オハイオ州(CNN) 逆さまに引っくり返した浴槽に翼が生えたような姿。「タシット・ブルー」(コード名)は非常に変わった外観をしているが、かつて米国でトップ級の軍事機密に属する偵察機だった。
同機は今、オハイオ州デイトン近郊にある国立空軍博物館に収蔵され、「クジラ」の愛称で親しまれる。しかし1996年に機密指定が解除されるまでは極めて重大な存在だった。
米国防総省は当時の冷戦下で、ソ連のレーダーに映らないステルス偵察機を必要としていた。そこで「ブラックプログラム」を立ち上げて、戦場偵察のための1人乗り偵察機、タシット・ブルーを開発。米中央情報局(CIA)が2013年に公開した資料によると、空軍はネバダ州の極秘基地「エリア51」で同機の飛行実験を行っていた。
プロジェクトは1978年から85年まで続き、同機は計135回飛行した。80年代にタシット・ブルーのテストパイロットを務めた元空軍兵のケン・ダイソンさんは、「飛行は極めて安定していた」と振り返る。
結局、製造段階に入ることはなかったが、同機がなければB2スピリット爆撃機は生まれなかった。表面がカーブした機体はレーダーに検知されないことを証明したのがターシット・ブルーだった。
かつてエリア51付近では、未確認飛行物体(UFO)の目撃情報が相次いだ。タシット・ブルーがその正体だったのかとの質問に、もう1人のテストパイロットだったラス・イースターさんは、「そのような状況は認識していない」と一蹴する。
ただ、同機初のテストパイロットだった故リチャード・トーマスさんの妻、シンダさんは、当時夫と共に出席したパーティーで、コンチネンタル航空のパイロットという人物が夫に近づき、「あなたがタシット・ブルーを操縦しているのを見ましたよ。もちろん、UFOとして報告しておきました」と耳打ちするのを聞いたという。
2011年の空軍の報告書によれば、ブラックプログラムには「ハブ・ブルー」という関連プロジェクトも存在した。その残骸は、エリア51の敷地内にある湖に沈められたとされる。
ダイソンさんはハブ・ブルーのテストも担当していた。しかし「ハブ・ブルーについては何も知らない。もし知っていたとしても答えられない」と口を閉ざす。「妻は長いこと、私が何をしているのか知らなった。妻にも、プログラムに無関係な誰にもそのことは話さなかった」とダイソンさん。
周囲の人たちはブラックプログラムにまつわる「戦争の話」を聞きたがったといい、「学んだ教訓を自由に伝えられるよう、もっと自由にたくさんの話ができればと思ったこともある」とイースターさんは振り返った。