亡命の夢が目前で破れ送還――9人の若き脱北者たちの運命は

M.J.さんと一緒に写真に写る脱北者の若者たち=同氏提供

2013.10.20 Sun posted at 16:44 JST

ソウル(CNN) 「さあ荷物をまとめて。韓国へ行きますよ」――長年待ち焦がれたその知らせに、歓声を上げる9人の若者たち。しかし送られた先は、何年も前に脱出したはずの北朝鮮だった。逃亡の末に送還されたかれらを、この先どんな運命が待ち受けているのだろう。

9人の年齢は15~23歳。ほとんどが孤児で、親がいても子どもの世話はできない、あるいはしたくないという家庭に生まれた。それぞれ数年前に、北朝鮮から食べ物を求めて中国へ越境してきた。

中国に住む韓国人宣教師のM.J.さん(仮名)は、2009年12月に若者たちと出会い、救いの手を差し伸べた。かれらが今年5月に送還されるまでの日々を、CNNとのインタビューで振り返った。

出会ったころのかれらはごみ箱をあさり、魚の骨と食べ残しのご飯でかゆを作って飢えをしのいでいた。たまに手に入るネズミはごちそうだった。

廃墟ビルの中で零下30度という厳しい寒さに耐える生活。手足は凍傷を起こし、食べ物を盗もうとして警備員に殴られた傷が体に残る。栄養失調と不衛生な環境が、病気や成長不良を招いていた。

M.J.さんはそれまでにも脱北者を手助けしたことがあった。成功率が高いのは、中国からラオス経由で米国や韓国へ亡命するルートだった。

遊園地のアトラクションで笑顔を見せる若者たち=M.J.さん提供

M.J.さん夫妻は中国で暮らす脱北者の家庭と手分けして、9人を引き取った。中国当局に見つかれば送還される。片時も気を許せない潜伏生活が約2年間続いた。夫妻はその間、若者たちのために米国人家庭との養子縁組を試みたが、うまく成立しなかった。

そこで今年春、かれらを連れてラオス国境を目指すことにしたという。

旅の途中で若者たちは仲間の誕生日を祝い、遊園地を訪れ、はだしで砂浜を走った。子ども時代にできなかった多くのことを初めて経験し、かれらの胸に夢と希望が芽生えていくのが分かった。

5月10日ごろにラオス近くまでたどり着いた一行は仲介業者に案内を頼み、夜中にジャングルを通って国境を越えた。だがそこから首都ビエンチャンへ向かうバスの中で、運命が変わった。警察の抜き打ち検査が入ったのだ。パスポートなしで入国していた一行は拘束され、2週間以上にわたって取り調べを受けた。

M.J.さん夫妻は韓国大使館に繰り返し電話をかけて助けを求めた。大使館からはおとなしく待っているよう指示され、ラオス当局が手続きを進めていると説明を受けた。

そして5月27日、ラオス当局者が若者たちに韓国行きを告げた。長かった逃亡生活がようやく終わりを迎えるかと思われた。

9人の年齢は15歳から23歳だったという=M.J.さん提供

若者たちが出発した後、夫妻は入国管理局の事務所に約2時間閉じ込められたという。

そして国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)から、かれらが中国経由で北朝鮮へ送還されたと知らされた。「あの子たちは韓国に行くと思い込んでいたのに」――夫妻は衝撃を受け、若者たちの絶望を思って心を痛めた。

その9人が6月、北朝鮮のテレビ番組に登場した。政治宣伝に使われているのだろう。「だまされて外国へ逃げたが金正恩(キムジョンウン)第1書記に救われ、帰ってこられたことを感謝する」などと話していた。

M.J.さんは「この宣伝活動が終わった後、何が起きるのかが心配だ。私たちが目を離せば、あの子たちは永遠に行方が分からなくなってしまうだろう」と懸念を示す。

ラオスは国連や人権団体からの非難に対し、「若者たちは不法入国だった」「夫妻の行為は事実上の人身売買だ」と主張した。

韓国外務省はCNNに「この件については問題点を調査中」と語り、すでに脱北者への支援体制を改善、強化したと話している。

夢破れた9人の若き脱北者たち

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