら限界がある。実際、数々の研究で判明しているように、赤ちゃんの道徳的判断というのは、最初、融通が利かない。世界を硬直的に「自分たち」と「彼ら」に二分してしまって、自分たちのグループにかたくなに肩入れするのである。

さらに、他者に対する親切心や共感となると、また別の話になってくる。

ただ、幸運なことに、私たちはこのような生物学的限界を乗り越えることができる。現代の人間であれば、平等や万人の自由といった抽象的な道徳概念を持っており、あえて敵を愛することもできる。

後天的に道徳思想に触れることによって、完璧とは言わないまでも、人は成長して善人に近づくことができる。実際、社会はこうした抽象的な道徳観念に基づいて形成されているのである。

最後に、私たちの研究の意義について述べよう。一つには、親の側で赤ちゃんや子どもに対する見方が変ってくるはずだ。生まれたばかりの赤ちゃんは道徳性のかけらもない、ちっちゃなサイコパスだと思われている節がある。ある種の赤ちゃんが遺伝的に救いようのない悪玉だと考える人もいる。

こうした冷笑的な見方は誤りだ。私たちは生まれながらにして道徳的なのであり、環境次第で、その先天的な道徳感覚が高まることも堕落することもありうる。

さらに、人間の先天的な道徳心理を理解することで、より良い社会の創造につながるだろう。優れた社会政策を立案するにあたっては、良きにつけ悪しきにつけ、人間の先天的な善悪の資質を知ることが欠かせない。これこそ「赤ちゃんの道徳学」が目指すところだ。

本記事は、米エール大学のポール・ブルーム教授(心理学)によるものです。記事における意見や見解はすべてブルーム氏個人のものです。

赤ちゃんに善悪が分かるのか

このサイトでは、利用状況の把握や広告配信などのために、Cookieなどを使用してアクセスデータを取得・利用しています。これ以降ページを遷移した場合、Cookieなどの設定や使用に同意したことになります。Cookieなどの設定や使用の詳細、オプトアウトについては詳細をご覧ください。