南アフリカのマンデラ元大統領が死去

ネルソン・マンデラ氏=2008年6月

2013.12.06 Fri posted at 08:32 JST

(CNN) 南アフリカで同国初の黒人大統領となり、ノーベル平和賞も受賞したネルソン・マンデラ氏が5日夜、ヨハネスブルクの自宅で死去した。95歳だった。

ズマ大統領はテレビを通じてマンデラ氏の死去を発表した。

マンデラ氏は1918年7月18日、南アフリカ中東部トランスカイの村に生まれた。父親は王族の相談役を務めていた。国内では出身氏族を示す「マディバ」の愛称で知られた。

42年に大学を卒業し、法律事務所に就職。44年に黒人解放組織、アフリカ民族会議(ANC)に加わり、青年部のリーダーとして活躍した。

52年、友人と共に南ア初の黒人による法律事務所を設立。同年以降、ANCによる非暴力の反アパルトヘイト(人種隔離)政策闘争を率いた。

56年にはANC幹部らとともに国家反逆罪に問われた。60年、警察がデモ参加者ら69人を殺害する「シャープビル虐殺事件」が発生し、政府はANCの活動を禁止して非常事態を宣言。マンデラ氏らには翌年、無罪の判決が下りた。

同氏は「民族の槍」という武装組織を設立し、ゲリラ闘争に向けて動き始めるが、62年に逮捕され、懲役5年の判決を受けた。64年にはさらに終身刑を言い渡され、アパルトヘイト廃止に踏み切ったデクラーク政権によって90年に釈放されるまで、27年以上にわたり収監された。

マンデラ氏とブッシュ米大統領(当時)が会談=1990年8月、George Bush Library and Museum提供

釈放直後に世界各国を歴訪し、英国のサッチャー首相や米国のブッシュ大統領と会談。翌年ANC議長に就任し、93年にはデクラーク大統領とともにノーベル平和賞を受賞した。

94年、南ア最初の民主選挙で初の黒人大統領に選ばれた。99年に退任した後も、ブルンジ内戦の調停やブッシュ米政権批判の発言で注目を集めた。05年には息子がエイズで亡くなったことを公表し、患者に対する偏見の解消を呼び掛けた。

国連は09年、同氏の誕生日を「ネルソン・マンデラ国際デー」と定めた。

10年に開催されたサッカーのワールドカップ(W杯)以降、公の場には姿を見せず、肺の感染症やヘルニア手術、胆石除去などで入退院を繰り返した。

今年4月、国営南ア放送協会(SABC)が自宅療養中の映像を放送したことに対し、与党のANCが同氏を政治的に利用しているとの非難が集中した。その後、肺感染症の再発による入院が伝えられていた。

南アのマンデラ元大統領死去

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